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ハタチの息子とワタシの20年〜学童期:いいところ100プリント〜

こんにちは、まゆきち☆です。
実家に帰って、たくさん飾られていた子どもたちの小さい頃の写真を見たら子育ての話を書きたくなりました。

今回は、長男の学童期エピソード。
はじまりはじまり。

落ち着きがない、怪我が多すぎる…
小学生時代の長男を表す代表的な形容詞として挙げられるものです。
この辺りから子育てが思い通りにいかないことに苛立ちを感じることが多くなりました。

どうして?

どうしてじっとしてくれない?
どうして静かに待てない?
どうしてゆっくりできないの?
どうしてそんなに怪我するの?
どうしてこのタイミング?

本人にもこの問いかけは日に何度も何度もしたと思います。
もちろん聞いてないし、響いてないので、
そのうち

じっとしてなさい!
静かにして!
ゆっくりやって!
落ち着きなさい!
また?

ため息と制止する声、夜になる頃にはワタシも疲れ果てていました。
この頃には次男も生まれていたので、次男を抱っこしながら、次男のこともしながらだったので、夜は読み聞かせのまま一緒に寝てしまうことも多々ありました。

この頃よく読んでいたのはこれ。

最後は長男をぎゅーするのがお決まり。

たくさん怒った日は小学生になっても、この絵本を読んでほしいと言われたこともありました。

まだ30代前半だったので、なんとか体力も夜まではもったけれど、今なら同じようにはできないだろうな〜。

個人面談では担任の先生も婉曲的に

面白くてお友達も多くて楽しい子なんですが、じっとしてないですね〜。
話聞いてくれているかな?

こんなことばかり言われていました。

怪我のエピソード

小学生のうちに運動会は6回ありますが、初めてフル参加できたのは3年生。

1年生の運動会前日
徒競走の練習をしていた長男は全力疾走で転んで街灯のポールに額をぶつけて、12針縫う大怪我。
初救急車でした。流血しながら、泣きながら救急隊員の方に、
「あした、うんどうかい出れますか?」と聞いてました。

救急隊員の方も苦笑いで、「ん~、どうかな~。お医者さんに診てもらいにいこうな〜、もう大丈夫やから泣かんとこな〜、お話もしなくていいよ〜」と優しく制してくれていましたが、興奮状態の流血長男は救急車の中でもずっと運動会出られるかどうかを聞いていたそう。救急車に同乗した父親曰く。

「出られるわけないやんー」の1年目の運動会


2年生の運動会当日の朝
左足首がびっくりするほど腫れていました。お弁当作り終えた私に
痛いけどいける、走れると言う長男。
靴も入りません。
前日遊んでいる時に足を捻挫したらしいです。

「言うてよー。アホなん〜?」の2年目の運動会


こうなると3年生の運動会が近づくとドキドキしてきます。
今年こそ参加してほしい。頼むから怪我しないでほしい。遊びに行かないで。サッカーしなくていいよ。
念願叶って運動会に出られた開会式の行進で、不覚にも泣いてしまいました。

6年生の冬(ウインタースクールの前)

最後の大怪我になります。東京に引っ越してからのお話。
当時6年生でウインタースクールといって、宿泊スキー体験がありました。
大阪ではスキー体験などなく、とても楽しみにしていた行事だったのに…
ウインタースクール20日ほど前に、友達と公園で鬼ごっこをしていた時に手首を骨折したのです。
木に登って逃げていたらしいのですが、その木の枝が折れたと…。

(木登りって…サッカーでも体育の授業でもなく、木登りで怪我って…今どきある?なんで、このタイミングなん?もう〜。)の小学生最後の大きな行事。

木から落ちて、手が痛いと泣いてると友達から連絡があり、急いで病院に行きましたが、レントゲンを見た先生が首を傾げているのです。

こんなに腫れて、こんなに痛がるので間違いなくここを負傷したんだと思いますが、骨折の形跡がない…。
おそらく、手首の関節に衝撃があってズレたんだけれど、奇跡的に元どおりきれいにはまった…という感じかなぁ。骨折の線が見られない。成長期で関節の部分、骨の端が柔らかいのでこのようなことになったんだと思う。

