離れ家の句会いそがし秋の蝶
信州高山村の一茶館には小林一茶の「離れ家」がある。
一茶が晩年頻繁に訪れた高山村で
一茶は門人久保田春耕から離れ家を提供され、
そこに寝泊まりし、俳句を詠み、句会を開き、
近隣の門人たちを指導していたらしい。
先週、第28回一茶ゆかりの里俳句大会の
授賞式の前に一茶の句をもとに情景画を描かれている
水墨画家・傅益瑶(ふ・えきよう)さんのトークがあった。
傅益瑶さんが説明してくれる一茶の句の意味合いが
今まで読んだり、聞いたりしたことと
全く違い、とても新鮮だった。
今まで読んだり、聞いたりした解釈は
一茶の苦労話が先にきて、
一茶が蝶に生まれ変わりたいとか、
苦労のない人達を皮肉った句だとか。
傅益瑶さんは違った。
文化革命の影響だろうか、南京出身の傅益瑶さんは一茶が実家の農業を継がなかったことを語り、この句は一茶が自分が蝶のように生きている純粋な喜びだと言う。
亡くなる前、一茶は信濃町柏原の自分の家を火事でなくし、焼け残った土蔵で暮らしていたこともあり、確かに信濃町に復元されている一茶の旧宅に比べ、高山村ではかなり良い生活をしていたと思われる離れ家が一茶館に移築・復元されている。
[ 離れ家の句会いそがし秋の蝶 ]
*写真は一茶館内離れ家にて昨日撮影。
掛け軸の句と絵は: