出逢えてよかった、2023年ログ。
こんにちは。台湾台北市より、まゆーです。
noteにこうして文章を投稿するのは、かなり久しぶりです。
昨年・2023年は気づけば、感謝日記のみの投稿で終えてしまっていたのですが、
2023年は、地道にモクモクと過ごした時間をベースとしつつ、
モヤモヤ悩んだ時期もありながらも、振り返ると何年もやりたかったことを叶えられていたり、
これまで出逢えたことがなかった皆さんに出逢えて、新たな生き方の学びになったり。
コロナの影響として残っていた、台湾国内のマスク着用の規制もほぼなくなり、
5月に台北に戻ってきて以降は病院訪問以外は着用しなくなったりもした。
ということで、私自身にとってもちゃんと書き残しておきたい1年であったこともあり、
今回は久しぶりに一筆書き残そうと思い立ちました。
2020年にnoteを開始して早4年弱ほど。
でも、まだまだ定期的に文を綴ることに慣れるのは遠い道となっている。
世間では、2024年元旦早々、
震災や飛行機事故なども発生しており、心許ない時間が続いていますし、
そもそも書くことから大分離れてしまい、ご一読いただきにくい部分も多々あるかと思いますが、
台北喧騒の片隅をベースとして、こんな1年を送った人間がいること残させてもらえると幸いです。
2024年お正月期間中に書ききることを目標としていましたが、時間経過早すぎて・・・もう初夏(執筆完了時点で5月頭)!!
私個人の備忘録を主な目的として、ざーっと書き出していきます(なので言葉足らずなところや、謎な部分も多々あるかと思います…!)。
1月 - ノマドニアと出会う
2023年一番初めの大きな出会いは『ノマドニア』でした。
きっかけはFacebookで広告に当たったこと。
「1ヶ月で10職種を体験する海外ワークショップ」
というキャッチコピーと共に私の目に留まり、
参加を決断する前に、無料の説明会でワークショップの方とお話しできる
ということを知り、取り急ぎポチッと。
説明会に参加し、ただ一方的にプログラム内容について聞くのみでなく、
担当者さんに今の私の状況、プログラムに参加することで得られるだろう私にとってのメリットに認識齟齬がないか直接話してみた結果、申し込むことに。
参加時にかかる総費用を考慮すると決して安くはない決断ではあるが、
申し込みを後押ししたのは、その直前数ヶ月、
”働き方”に迷いと不安、なんとかしなきゃ!とのそこそこ強いモヤモヤがあったからだ。
私は2022年2月に、約4年弱台湾現地採用社員の身でAccount Manager(AM。主にWeb広告運用担当)として働いていた職場を離職し、
同年3月以降、中国語(台湾華語)語学学校に半年間通いながら、
日本国内企業様のWeb広告&SNS運用を業務委託で担当していた(語学学校卒業後も2023年3月まで継続した)。
その際の報酬や待遇は正直良かった方との認識であったが、
主に以下2点、不安があった。
1.は、台湾現地採用社員としてWeb広告運用業務を始めた当初からずっと悩み、色々働くということへの意識・捉え方を変えようとしてみたり、
こういう業界、ビジネスもあるのか、と受け入れる努力もしてみたが、
違和感は少なくなることなく、時間が経過してしまった。
この違和感を抱えたまま、仕事をし続けるのが嫌だったので、仕事そのものを変えるきっかけが欲しかった。
2.は、単刀直入に
”孤独”
な状況をなんとかしたかった。
正社員であれば、フルリモートであっても、社内外会議や社内イベントで
仕事のことはもちろん、公私共々たわいのない話ができて、
一緒にお仕事するみなさんの人ととなり・近況を知りつつ、”つながり”を感じながらお仕事しやすい。
そして、仕事に直接関わるアップデートも、他のメンバーからとの会話や社内研修などを通じて機会を逃しにくい。
でも、業務委託ワーカー、フリーランスとなると
業務知識のアップデートはもちろん、人とのつながりも全て自分でそのチャンスを見つけ続けていかないといけない。
2022年当時の業務先の皆さんとは、大体週一定例で言葉を交わす機会はあったが、
基本的に私担当部分以外の部分で時間を費やすMTGとなりやすかったので、
実質業務に関する最低限の報告・相談に留まっていた(業務以外の、一緒に働くみなさんの人となり・動きなどは、それぞれのSNSをリサーチしたりして拾い集めていた)。
この先もずっと業務委託・フリーランスとしてやっていくならば、
せめて業務に関するアップデートがしやすい環境をなるべく見つけ、
正社員時のように、半自動的に必要情報に触れられる環境が欲しかった。
そして、時にはふとした会話もできる相手が欲しい、その時間が仕事であっても私は大切だったんだ、それがあったからどの職場でも仕事を続けられてきたんだ、とより強く思うようになったためである。
2月 -”ダイヤモンド”に出会う
1月のノマドニア申し込みの前、
2022年秋の終わりより、別軸でも取り組んでいたものがあった。
自分の"ダイヤモンド”を発掘すること。
ダイヤモンド発掘?どういうこと?
