経歴
普通に自己紹介。
小さい頃から正義感の強い女でした。
あだ名は『婦人警官』
思春期は反抗期と塾で忙しく
成蹊大学に入学、留年、卒業しました。
高校から大学在学中に
方南町『なぎ屋』、
サブライムでの新店舗準備のアルバイトをさせてもらいながら、
飲食店経営を志しました。
元々は国語の教師になろうと
教員免許まで取得中、
子供の教育よりも、
入るハードルの低い飲食で、
お金以外の価値を見つけて
人が輝いていくのが魅力に感じました。
同時期に向島の料亭と
銀座でホステスのアルバイトをしていた為
今ではお恥ずかしいですが、
錚々たるメンバーに起業の相談に乗って頂いてました。
20歳くらいの私はとにかくトゲトゲしていて
自分のいいと思った人しか話さない、
すぐ嫌いな人に嫌いって言っちゃう
その場の空気なんか読まずにぶっ壊して帰る
そんな日常でした。
もちろん周りは面白い若者が居ると
そのままの勢いで行けー!
という人ばかりでした。
ですが、大学を出たからには、
大卒で入れる会社に入っておこうと言う気持ちと
経営者は24時間働くだろうと、24時間働いてるらしいと言う噂の
株式会社オプト(現デジタルホールディングス)に入社しました。
(2012年時点の話です)
オプトでもらった初めての名刺は
弊店のビール会社の現会長に渡して
『30歳で店を出したら必ず貴社のビールにします!』と約束したのもいい思い出です。
(オープンから今まで、10年前の約束は守り続けてます。)
そしてオプトというのは短い在籍の私でも分かるくらい、とても素敵な会社でした。
と言うのも
『出過ぎた杭は打たれない』
と言う社風だった為
トゲトゲしまくりの
『尊敬できない人とは協調できない』と
社長面接で言い放った私は
叩かれることもなく
トゲトゲを良い方向に伸ばそうと
してくれる所でした。
しかし私のビジネススキルは
新卒の中でもかなり低く
プレゼン以外苦手でした。
人が1時間で終わることを6時間泣きながらやった事もあります。
悔しくてビルを出ては毎日悔し泣きしてました。
そんな仕事の出来ない私は
物理的に時間が人よりかかり、
1日のほとんどを会社で過ごしてました。
コンビニのものは食べ尽くし、
顔が真っ赤に腫れ上がり
嘔吐も吐血も経験し
ある日、倒れました。
これが躁鬱病との出会いです。
この文章の中だけでも
今なら圧倒的に躁鬱になる人間だと判別できます。
真面目すぎる、人の不正は許せない
仕事ができない、謎の根性
長時間働くだけで満足してる
そらなりますわ。
そして闘病に入るわけなのですが、
それはいつか書きたいとして、
私がいま穏やかになって、トゲトゲも取れて
人に優しく出来るようになったのは
鬱の人の考え方をやめようと
『ゆるキャラにやる』と目標をたて
精神的にも見た目的にもゆるキャラになれたからです。
頑張り過ぎて生きなくても
ゆるキャラでも知らなかった幸せも沢山ある。
真由は今日も幸せです。