『たそがれビール』と愛猫の旅立ち
『食堂かたつむり』『つるかめ助産院』『ツバキ文具店』などでお馴染みの小川糸さんのエッセイ『たそがれビール』を読んだ。
日記エッセイシリーズとして、2015年に幻冬舎文庫から発売されたエッセイ。
なぜ10年近く前のエッセイを読み始めたのかというと、ズバリ、ジャケ買いならぬ「タイトル買い」。
「たそがれビール」なんて、飲みたいに決まってるじゃないの。
日常生活の何気ない出来事や、長めに滞在する海外旅行の話など、ほっこりする内容が多く、心穏やかに眠れそうなので、Kindleで買ってベッドサイドにセッティングされたiPadで眠る前に少しずつ読んだ。
時には震災の話のような、鼻の奥がちょっとツンとする内容もあるけれど、それはそれで何か納得して眠りにつけた。
中に『ここもパリ』というお話があって、「ペンギンねーさん」との2週間にわたるパリ旅行での、宿(アパート)がある11区のことが書かれている。
最後の一行を読んで、あ、と思ったことがあった。
日本でも、冬至の頃はそのくらいの時刻に夜が明けてくる。
いつも、「ああ、7時なのにこんなに薄暗いなぁ」とか、年が明けてからは「7時でも、もうかなり明るくなってきたなぁ」とか、7時ぐらいになると思っていた。
ふと「そういえば、2023年12月〜2024年1月は、そんなこと思わなかったなぁ」と気づいた。
その理由はすぐにわかった。
2023年12月14日、慢性腎不全から尿毒症になった16歳の愛猫が亡くなった。
その年の8月から、獣医師指導の下、自宅で皮下捕液を行っていたのだが、徐々に食が細くなり、マナーウェアになり、静かに息を引き取った。
夫も私もすごく泣いて、親が死んだ時よりも泣いて、頭や目が痛くなるほど泣いた。
2023年の年末と2024年の年明けは、愛猫のお世話と亡くなった後の悲しみで暮れていったので、夜明けの時刻まで頭がいってなかったということを、『たそがれビール』の「ここもパリ」の最後の一文が気づかせてくれた。
日常は日常でしかないが(時々非日常もあるが)、日常の中には色々なことが刻まれているんだなぁと思った。
※ヘッダピクチャーは生前の愛猫です