意味不明街道まっしぐらですよね^^;
ここで言うダイヤモンドは、
=<本来の自分>(自分らしさを全開にして生きている状態)
のことを指します。
自分らしさ全開にしている状態をさまざまな手法を用いて引き出し、
半強制的に「最高〜〜!!」な状態になり、自分で頭と感覚的に認識するのです。
自分の魅力や能力を最大限に発揮できている時の自分
を知っておくことで、
日常で悩んだり、モヤモヤした時に立ち返る場所・太い軸を持っておく。
自分の土台を知ることで、より安心して挑戦し生きていけるようになる。
それがダイヤモンドに向き合うことの到達点。
2月はその取り組みの一つの終着点だった。
所によっては「ダイヤモンドプログラム」
などとも呼ばれている。
かつて、『♪ダイヤモンド』を歌った日本の5人組ガールズバンド「プリンセスプリンセス」も、このプログラムを受けたから『♪ダイヤモンド』が生まれ、ヒットするきっかけとなったそうだ。
元々初めに参加するチャンスは今から6年前・2018年にあった。
当時出会った仲間たちはほぼ全員、その時に発掘達成していたが、
私はちょうど台湾移住挑戦のタイミングだったことや、コストの問題も考慮し
数少ない辞退者となった
(コストかけても全員が必ず発掘できるわけではない、という前置きもどこかひっかかっていたのかも。特に私はひねくれものの自覚もあるのでw)。
人生の中で日常過ごしていれば、そう出会う機会でもないし、
別にやらなくても良いこと(世間的に見れば怪しさ爆発してるプログラムですしw)。
でも、なぜか5年ほど経過してもずっとあの時受けられなかったことが
心の中に留まっていた。
5年経過し、ふと足を動かしたタイミングで受講のチャンスがまたやってきた。
これを受けずにこの先を生きていく自分、はどうも想像できず。5年遅れで飛び込むこととなった。
***
プログラム受講前の日々の事前準備を得て、いざ本番。
結果、無事自分のダイヤモンドと出会えました。
感想。
これはある程度詳細知らないと全力意味不明すぎるかと思いますが、
今回自分のアウトプットの場としてこのNoteを書き出しているので、
あえて言葉にさせてください(意味不明すぎると思うので、読み飛ばしてください)。
・5年前に当時受けた皆から諸々聞いていた内容よりは、より平和で発掘しやすいプログラムに進化していた。
・あの内容をオンライン完結させてしまえる、講師のAさん、すごすぎる。
→コロナ挟み、さまざまなオンラインイベント・MTG・ワークショップ参加してきたけど、あれだけの心理的安全性・集中できる空間を作り出せているのは、今のところAさんの講座のみ。他で同様の講座に参加したことある方も似た感想をおっしゃっていた。
→3日間全日使ってのZoom開催。コロナ前まではオフライン、かつ絶対に全員逃げ出せない孤立した場所を会場として選ばれがちだった。そして大分カオス(プログラム詳細は参加するまで絶対に明かされないので、当時参加した皆からかなりやーんわり聞いた内容を参照)。
・自分が本当に好きだ!楽しい!って側から見てもすぐわかるくらいの自分がどう言う状態なのか、知ることができた。
・講座終わってすぐの自分を撮影した写真が、これまでにない全力笑顔だった。
・自分の中にはほとんどない、と思っていたものが実は重くどっしりあることがわかった。自分の一つの軸としてこれからも生きていけそう。
・私は私であった。
3月 - 4年半続けたWeb広告運用職を卒業
私は一度に複数の取り組み集中するのが昔から苦手。
皆さまざまな活動を両立しながらやっていた大学時の期末考査時なども、テスト本番2週間前からは全てのアルバイト、学内団体活動でお休みをもらい、テスト勉強だけに集中しないとやっていけなかったくらい
(なのに金融機関窓口&後方事務など、社会人になって以降の仕事ではそれなりにマルチタスクな業務につくこともあった不思議…)。
なので、4月以降のノマドニア参加期間はなるべく講座だけに集中したかったため、3月月末で業務委託でいただいていたWeb広告&SNS運用のお仕事を手放させてもらうこととなった。
正直2024年4月の今となっては、ボリュームなるべく抑えながら続けても良かったようにも思う節は少しある。
理由は、単純に過去正社員として得た経験を少なからず程度転用できる環境だったので、時給単価が高く、
2022年に日中中国語学学校通いながら夕方1日2-3時間だけ働いた時間も、1日あたりの報酬額は現在より高い日が多かったため。
そして、今より1日、1週間、一つでいただける報酬を予測計算しやすかったし、業務も今よりはなんでも決定権いただける機会多く、業務時間中の自由度があった(現在はタスク単位で稼働開始・終了のt度にオンラインタイムカードを切らないといけず、”時給”でなく実質”分給”で報酬をもらう生活が続いている。なのに業務先によっては時間拘束も発生している)。
実際ノマドニア参加時間中に、お仕事しているプログラム同期もいた(他の期と比べるとその人数は少なめだったが)。