レントゲン的には無傷の謎の骨折となりました。

でも通常通りギプスをつけることになり、当然運動制限。スキーなんてとてもじゃないという感じでした。

それでもウインタースクールから帰ってきて「そりの達人になった」と楽しげに話してくれた彼は、どんな状況でも楽しめる天才やと思いました。

怒ってばかりの時期にやってみたこと

小学4年生くらいになると、だんだん怒ることばかりになりました。
口を開くと注意か怒っている自分にこのままではあかんわと危機感を持ち、何かで読んだ、「子どものいいところをたくさん挙げてみる」を実行してみました。

100個書いてやろうじゃないの!

そうそう、これだ!当時見たのはこのブログではないと思うのですが、親野智可等さんのメルマガだったか、本だったかで目にしたんだと思います。

パソコンでカタカタ。だんだん手が止まってきます。
髪の色がきれいとか、ほんの些細なことも引っ張り出してこないと100も挙げられません。もう必死です。

それでも不思議なことに、心は落ち着いてくるのです。
いいところを探すために思い浮かべる長男の顔、姿、声、行動。
宿題の本読みをしてる声がかわいい。
歌うのが好き。
サッカー選手の名前をたくさん知っている。
人を笑わせるのが得意。
いつも笑っている。

無理無理にでもいいところを探すための長男観察や思い出してみることで、

こんなにもたくさんいいとこあるやん…あるねんなぁ…あったのになぁ、怒ってばっかやったな…

気づきと反省の時間を与えてもらいました。

長男のいいところ100をプリントして、冷蔵庫の扉に貼っていました。
1日に何度もそれを目にして心を落ち着けた日もあるし、そんなもん目に入らない勢いで怒ったこともありました。
ギャングエイジと呼ばれる時期に何を思い出すかと言われると、冷蔵庫に貼ってあったプリント、汚れもついてバリバリになっていたそのプリントを思い出すのです。

その後、数回の引越しでどこにしまったかなぁ。
もう汚れてるし、捨てよかと思ったりもしたのですが、これは捨てたらあかんと思いとどまった記憶があるので、きっとどこかにあります。

時間がある時、思い当たるところを探してみようと思います。

ちなみに、次男のいいところ100個書いたりはしませんでした…。次男が好きじゃないのではなく、彼についてはあえて書き出すようなことをしなくても大丈夫だったということです。

男の子でも、ぜーんぜん違うんだなと次男を育てていくうちに感じることがたくさんありました。長男の破天荒ぶりが際立っていたんだってことを改めて気づかされるのです。

そんな長男もハタチ。
良好な母と息子関係だと思います。
時に時事問題を話題にしたり、女の子とご飯を食べに行く話だったり…

怒ってばかりだったあの頃からこんな風になるとは…彼の成長と、関わり方を変えたこと、タイミング。どこで変わったのかなと考えるとまたそのテーマでお話できそうだなという気もしてきました。

その時は親も必死で注意したり、怒ったりしているので、良かれと思っていることが伝わらず腹立たしかったり、うまくいかないと悲しくなったり、投げ出したくなったりするのですが、

長い目で見れば、
まぁ全部思い通りになんてできへんわな、
全部わかってもらえるわけないか、
ちょっとずつでいいか、
何度でも言ってやればいいか、
と少し緩めても全然問題ないんだと思うんです。

小学校〜中学校くらいまでの子育て期は一番自信がなく、うまくいかないと思っていた時期でしたが、ワタシの思う、こうすればいいのに、に収めようとしていたからしんどかっただけなのかもしれない。

うまくいかない時期があっても、そういう時こそ長い目で見たらきっと大丈夫って思うといいよって10年前の自分にも耳打ちしたいな。

書き起こしてみるとこんなに長くなってしまって…最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。うれしいです。





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まゆきち☆
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