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映画「蜂蜜と遠雷」感想——天才たちのみている世界。
本屋大賞と直木賞のW受賞作・恩田陸の「蜂蜜と遠雷」の映画化。原作は読んだ人から「良い」と太鼓判を押され倒しているが、果たして映画はどうなのだろう…とみてみた。
そしてこれは、音が主役の「栄伝亜夜の物語だな」と感じた。
○簡単なあらすじ
ピアノの国際大会。この大会で結果を出すことは、ピアノで生きていくうえで大きな意味を持っている。
栄伝亜夜(松岡茉優)は、かつて天才少女の名をほしいままにしながら、7年前ステージをドタキャンし、その後ピアノの世界から消えていた。
マサル(森崎ウィン)はパーフェクトな演奏をするピアニストとして、大会の優勝候補として参加していた。
高島明石(松坂桃李)は「生活者の音楽」を掲げ、家族に支えられながら年齢制限ギリギリでこの大会に参加していた。
風間塵(じん)(鈴鹿央士)亡くなった「ピアノの神様」ホフマンの推薦状を持って、その大会に唐突に現れた。「彼はギフトだ」という言葉とともに、本当にふらっと、その無垢な少年は現れた。
ピアノに対する迷いと過去のトラウマを乗り越えられない亜夜は、マサルや塵と過ごす時間の中で、止まっていた時間を再生し始める。
(上の右から、亜夜・明石 下の右から、マサル・塵)
○感想
正直、原作を読まないとわからない部分もあるな、と思うし、原作を読んでから見ると気になる部分もあるのだろうな…と思う。原作は未読ながら、恩田陸があれだけのページ数で書き上げたものが、2時間で描き切れることはないだろう。だからこそ、映画では「栄伝亜夜の物語」としてしぼり、映像美と音にこだわって制作したのではないか、と思っている。
魅力1 ピアノシーンが見ごたえあり
映像は美しいし、ピアノシーンはどのシーンをとっても見ごたえがある。個人的に好きなのは、
1 亜夜が塵、マサル、それぞれとピアノを弾くシーン
2 亜夜、塵、マサルの大会でのピアノシーン
……いや、全部やないか!という勢い。
1-1 亜夜と塵のピアノシーン
亜夜は、基本的にほぼ笑わない。顔色は白くて、白いけど「松岡茉優、透明感どこいった!?」レベルで顔が死んでいる。その亜夜が、いてもたってもいられず「ピアノが弾きたい!」という衝動を外に出すシーンだ。ピアノがなかなか借りられない亜夜がどうにか見つけたピアノ。塵は「ピアノを弾きに行くんだろうなと思ってついてきちゃった」とにこにこ笑う。
そして、あっけにとられる亜夜をしり目にピアノを弾き始めて、言う。
「頭の中でこれがずっと鳴ってたんでしょ?それで引きたくてたまらなくなったんでしょ?僕もそう」
天才同士の共鳴に、驚く一方で、冷めずにスッと受け入れられたのは、場面の神秘さからかもしれない。その後2人は月あかりに照らされながら、連弾を楽しむ。場面がきれい。顔が死んでいる亜夜が楽しそうにピアノを弾く最初のシーンだと思った。あと、塵が本当に天使。
1-2 マサルとのピアノシーン
これは、逆に最後の演奏前の練習シーンだ。練習しているマサルのもとに亜夜が現れて、2台のピアノで2人は演奏する。「まーくん」「あーちゃん」と呼び合う2人のシーンは、和やかでたのしげだ。亜夜が笑って弾くのは、誰かとピアノを弾いているとき。
マサルが亜夜ともピアノで何かを掴んで本番に向かうのも、どこかで亜夜の迷いに気付いているのも、いいな、と思う。
マサルと塵は本当に対比になっていて、ただただピアノが楽しいピュア天使の天才塵と、葛藤する大人な天才マサルって感じかな。この2人の対比の明確化のために、マサルの天才性の描かれ方が弱いのだろうな、と思っている。恩田陸であの厚み、マサルの人間性ももっと描かれているに違いない。
亜夜に刺激を与え、共鳴する塵と穏やかさを与え、見守るマサル、という位置づけがよくわかるシーン。
2 それぞれの大会でのピアノシーン
ただ文字通り、それぞれの姿勢がよくわかる。松坂桃李のピアノシーンも好きだけれど、
無邪気にただ楽しく天才を奏でる塵のピアノ、
亜夜から「世界に祝福されている」といわれた最後のマサルのピアノ、
鬼気迫りながら、最後には笑う亜夜の最後のピアノ。
これは本当に見ごたえがある。
魅力2 風間塵本気で天使
さくっと書くけど、この塵役の鈴木くん、オーディションに合格した新人さんらしい。名前の横に(新人)って書いてあるタイプの人。
だけど、「多分、素もこの子こんな感じかな」と思わせる天使感。インタビューシーンは、「あ、この子これ本当に素でしゃべってるわ」って思ってた。でも、それが素人インタビューっぽくて(塵は今までピアノの世界で生きていない、ピアノも持っていない子だから、インタビュー受けた経験も当然ない)いける。
亜夜とのシーンは、かなり松岡茉優が引っ張っていたと思うけど、原作はわからないけど、劇中の塵はとても天使なギフトだったので、すごく雰囲気に合ってたと私は思う。
ピュアさが人を刺激する、その感じ。
魅力3 映像・音の美しさ
劇中で、明石によって語られるけれど、天才たちは違う景色を見ている。
「音楽は生活に根付いている」だから「生活者の自分にしかできない音楽があるはず」…そんな証は、いわゆる私たちの代表の視点だ。
この映画は「栄伝亜夜の物語」であると同時に、亜夜を軸とした「天才たちの見えている景色」の映像化だ。
ホフマンが塵に語った、「世界は音楽にあふれている」だから「そういう音楽を奏でる人を見つけなさい」
ピアノの環境になく、たった1人の師を失った塵は、そんな人を探していて
亜夜はピアノの道に迷い、光を探していて、そんな迷える天才たちが出会って、時間を過ごして、世界を一緒に見ている。
それがどんな世界なのか、私たちはのぞき見する。
その美しさは、表現されている。きっと。
○まとめ
いい意味で、原作への期待が高まる映画でした。
1つだけ言うなら、塵との対比で致し方のだろうないけど、マサルの天才性をもっと描いてあげてほしかった。(海辺の天才3人のシーンで十分天才の世界にいたけど、1番大人だから天才性から外れて見えてしまうのがちょっとかわいそう)
だけど、軸は1本通っていたからあれだけ分厚い原作をして散らかることもなく、よかったと思います。
ただ、原作を読んだらきっと言いたいことが出てくるんだろうな、とは予測されるので(笑)、原作未読の人や、原作は原作、映画は映画で楽しめる人にはいいのではないかなーと思います。
あと、斉藤由貴はなんであんなに色気があるのか、だれかいい加減教えてください。
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