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「自分は何をしている人なのか」を示せるようになりたい。
ここ数年、ずっと
【私=何をしている人】を上手く自己紹介できず、
いろんな機会を逃している気がしてたまらない。
「わかってもらいやすい人」になれていないから、
せっかく貴重な人に会える場に出向けても、その機会を次に繋げることができずにいる感覚でいるのだ。
一番わかりやすいのは、SNSで名前の横に肩書きをつけられる人。
例)
”まゆー@〇〇をやっている人”
”まゆー@Webライター”
”まゆー@台湾ブロガー”
"まゆー@〇〇なコミュニティマネージャー”
……
なんて具合に、情報過剰氾濫気味のWebの大海で、
日本人ユーザーを中心によく見かけるアレ。
これらは少し日本人特有の固定文章的なところもあり、
そこまでのものはなくても良いし、極端な例ではあるが、
少なくとも初めて会う人、久しぶりに会う人に
「何をされているんですか?/ What do you do? / 妳的工作(職業)是什麼?」
って聞かれる時に、仕事にせよ趣味にせよ、
自信持って答えられるようになりたい。
そしてまた、声かけてもらえる人になりたい。
今はそれがないのが、悩み・コンプレックスであり続けている日々。
それを答えることによって、
「まゆー=〇〇な人」
って頭の片隅にでも覚えてもらえることで、また声をかけてもらえたり、
何かまた面白い人・イベント・機会・ハプニングに出会い
人生が拡大する可能性が広がると思っているからだ。
口頭で端的に伝えるのが難しいならば、
何か名刺のようにまとめて渡せるようにするのか、
自分なりのプラットフォーム(Notion、ブログ、Webサイト、SNS、YouTubeなど動画配信サイト など)にまとめておいて共有すれば、
あとで何かの拍子に、受け取った方の日常のどこかで1インプレッションでも発生すれば、思い出してもらえるかもしれない、また何かの拍子に再びコミュニケーションを図り面白い展開が生まれるかもしれない。
でも、今はそれすら用意したり、発信するネタが見つからずにいる。
***
今週は平日はオンライン、週末はそれなりの数の人と直接会う機会に恵まれた。
でも、どちらでもやっぱり「何をされているんですか?」に上手く答えられずに撃沈。
その場はいろんなことを話せて楽しかったが、やっぱり最後に心に残るのは
”私は相手にどれだけのインパクトを残せているのか”
ユニークで面白い、わけわからん、ぶっとび系、だけど自然体でいる人が大好物なのだが、
その裏は自分のインパクトの無さへのコンプレックスがきっとある。
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・生き方を知りたいって思える。
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***
何かに長けた、熱量を持って人にぶつけるものがまだ持てていない人間の場合、
どうやって次にまた”喋ってみたい””会ってみたい”って思ってもらえる人になれる振る舞いができるのか。
一つは、「何かを現在進行形でやっている」ことを伝えていくことだと思う。
”何かに挑戦中”、と言えるものがあり、それを聞いた人が興味を持てば
次の話題が生まれるかもしれない。
それを人に伝えることで、他にも類似の興味を持つ、あるいは同じく現在進行中で取り組んでいる人がいれば、繋がり良い情報交換や次へのヒントを見出せるかもしれない。
場合によっては、”成長中”の姿を見せることになり、応援者がつくかもしれない。
以前オーストラリアでのワーキングホリデー中、その時いた小さな町での生活を続けたいから、毎日町中を歩き出会う人全員に声をかけて、会話をするところから始めていた。
人と話すことで、相手の方から「あそこ・あの人からなら何か欲しい情報見つかるかも!」と繰り返し小さなヒントをいただき、それを辿り時には数百キロ先まで誰かを頼りに移動し行動を続けていくことで、有難いことに望み通りの仕事と生活を手に入れた。
あの時の皆と共有できた喜びと達成感が、今に至るまでの長い間、
私の力の土台となってくれている。
だが今は、「現在進行形で何をやればよいのか」にすら辿り着けていない。
となると、やっぱりここに戻ってきてしまう。
「続けられることを見つけ、実践し続ける」
私はこれを直近、生活にも直結する”仕事”に強く求めてきたが、
なかなか悪戦苦闘中。
加えて、趣味やプライベート時間で何かやってみても、
なかなか続かない。
物事をちょっと触れば満足してしまいがちな私には、”続けている”は最も困難で夢のまた夢な状態。
***
何だったら続けられるのか。
逆に、何か続いていることってあるのか。
「私の感覚で”面白い”人、空間、場を、別の面白いそれらとくっつけていく」
これかも。
台湾ぐらしを始める直前、私は京都で
”Authentic Experience/本物の体験”とのキャッチコピーに導かれやってくるインバウンドのお客様と、
イベントを考案・提供いただく現地京都の多様なプロの方々(茶道先生、呉服屋さん、舞踊家さん、通訳案内士さん、元芸妓さん、伝統工芸工房さん など)を繋げ、イベントを模様し、両者が喜んでくれ次のきっかけが生まれる場の一スタッフ・イベント打ち合わせを担当していたことがある。
これまで滞在場所の変化とともに、業界異なる場でお仕事させていただいてきたが、
あの時の面白い人と面白い人がマッチし、スパークした結果
皆が喜んでくれている空間が生まれる時間がとても好きで心地よかった。
その職場のボスはなかなか破天荒で、日々日々色々なありえないハプニングもあったが、
その嵐が撒き散らした現場を片づけ、まとめていくことで皆が喜んでくれる、なんともツッコミどころたっぷりな場。
でもそれが、人間ドラマが飛び交うようで、楽しかったのである。
中国語もまだまだおぼつかず、英語もどんどん聞いて話す機会が減ってきている今日この頃だが(というか、以前からどちらも”なぜか通じている”状態で、時によっては仕事もしてきた)、
何かまた、”面白い”と”面白い”をマッチアップし続けられる場に身を置き続けられたら、自分の行動が楽しくなり、
人に「何してるの?」って聞かれても、仕事としては答えられずとも
少なくとも何に興味を持ち動いている人間なのかは伝えられる。
台北で、台湾でそんな場づくりができたら良いな〜、と願いながら
毎日面白そうな場があれば飛び込み、諦めずアンテナを貼り続けていく。
そして、この人とこの人出会ってもらったら、絶対場がスパークし面白くなる!と感じたら場を設けていく。
11年前、初めての海外生活の頃にインパクトある形で出会ってくれてから、
何か今は頑張り時、という時にいつも励ましてくれてきた
Adeleの楽曲を聴きながら、つらつらと綴る週末でした。