もしも明日大切な人がいなくなるとして。
私には、いつもどこか何となくつきまとっている感覚がある。
常に思っているわけでもないし、
すごく負の感情を抱いているわけでもないけど、
でも、時々ふと湧き上がってくる不安。
大切な人や大好きな人が突然居なくなってしまうのではないか…ってゆう不安。
時々、その大好きだった人は夢に出てくる。
夢の中では、まだ彼は生きていて、でも病気で、
今にも亡くなってしまいそうだと知って…
何とかして彼に会いたいと、病気を治さなきゃ、
今ならまだ間に合う!と思って走って彼の家に向かうけど、どうやっても会えない。
そして目が覚めて、
彼は病気じゃなくて、もういないのだと知る。
何度も何度も、同じ夢を見る。
--------------------
突然目の前が真っ暗になるような知らせが入ってきたのは、21歳の冬だった。
小学校からの幼なじみでもあり
高校時代に3年間付き合っていた彼を突然の事故で亡くした。
彼には全く落ち度のない職務中の事故だった。
ニュースになるほどの大きな事故で、
私は当時、テレビが見れなかった。
彼は、私が小学校2年生で転校した先の学校で
1番最初に好きになった男の子。
笑うと目が細くなる優しい人で、
お年寄りや動物をとても大切にする人。
4月生まれで、何でも器用にできた彼は、いつもみんなから一目置かれる人だった。
スポーツが得意で、バスケが大好きで、いつもスラダンを読んでいた。
群れをなすのは嫌いで、特定の仲の良い子はいなかったけど、いつもみんなから慕われて信頼されていて
不思議なオーラを持つ人だった。
クラスの中心だった彼とは、
中学生の頃は同じ生徒会で、たくさんの行事を一緒に一から作って、夜遅くまで残って、休み返上で、
青春を共にした人。
小、中、高と、思い出を振り返ろうとした時、
どの場面にも、彼がいた。
それは今でも、これからも、ずっと変わらない。
とんでもない田舎で育った私達は、小さな頃から
彼のお父さんお母さん、
はたまたおばあちゃんまで顔馴染みで、
彼の家に行くと、ご家族が本当に良くしてくれた。
どうしてこんなに優しい男の子に育ってしまうのかも、家族を見たら全てが解決するようだった。
でも、その悲しすぎる知らせはある日突然訪れた。
電話口で聞いたその事故の話と、その彼のことがどうしたって一致せず、私は混乱していた。
気が動転して、涙は出ているけど、この時は本当の私はまだその悲しみを理解していなかったと思う。
ただ、見かねた親友達が自宅まで付き添ってくれたことだけは覚えている。
21歳だった私たちには、まだ同級生が亡くなってしまうなんて、現実的じゃなかった。
どうして、こんな若い私たちがみんな喪服で集まっているのか、考えたくなかった。
彼も一緒に
みんなでまた集まる時は、同窓会のはずだった。
悲しくて、悲しくて、悲しくて。
毎朝毎朝、目が覚めるたびに、夢じゃなかったことに絶望して、胸が重くて、苦しかった。
学童期から思春期へ。子どもから大人へ。
小さい頃に登った山や
浮き輪を持って自転車に乗って行った川。
穏やかな田舎で、泥だらけになって遊んで、
放課後の校舎で、文化祭や体育祭の準備をして、
初めて街中にドキドキしながらバスに乗って、
デートしに行って。プリクラもたくさん撮った。
考えてみたら10年以上、もしかしたら親より長く
同じ空間にいて、たくさんの感情を共有してきた人。
そんな長い長い期間、
成長を共にした大切な人を失ったことは、
思い出も一緒に失ったような気持ちだった。
どうして世の中にはもっとどうしようもなく悪いことをしている人達が生きていて、
どうして彼みたいに優しくて、一生懸命働いてる人が亡くなってしまうんだろう。
彼じゃなかったら良かったのに…彼は今死ぬべき人じゃない…。もっと…
そう思ってしまう自分もまた、最低に思えて、悲しかった。
会いたくて話したくてたまらなかったけど、
どうにもならない現実は変えられなかった。
その日をきっかけに、誰でも、自分も、
突然に死んでしまって
会えなくなるかもしれないことが、身近なことになった。
---------------------
いつだって今日がその最後かもしれない。
ニュースで事故や事件で亡くなった人を見ると、
この人達が大事な人と交わした最後の言葉は何だろうと思う。
そう思うと、胸が苦しい。
時々、同調しすぎて辛くなるので、ニュースはあまり見ない。
いつさよならになっても大丈夫と言えるほど、
私は周りの人を大事に思えているだろうか。
彼が亡くなって15年。
悲しみが少しずつ癒えて、思い出に変わるのと同時に、大切な何かもまた薄らいでいるような気もする。
日々、慌ただしく過ぎていく日常で、
気付いたら、1日が終わっている。
でも、だからこれだけはちゃんとやりたい。
家族を笑顔で送り出すこと。
寝る前に、ありがとうとか、大好きと言うこと。
娘とどんな1日だったか話すこと。
家族だから恥ずかしいじゃなく、
家族にこそ毎日伝える。
家族じゃなくても、ちゃんと伝えたいって思う。
喜んでいることや、嬉しいってゆう気持ち。
幸せに感じたこと、感謝の気持ち。
自分の感じたことを、出来る限り表現したい。
この日が最後かもしれないから。
この瞬間が最後かもしれないから。
明日も大切な大好きな人に絶対会える保証はなくて、
そんなの誰にもわからない。
夏が終わって秋が来て、
寒い季節に向かっていくと、少しずつ思い出す。
彼を感じる場所に行くと、特にそう。
ずっとずーっと忘れないし、大好きだった。
同級生の中に、彼がいてくれたことは
私たちにとってすごく安心できることだった。
ずっとずーっと私達の輪の中心にいてくれると思っていた。
生きていたら、きっと素敵なお父さんになっていたに違いない。
そして同窓会で会ったら、またあの笑うとなくなる細い目でみんなを包んでくれていたんだろうな。
今でも笑顔しか思い出せない。
出会ってくれて、一緒に大きくなってくれて、成長してくれて、私の青春時代を一緒に過ごしてくれて、
ありがとう。
大切なことをたくさん残してくれて、
ありがとう。
今日はなんか、すごく彼のことを思い出して、
書きたくなったので、忘れないように記録。
これからも、伝えたいって思うこと、
ちゃんと伝えていくし、毎日を大切にするよ。
明日、死ぬかもしれないから、じゃなくて
今、生きているから。
もしも忘れていたら、ちゃんと夢に出てきて教えて
ね。
でも、できたらもう病気じゃなくて、元気な姿で出てきてほしいな。心配するから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?