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四、大正一七年の少年たち

架空の時代を設定した理由

 ここで疑問に思われると思うが、なぜ大正十七年という時代を設定したのか。それにはいくつかの理由がある。ここでは、大正一七年という架空の時代と、その世界の中に存在する少年たちについて論じてみたい。
 なぜ大正一七年という時代を設定したのか。もちろん大正時代好きというのもあるが、架空の雰囲気を出したい、かつこの後起こるであろう、世界恐慌や第二次世界大戦の予兆がまだ大きくないと思われる時期を選んで一九二八年(昭和三年)あたりに設定した。この年の一二月に流行歌の中に高畠華宵が登場する銀座行進曲がリリースされるなど、年号が変わった途端に時代が変化するわけではないので、昭和初期も大正浪漫の気風は十分に感じることができると思っている。

 当時の資料によると兵庫県の加古川市に首都遷都する案があったそうだ。この世界線では当時の大阪朝日新聞で取り上げられた、「再び京都への遷都を求める声」という部分を反映して京都が帝都になっているが、首都が関西地方に遷都した、程度に思っていただけたらと思う。
 実際の歴史でも関東大震災による人口流出で関西は大きく発展し、一九二〇年~一九三〇年頃は大大阪時代と呼ばれている。関西に首都遷都したとなると尚更だ。もちろん京都も急激な都市開発が進み大きく変化するだろう。そして、その変化の途上という時代が架空の時代、大正一七年なのである。大正ロマンの雰囲気を十分に醸し出しつつ、戦火の火種がまだ感じられないギリギリの時代だ。
 また、一九二五年にラジオ放送が始まって、徐々に一般家庭でラジオが聞けるようになった時期でもあるし、動画を作って配信するにしてもこのあたりが良さそうだ、というのもある。(動画全然増えてないゴメンナサイ)
さらに、美少年を考えるうえでもこの時代は特別なのである。高原栄理『無垢の力〈少年〉表象文学論』(二〇〇三年)には次のような記述がある。

 小説『少年』に描かれる少年同士の同性愛は、近代的なロマンティシズムに基づく愛の様式である点で、より古い時代の性欲の様式であった「男色」とは質的に異なる。また、それが限られた時代と特有の環境に支えられて成立した価値体系である点で、現在のわれわれが語る、関係の質が限定されない「同性愛」とも異なる。この特異な愛の様式はやはり明治から大正にかけて、特定の文化環境が生んだものとおぼしい。『少年』内の「日記」は、当時、作者のいた中学の寄宿舎が「少年」という特別の性を生きさせる場所であったことの報告である。
 以下この愛の形を同性愛一般と区別するため、稲垣足穂の言葉に倣い「少年愛」と呼ぶことにしよう。(中略)
 「美少年」、ただ美しいだけでなく、少年愛の対象となりうる少年と、現在の少年の決定的な違いは、その客耐性の協調の有無にある。
いかに容姿が美しくとも現在の少年は、(中略)未熟だがある程度の自己決定力を持ち、固有の欲望・苦悩・怒り・愛・行動性を持つ。(中略)
 ところが、明治・大正期「美少年」は、まず、「愛される存在」という客体としての意味が先にある。それと同時に彼らは「清らか」「地上的ではない(天上的)という面の協調から、「個であえるゆえの責任=汚れ」をともなう自主性とか主体性にはほとんど重きが置かれず、他社から欲望はされはしても自分からは欲望しないという形で描かれる。

高原栄理『無垢の力〈少年〉表象文学論』

 明治~大正、昭和初期という時代は、女性向けの作品に登場する「美少年」のルーツとも言える時代であり、「美少年」の幻想を考える時代としてもうってつけなのである。

高原英理『無垢の力〈少年〉表象文学論』

大正ロマンと大正デカダンス

 ところで、大正ロマンという言葉のほかに、デカダンス(退廃的)という言葉がある。二〇一五年に「大正ロマンとデカダンス」と称して高畠華宵大正ロマン館(注)にて、企画展が行われた。アイエム[インターネットミュージアム]にある企画展の紹介記事を参照すると以下のような記述がなされていた。(参照日二〇二四年九月二九日)
 谷川渥(あつみ)によるとデカダンスを「崩壊へと向かう人間存在ないし気分」と定義し、「憧れや自然との一体感を望む向日的欲望」であるロマンと対立する考えとして提示している。
 さらに記事は続いており、企画展主催者は「大正ロマンとデカダンスは、どちらも現実社会から逃避・乖離しようとする人間の意識を高揚」させ、「現代人に欠如しがちな『想像力』を刺激する豊かな幻想耽美の世界」であると、結んでいる。

 実際、明治時代と比べて、大正時代は退廃的な時代であった。芸術新潮一九八四年二月の特集によると、大正時代を生きた若者たちは、明治維新をなしとげた世代から見ると三代目の世代にあたり、「父祖が築き上げてきた社会、ひいては日本国家というものに対する反省」が起こった時代としている。そしてその反省は、「自由、平等、自我の開放をうたいあげる反面、他方では、むしろその父祖が築き上げた社会の矛盾を抱え込みながら」、両者のせめぎ合いの中から生まれてきたものが、大正デカダンスであると述べている。
 これは、おそらく『こころ』や『舞姫』の登場人物たちが翻弄される「近代的自我」であるだろう。一見華やかな時代に見えつつも、自意識の芽生えから「孤独」を抱えながらなんとかその答えを見つけようと暗中模索する時代でもあるのだ。そしてその方法の一つが、「逃避」である。

芸術新潮1984年2月号

 一章でも取り上げたが、川本三郎『大正幻影』において、大正時代を、「日本のビーダーマイヤー」と考え、佐藤春夫の作品を明治時代の作品群と比較して「自己の行為がいかに儚い夢想でしかないと知りながらもあえて夢を見ようとする人工的なデカダンスの感覚」があると評価している。

川本三郎『大正幻影』

 ビーダーマイヤーとは、「一九世紀前半のドイツやオーストリアを中心に、もっと身近で日常的なものに目を向けようとして生まれた市民文化の形態の総称」と辞書を引くと出てきたが、川本は「たとえ外の世界では戦争や革命が起ろうが、自分はそれにあえて目をそらし、部屋の中に閉じこもり、自分の好きな小さな調度や家具に囲まれて暮したいというメランコリックな諦念を抱いた反語的感情」であるとしている。
 枠組みが強く意識された明治と比べて大正時代は「個」に目を向けられた時代であった。そして、「個」というものが形成されそれぞれの「個」の内向が焦点化された時代なのである。デモクラシーの機運や、現実から目を背け、「幻想」の世界へ羽ばたく営みに、憧れの念を抱くような時代、それが大正時代の正体の一つだと僕は思っている。現在流行している異世界転生モノも大正デカダンスの流れを汲んでいるのではないか、と僕は考えている。
光と影の両面が存在するものの、幻想的な世界観の一つとして憧憬の念を抱き、僕らは大正という時代を見ている。実際には僕たちが思うほど美しくない世界だったに違いない。だが、現代では憧れや羨望を抱く「幻想」的な時代なのである。

 しかしその一方で、この後どのような時代がやってくるのか知っている。大正の時代が終わり、昭和の時代がやってきて、どのようなことが起こったのかを知っている。
 そんな時もし仮にそんな状況下において、これから起こることを知っていて、それが起らないようにするためにはどうすればいいか。簡単である、「永遠」にそんな時代が来ないようにすればいいのだ。

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