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令和モダニズムな日帰り列車の旅


2022年の10月ごろ、ちょうど今くらいの気温を感じながら、私は上越新幹線に乗り、新潟は上越妙高へ訪れた。


目的地は、高田という聞き馴染みのない街。


私が好きな日食なつこさんのピアノソロライブが高田世界館と言う場所で開催された。



その日は、起きた時から久しく感じていなかった胸の高鳴りに少しだけそわそわしていた。


事前に調べたライブ会場のレトロ感に惚れ惚れし、生の日食なつこの姿をこの目で見るために、自分のモチベーションもオシャレで上げる。



冬の乾燥に向けてちょうど加湿器を押入れから引っ張り出した。そんな季節の変わり目に、神奈川、新潟どちらにいても情景に浮かない服を考えた。



新潟は関東よりも2、3度気温が下がるイメージ。



それでもオシャレは我慢だと誰かに聞いた。



色合い重視で行った。
ベージュ系で秋感を残しつつ、大柄なチェックのコートで冬前感。
本当はブーツで行きたい気持ちだったが、早歩きすぎる連れに合わせて、足元はスニーカーをチョイス。


気合いを入れて、さぁ!上野駅へ。



わざわざスニーカーを選んだのにも関わらず、行きで予定してた新幹線に乗れないと言う最大のミスを犯してしまった。



乗り遅れた理由すらも記憶は曖昧だが


いい大人たちが、本気で喧嘩した事だけは覚えてる。駅のホームで。


今までであれば、変に気を遣って帰るのが私だったかも知れない。


でも今回は新潟に向かう。次の新幹線が来る。

私は、どうしてもあの会場をこの目で観たかったし、生の日食さんに会いたかった。


過ぎてしまったことにいつまでも怒っても仕方がない。行くと決めたのなら楽しもうと開き直った。


淀んだ空気は突然風と共に去って、ホームにはアナウンスが響いた。


来る!と胸を弾ませ、そちらに目をやると、重厚感ある青い顔をした上越新幹線が、思っていたよりも静かにやってきた。


新幹線を見てテンションが上がったのは初めてだった。


案外上越新幹線はカッコよかった。


一本遅れた新幹線。
席に座り、最後にライブに行ったのはいつだったか考える。


BIG BANGがまだ5人で活動していた頃。MADEのツアーに行った2015年。
あれから7年ぶりのライブだった。


わざわざ新幹線に乗ってライブを見に行く。そんな贅沢な時間を、自分が過ごせるようになった事への照れ臭さも少しだけあった。


知らない街で見るこれからに、喧嘩した事も忘れ、ワクワクが加速していった。



上越妙高まであっという間の2時間だった。


高田駅に向かい、時刻はすでにライブ開始の18時を過ぎていた。



急いで、会場までタクシーで行った。




3分ほどの短い時間だというのに、子供のように窓に張り付いて街を眺めた。


小さな雁木造りの商店街。
この時間でも人通りは少なく、シャッターはほぼ閉まっていた。
パッと見ただけで感じる、街の空気感や趣。


人らしい生活を少し羨ましく思った時には、会場へとたどり着いてた。





since 1911 日本最古の映画館

高田世界観

看板には大きなレトロ文字でそう書いてあった。



改めて見る1911年と、日本最古の文字に私の目はキラキラした。



レトロな外観に見惚れている時間などないまま、私たちはひっそりと、会場の重い扉を開いた。




2階から見たステージでは、グランドピアノと日食さんが跳ねるようにグローネンダールを歌っていた。


生の日食さんは想像してたより華奢だった。


母のような優しい歌声と、どこか力強く女性らしくもあり、ロックな日食なつこの詩が好き。



少し照れくさそうな、MCと日食さんの好きなものを知った。


生で聴くピアノの音は、目を瞑るとすぐに懐かしい情景や、忘れられない思いや、悔やんだ過去。がいくつも脳裏で流れた。



美しい音色と空間に私は溶けていった。



初めて日食なつこさんを知ったキッカケの歌は



廊下を走るな
だった。


いつのまにか私にとって、大好きで大切な曲になっていた歌が最後の最後に聴けた。



今日まで、たくさんの疑問を抱いた。
私はその疑問をそのままにしてしまった。

歳を重ねていくと忘れてしまう事があるのか、大人は人生の答えを知っている気がしてた子供時代。


幼い頃抱いた刹那な感情は、目の前の生活と共に許容されていって、不確かなものと変わって行った。



ふと、一人になると自分が正しい気がする時もある。


