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大好きな亡き祖母との記憶から

育休中に起きた私の大事件!?を機に、
今後の仕事や働き方のモヤモヤが顔を出し・・・
手当たり次第やれることを始めたのが数か月前が経ちました。

幼少期~今を振り返る”心の旅”


幼少期から今までの経験や体験や、
そこで感じたことを言語化することをしました。

”キャリア面”のスキルや得意なこと、ということよりは、
どんなことに嬉しくなり、悲しくなり、ワクワクし、夢中になったのか。
自分が”何に心が動くのか”は、
いつの間にか分からなくなってたんですよね💦

ありがたいことですが、
目の前の仕事や育児や日々やることが満載の毎日を過ごしていると
自分がどう思うか、という気持ちを後回しにしてしまってます。

そして、仕事をしていると
アイデアを出したり意見を伝えたりすることは多々あるので
自分を表現しているつもりになっていました。
なので、自分の考えを言語化しているような気になっていたんです。

”仕事上”どうするといいと思うのかではなく、
様々な記憶に残る経験を”自分自身”がどう感じたか、という視点
この視点を大事に振り返ることにしました。


亡き祖母の記憶から


時間はかかりましたが、保育園時代、小学生時代~社会人まで
こんな経験や心の動きがあったなぁと振り返りました。

その一つが、大好きだった亡き祖母との記憶

祖母は、よく「キョンシー」(←知ってますか?)の真似をして
孫を驚かすような面白いおばあちゃんでした。
そして、桜の季節には、
得意の料理を食べきれないほど沢山作り
祖父母と一緒にお花見に出かけた記憶が残っています。


そんな祖母は、私が幼いころから入退院を繰り返していました。
入院中は、週末土日のどちらかは、
家族みんなで祖母のいる病院に行っていました。
片道1時間かかる病院だったので、
子ども心に、病院より遊びたいなぁって思っていたこともありました。


時間は”有限”


祖母が自宅に帰ってきていた時、
「もっと孫と遊びたい。まだ死にたくない」と苦しそうに話している姿を
見たことがありました。
祖母がいなくなるなんて想像できてなかったのですが、
それから間もなくして祖母が亡くなりました。

まだまだ一緒に遊びたい、そう思っていたのに、
突然その時間がなくなってしまう。
そんなことってあるんだぁ。
ぽっかりと心に穴があいたような感覚を初めて経験しました。


当たり前にいてくれた人に、突然会えなくなってしまう。
大好きな祖母の死は、
幼い私にはなかなか受け止められました。


どれくらい時間が経ってからでしょうか。
”時間は有限”なんだなと強く感じるようになりました。


「やらずして諦めたくない」


祖母との記憶、
そこから学んだことの1つ「時間は限りがある」こと。


この数か月、
キャリアの棚卸しをした時にも
何度も出てきたのが「やらずして諦めたくない」という言葉です。

ビジネスコーチングを受けた時にも
「なぜ、諦めたくない、と思うのだろうか?」という問いに
答えが見つからなかったのですが・・・
その奥深くには祖母の死から感じた”時間は有限”なんだ、
ということがあるのかなと今回気づきました。

だから、”やってみたい”という気持ちを大事にしたい。
これまでの様々な選択に大きく影響を与えてくれていました。


忘れてかけていた記憶を掘り起こすと、
自分を知れるヒントがまだまだありそうです。
またシェアさせていただきます☺




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