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ゴミをゴミ箱に投げて入る確率と私たちに備わっている脳の話
自分が使った爪楊枝をティッシュにくるみ
一つになったゴミをゴミ箱に投げてみた。
見事に両方とも入った。
その時私はこう思った。
ゴミ箱にゴミが入らないという経験が前より減ったなぁ。
そんな事から今日はノートを開いた。
ゴミ箱にゴミを投げたことがある人は
多くの人が経験しているのではないだろうか。
もちろん経験がない人もいるとは思う。
そんな中で私が今日感じたのは
ゴミ箱に投げる物の重さと距離を
無意識な感覚で掴んでいる事を知り
私が怠惰な人間であることも一緒に気付く。
これです。
何に気付いたかと言うと
30年間ゴミを投げ続けている人と、ゴミを投げて捨てた事がない人では、ゴミを投げそれがゴミ箱に入る確率には圧倒的な差が出るはずだ!
そんなことに気付いた。
ゴミ箱に確実に入れられる私が凄いのではない。
人間の脳凄くない?
ってこと。
入らなかった時はもちろん二度手間だし、予想通りゴミ箱の横に入らずに落ちてしまったゴミを拾いそのままゴミ箱に捨てるんだけれども
効率とか後々のめんどくささを考えると
普通に捨てる事の方が手っ取り早い事をわかっていても、あえて日常にちょっとしたゲーム性を持って、ゴミ箱にゴミを投げるのはなんでだろう。
と考えた。
そう。私が怠惰だから。
いや、本当にそうなのか?
いや、まあ本質的にそうではあるんだけど
それだけか?
これは私から生まれたユーモアであり感性だ。
と思ったわけです。
各々捉え方の問題ではあるが、今回こうして文字にして改めて考えてみると、私は様々な場で人間ってすごいな!人って面白いな。って思う事がたくさんある。
まず自分が今住んでる家すら人間の手によって作られてるし、私が働いてる場所も、当たり前のように通勤で使う電車も、世界で活躍しているTOYOTAの車も、全てはきっと人々が豊かになる為に作られた。
物書きを始め、ノートを書くことによって増えた視点だった。
昨年私は芸術に興味を持ち上野の森美術館へ訪れた。
サムネイルの写真はその時の写真だ。
長坂真護さんという人をこの時私は初めて知った。
長坂 真護(ながさか まご、1984年8月10日 - )は、日本の社会活動家・アーティストである。福井県福井市出身。現在、MAGO CREATIONの代表取締役を務めている。
1人の少女がゴミの山でゴミを持っている報道写真を雑誌『Forbes』で見て興味を持ち"世界最大級の電子機器の墓場"という別名を持つガーナのスラム街「アグボグブロシー」を訪れ、1日500円程度の日当で先進国が投棄した電子機器を燃やして生活する人々を見て、アートで先進国に対してアグボグブロシーの惨状を伝えることを決意している。(Wikipedia参照)
廃材を利用するという発想からこの作品が生まれた。
これを見た時
私には何が出来るんだろうか。と
この絵を前に立ちすくむしかなかった。
だからこそ私も今は、自分に備えられた一番賢いであろう、脳と対話を繰り返し、私の中から生まれる何かに少しだけ期待している。
幼い頃に見た物は全てが真新しく、自分の手で触れ、それがどういうものかを知る。これは興味だ。
いつもの帰り道、何気なく目を落としたら
あそこの花壇にキレイな花が咲いていた事に
意外と私たちは気付いていなかったりする。
気付きは人を救えると私は今日も信じ続けている。
常にアンテナを張り続ける事は難しい事であるけれど、人の目の奥をちゃんと見ようと思ったその時から、その人の本質に今よりは少なからず近付けるようになる。
だからこそ日々無意識に動き続けている脳に
少しだけ意識を向ける事で、昨日気付けなかった事に気付いたり、誰かの人生に少しだけ影響を与えられるのかもしれない。
今日はそんな事を感じた日でした。
これからも私はゴミをゴミ箱に投げ続けますが、ちょっとだけ怠惰が過ぎるので、もう少しだけ丁寧に生活するのが今年のちっちゃな目標でもあります。
今日という日に、少しだけ意識を向けて
平和な世界線を見つけてみて🌍🪽
そんなほっこり話あったらコメント欄にでも🗣️
See ya 🪽
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