強い母の入院
こんにちは、まゆきちです。
今日は母のことを書こうと思います。
わたしのnoteには父のことを書いた記事がたくさんあるのですが、父の生涯、父のサポートには母はなくてはならない存在でした。
強い人、そういう言葉がぴったりです。
心身ともにきちんとしていて、食事や家事にも手を抜かず、ほんとにきちんとした強い人。
その強さは子どもの頃や若い頃のわたしには厳しさや怖さでもあったのですが…。
父の介護を8年、訪問医や看護師さん、介護士さんの力を借りてほぼ1人で頑張ってくれました。わたしはその当時東京在住でたまに様子を見にくる程度で何の役にも立てませんでした。
裁縫が得意な母は父の手持ちの服をリフォームしていました。脇を切ってスナップやマジックテープを縫い付けて、体が不自由になった父の着衣交換をしやすいように工夫していたり、介護をしながらこんなことまでやってしまえるんだと、感動したこともありました。
すごいわ…。
この母にしてわたし…小中学生の家庭科の作品はほぼ母にやってもらっていたため、わたしは不器用に育っています😅
介護中であっても、日々の料理にも手を抜かず、おせち料理も作っていた母。
介護は体力勝負!筋力が落ちたらあかんからと、ウォーキングをしたり、家の中でYouTubeを見ながら太極拳をする母。
健康診断でも当然健康体の母。
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わたしは東京から大阪に戻って、実家の近くに住むようになってまだ3か月だけど、長年の母の願いを叶えるために実家のフルリフォームの話を進めてきました。
業者さんとの打ち合わせに同席し、希望を伝える、何を優先させるかを一緒に考えるそんな3か月でした。
ようやくお盆休み明けに工事を始めると決まり、8月に入ったら荷造りスタートできるように段ボール箱を持ってきてもらうその日でした。
母が入院しました。脳梗塞で。
急性期病院の近くにあるクリニックにかかり、症状を伝え、画像診断検査に移り、紹介状を書いてもらい、そのまますぐに急性期病院に移動して、即入院となりました。
急性期病院は脳神経外科や内科は完全予約制のため受診ができないから、近くのクリニックでワンクッション…。
ここまで考えて、母1人で。
わたしは仕事で通院の付き添いができませんでした。娘のわたしが行かないのに、孫である息子たちに付き添いを頼むのも少し気が引けて、『しんどかったらタクシー使って行ってね、気をつけてね!』というしかできなかったんです。
電車に乗って、近いとはいえ、病院間を炎天下歩いて移動して…今思えばすごく怖いことしたと思います。
頭痛と右手の小指の痺れと歩くのが少しだるくて歩きづらいという症状で済んだのが不幸中の幸いでした。
管理体制のしっかりした病院に入院できて安心しました。
仕事終わりに入院の荷物を持って駆けつけました。主治医からの説明を受け、ほんの少しだけ母に会わせてもらいました。
笑いました。こんなにしっかりした入院患者なかなかいないよねって😂😂😂
笑えてよかった。ほんとによかったです。
次に面会できるのは1週間後、2名まで、10分。
持ってきて欲しいものをLINEで知らせてくるくらいなので、経過も良好なんだと思います。
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リフォーム前の断捨離と荷造りを母が入院している間に進めることにしました。
退院後に母に負担かけるわけにもいかないので、リフォームを延期してもしなくてもわたし1人でするのなら、なるべく早く母の念願のフルリフォームを実現してあげたいなと思ったからです。
食器棚、たんす、押入れ、戸棚、どこを開けてもきれいに整理整頓されていて…
わたしと大違いです。
すごいわ…。きちんとしてるなぁ…。
戸棚を、引き出しを開けるたびに同じ言葉を発しながら、涙が出てきました。
ほんとに1人できちんとできすぎる人で、
病気でも、しんどくても、自分で入院まで段取りしてしまう。
きちんとできる強い人である母に甘えすぎていて、頼ろうとせずに自分でやってしまおうと思わせてしまっていたのかもしれないなと思うと涙が止まらなくなりました。
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入院は2、3週間とのことで、退院後はうちで過ごすように、わたしは実家と自宅を片付けで大忙しですがすでに電池切れ。
でも、キッチンの戸棚から見つけたお弁当箱にほっこりしました。
わたしが幼稚園の頃使っていたアルミのミッキーのお弁当箱と、中高生の時に使っていた2段弁当箱です。
こんなのとってあるんだ〜と思うような懐かしいものを見つけながら、断捨離と荷造りを頑張ろうと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました😊またね〜👋
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