学校で教わったはずのことはいつのまにか出来なくなって、忘れていった。



大人になればなるほど頑固になって、自分のエゴを押し付けるようになっては、傲慢になっていた自分。


変わらない毎日や、抜け出せない現状、叶えたい夢があっても、身動きが取れなったり、心が折れる日もあった。


それでもまた立ち上がれるのも、また前に進めるのも好きな音楽や、その都度、背中を押してくれる人達や、好きな人がいたからな気がした。




私にとってどこか先生みたいな存在となっていた、日食さんの詩にはいつも心を洗われる。間違ってなかったのかも。と思わせてくれる。




アンコールの歌が終わり、ライブはあっという間に、幕を閉じた。



高田世界館の雰囲気を満喫する余裕も、新潟観光など出来る程の時間の余裕はない。



なぜなら、日帰りだから。




この景色、ここへ訪れた事を、忘れぬよう写真を幾つも撮って、会場を後にした。




ライブの余韻に少し浸りたかった私たちは、高田世界館の近くで腰を下ろして一息ついた。


ピアノ弾き語りソロツアーLive『令和モダニズム』

かつて西洋文化が勢いよくなだれ込んできた頃の和洋折衷あかるくひらけた文明開化時代の日本、その名残を色濃く感じる洋館や講堂といった
レトロで趣ある会場をわたり歩くツアー。



ライブツアーの情報が出た時に、フライヤーを見てこのコンセプトでライブをしている人がいることに感激した。

アーティスト=ドームやスタジアムではなく、高田世界館でライブをしたいと思って、それを実現した日食さんの想い、人や歴史が紡ぐ物の意味とその美しさ。



それを考えるだけで私の世界はいつもより澄んで見える。





全く違う視点で楽しんだ1日となった。



今まで行ったライブ会場は、圧倒的な人の多さと、異常なほど並ぶ女子トイレ。
楽しかったライブあとは、余韻を感じる間もなく同じ会場から出ていく人の波に揉まれ、満員電車で帰宅。足と感情はディズニーランドの帰りと同じ感じ。




今回のライブはいつもと違った。


規模150人ほどのピアノ弾き語りソロライブに行くこと、誰かに合わせたりせずに私が好きと言えるアーティストに出会い、生歌聴きたい。と思った人に会いにいく感覚や、ドームやスタジアムではない珍しいライブ会場とコンセプト。


全てが魅力的で刺激的で新鮮だった。


帰りたくない気持ちを残しつつ、少し重い腰を上げて、帰りは高田駅までの裏道を楽しんだ。



ちょろちょろと流れる川の音が鮮明に聞こえる。


田舎道は空気が澄んでいて、たくさん深呼吸をした。街のあちらこちらで聞こえる、自然の音に耳を傾けたくなった。


閑散とした街の中で、家路に向かうお父さんの姿さえ都会とは違く、少しだけ暖かな背中に映った。



高田駅の改札には駅員さんの姿は見えない。
木の改札に、ICカードは使えず。

川崎にいればそんな光景を目にすることはない。


見えない誰かを信頼する気持ち、皆が豊かに暮らす為に。人々のそんな想いが伺えた。



高田駅の自販機であったか〜い缶コーヒーを買って、暖をとりながら上越妙高へ向かった。




駅に着くと、行きには感じれなかった木の匂いに誘われた。


上を見ると、杉の木で作られたドーム型の天井に囲まれていた。心地よい木の匂いに包まれながら、帰りのホームへ向かった。




私のミスから始まった1日。
気まずい空気で街や風景を見渡す余裕もなく、行きに気づけなかったことも、帰り道で見る景色は全く違う風景に見えた。




アナウンスが響き、上越新幹線がやってきた。



帰りの道中では、今日の出来事を忘れぬよう過ぎ去っていく新潟の景色を眺めながら、感じたことを携帯のメモに残した。



スニーカーで行ったはずなのに、家に着く頃には足も身体も疲れていた。





今年、寒くなってくると新幹線に乗りたくなる自分にふと気が付いた。



なんでだろう?


自分のルーツを探ろうと、なんとなしに携帯のメモを開くとこの日のメモが残っていた。


2年前のことが、今にも思い出せるのはこのメモが残されていたからだ。



私たちが訪れた2022年に創業111年を迎えた高田世界館は、パワースポットのようだった。


そして、いつの間にか好きな事の一つに、列車の旅が増えていた。



次は雪が降る季節に新潟へ訪れたい。



そして改めて、日本最古の映画館で映画を観てみたい。




キャバ嬢のワタシ




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