素直に気持ちを伝え合う
わたしには6歳の娘がいる。
愛称は、あおちゃん。
(この子を妊娠した時から『あおちゃん』と呼びたいと無性に思って、そう呼べる名前をつけた。)
この大変なコロナ禍で新一年となった娘。
わたしが働いているから、児童会に行ってくれている。
それはいつものように、18:00にお迎えに行った時のこと。
その日は大雨で、車の運転が苦手な私は、
職場から一度家に帰り、車を置き、
自転車に乗り換えて児童会へ向かう。
カッパを着て、娘が背負っているランドセルが濡れないような袋とタオルと、娘のカッパと傘も用意する。
風と共に吹き付ける雨粒に、顔はビシャビシャになりながら、前髪は額に貼りつき、
ジーパンはもはやカッパから出て、色が変わっている。
雨は嫌い。お迎えの時の疲労度が倍増するからだ。
18:00過ぎると預かり時間終了。
まだまだ慣れない児童会で、
一日中マスク着用、ほとんど友達と話せない環境で
いつも迎えに行ったら新一年は娘1人。
全員でも片手で数えるほどしか残っていない。
だから、出来る限り早く行ってやりたい…と
待っているだろうな…と気持ちが焦る。
自転車をかっとばし、児童会に到着。
なぜか1番上の4階に部屋があるから、
階段をいくつも駆け上がらなければならない。
マスクしたまま、階段を登るには、4階は上すぎるような気がする。
息を切らして、部屋のチャイムを鳴らす。
私を見つけた先生が、『◯◯さーん』と娘を苗字で呼ぶ。
保育園の頃は、『あおちゃーん』と先生たちに呼んでもらっていた娘も、
今では苗字でさん付けで呼ばれている。
なんだか保育園が恋しくなる瞬間だ。
娘が出てきて、私を見つけるなり顔が歪む…
『お母さんおそかった』
『あおちゃんひとりなんだよ、もうみんなかえったよ』『もっとはやくかえってきてほしい』
そう言いながら娘の目には、じんわり涙がたまっていく。
はじめは、私も『そうだよね、寂しかったよね』と娘の気持ちに寄り添える。
心からそう思っているから。
なのに、娘の寂しかった気持ちは治らず、
駆け上がってきた階段を降りる間ずっと娘の私を責めるような言葉が続く。
正確に言えば、わたしが責められていると感じるような言葉だけど。
だんだんとわたしもイライラしてくる。
『こんなに急いできたのに…』
『こんなに頑張ってるのに』
『わたしだって疲れてるのに』
そんな想いが湧いてくる。
最初は、娘に寄り添っていられたわたしも、
『でもお母さんももっと急いで帰ってきたら、スピード出しすぎてパトカーに捕まるよ!』
『お母さんも、できるだけ早く帰ってきてるんだから!』
『ずっとグズグズ言わないの!!』
と、口調が強まる。
娘は、『あおちゃんはそんなこといってない。パトカーに捕まる話は聞いてないから言わないで』
と言ってくる。
娘が言ってくる言葉はごもっともだ。
お互いにイライラしてきて、あーでもないこーでもないと反抗し合う。
こんな調子で、わたしの口調はキツくなり、
娘はさらに悲しそうにし、グズグズする。
疲れていると、
私も受け止めきれないと思うことがある。
娘は、『もーいいから仲直りしよう…』と言ってくるけど、私は一度イライラスイッチが入ってしまうと、
子どものようにすぐに気持ちを切り替えられない。
大人気ないっていつも思うのに、
なかなか『仲直りだね。』と言ってやれない。
雨の中、またカッパを着て、
娘にカッパを着せる。
娘が乗る椅子をタオルで拭き、まだ新しいピカピカのランドセルが濡れないように、袋にしまう。
さっきあれだけ焦ってきた道を、
今度は無事に娘を連れて帰れているという安堵感と共に帰る。
後ろのイスでは、さっきまであんなにぐずっていた娘が、小さな声で、鼻歌やひとりごとを言いながら乗っている。
はぁ、どうしてもっと娘の寂しかったとゆう感情を
ただ聞いてやれないんだろう。
自転車を漕ぎながら、少しずつ気持ちがおさまっていく。
娘には、いつも素直な気持ちを人に伝えられる人であってほしいと思うのに、
こうゆう時には、娘の素直な気持ちを受け止めきれず
その気持ちは出さないで!!!と
拒否してしまう自分がいる。
家につき、少しだけ落ち着きを取り戻した私は、
娘と同じ高さに膝をつき、
娘と向かい合う。
『あおちゃん、さっきはごめんね。お母さんも疲れてて、ついつい怒ってしまったよ。あおちゃんが寂しいのわかってるのに、自分も疲れてるし、頑張って早くきてるのに…って思ってしまうんよ。』
と伝える。気がついたらぎゅーっと娘をハグしている。
娘は、
『お母さんは、あおちゃんが自分だけが寂しいって言ってると思ってるでしょ?
ちがうよ、お母さんがそんなふうに頑張ってる気持ちだよって、あおちゃんもほんとはわかってるよ。』
と言ってくる。
なんだか涙が出てきてしまう。
子どもは多分全てわかっている。
わたしの感じていることや、イライラも、娘を受け止めきれないわたしの未熟さも。
全部丸ごと受け止めてくれている気がする。
気持ちの落ち着いた娘が、
おやつタイムしよー♡と言いながら、
自分より遥かに高い棚のおやつを探っている。
踏み台に登って、足がつりそうなほどの背伸びをしながら。
そんな娘の姿を見ながら、
いつだって許されているのは親のわたしの方だと感じる。
娘が素直に本音を出せることを許可したいし、
私もそうしよう。
私自身も自分の本音を隠して
娘に寄り添ったふりをしたり、
建前だけの言葉を話すことはしたくない。
素直に本音を伝えよう。
でもそれは、娘自身が、
お母さんには自分の気持ちを表出していい、と、
安心して思える関係性を作ってやってこそなんだと思う。
雨でびしょ濡れになったカッパや傘を干して、
美味しそうに、ホッとした顔でおやつを食べる娘を見ながら、そんなことを思った雨の日。
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