そして彼女たちは他同期と比べると、これまで圧倒的に報酬幅を伸ばしてきている。
最初は少しであっても、すでに業務委託ワーカー・フリーランスなどとして、自分で仕事を獲得し続けている土台があると、その後も伸ばしやすいのかもしれない。
ただ、そもそも私がWeb広告運用(やSNSを含む運用系のお仕事)を手放したかった理由に立ち返ると、主に以下がある。
・生活にオンオフをつけにくい(運用が続く限りは、365日24時間、業務時間外もいつ何時エラーが発生するかわからない。その対応に振り回されたりする)
・効果が出ない時間が続くと広告予算を垂れ流している感覚にモヤモヤさせられる
・達成感を得にくい。仕事に区切り・スッキリ感を持たせにくい
・苦手な数字とずっと向き合い続けることとなる
収入どうこうより、そもそも「働き方」「お仕事のタイプ」
の問題でずっとモヤモヤしていたんですよね。
現地採用社員在職中も、上司や同僚、出会えた人に皆どう対応しているのか聞いてきたが、私が悩むポイントは他の人にとっては大きな悩みポイントとなっていなかったことが多かった。
ノマドニアを通じて、参加目標だった同じく広告運用・SNS運用をやっている方に出会えてはいるので、
続けていれば、そのつながりを通じて、もう少し仕事と向き合う心境的な改善はできていたかもですが、
4年以上向き合ってほぼ変わらなかったこのモヤモヤと、
今後仕事ができなくなる年齢まで向き合えるかというと、NOだった。
だから一回離れてみるのは、良い選択肢だったかと思う。
収入はまだまだWeb広告運用者だった頃には追いついていないが、
少なくともオンオフはつけやすい生活を手には入れているし、おかげで念願のオーストラリア再訪も達成できた一年だったので。
4月 - ノマドニアでバリ滞在
「4月にバリ行ってくるわー!」と2月ごろに共に暮らすパートナー(夫)にほぼ一方的に伝え(何か行動起こす時は、大体いつも事後報告w 猫のように自由にさせてくれてありがとう)、
3月まで事前のオンラインミートアップに参加し、どんな参加者さんが他にいるのかゆるゆる認識し
(他会場・ジョージアの参加者も同じタイミングでZoom参加されていたので大人数。同期全員は把握できていなかったことが、参加開始後に判明)、4月頭過ぎに出発。
9年ぶりのシンガポール・チャンギ空港を経由で楽しんだ後、バリ・ングラライ国際空港到着。
Booking.comのポイントが貯まっていたので、Booking.com経由で事前予約していた現地タクシーに乗り、会場があるチャングーエリアのお宿へ。
道中お喋りさせてもらったタクシーの運ちゃん、
コロナ禍のバリのこと、その前後の変化、日本人来訪者数の変遷など、色んなこの場所のバックグラウンドを教えてくれて、とても学びになる良い時間でした。
チャングーのメインストリート・Jalan Pantai Batu Bolong沿い、バイクタクシー10分(徒歩1時間弱)ほど北側にあるWarung Shisha(ワルンシーシャ)で開催されたワークショッププログラム。
平日午前中シーシャ店内を貸切でお借りしプログラムを受けた後、午後から夕方にかけて課題をこなしたり、課題のない日は同期と一緒にお喋りや外出を楽しんだり。
ぶっちゃけると、私の参加回は結構テンション高く楽しむ皆が多く(その前の回までに参加されていた先輩方には陽キャ集団、なんて言われてたような…w)、
外出シーンが想定より多かったこともあるのか、現地滞在費用は当初予定より多くなりましたw
でも、ちゃんと10講座全て受けて、課題にも取り組み、最終日までやりこなした!
公式サイトでも記述があるように、
このプログラムは参加したからと言って、何かすぐに仕事を得られるものではなく、あくまで
「自分の働き方と向き合うトライアル時間&普通に生活していたら出会えないタイプの皆さんから、自分の働き方・生き方のヒントを得る場」
として活用。
漏れなくついてくるものの中で、比較的卒業後も活用できるものとして挙げるならば、「オンラインコミュニティへの参加権」でしょうか(海外現地での本プログラム参加開始前でも、講座申し込み完了した時点でお邪魔すること可能)。
→継続してコミュニティを積極的に活用されている方は、以下などの場として活用されています。
プログラム内で体験できる10職種は、開催回により異なります。
私たちの参加回では、以下の職種の体験時間を提供いただきました。
それぞれの課題は、前職のWeb広告運用時に使っていた各種ツール等のスキルを生かし手取り組んだので、私は比較的基本的なことをゆるっとは完成まで行けたかな。
・・・Webライティング以外(ライティングは夜遅く提出期限ギリギリまで粘ったが、自身ない仕上がりとなった。これを繰り返すの辛い、と一番感じた職種でした^^;)。
体験した職種のうち、すぐにこれやりたい!!今日からやるぞー!とはっきり感じたものは正直なかったのですが、
比較的強めの興味を持ったのは、以下でした。
・コーチング(過去一度挫折しているが、人の喜び・次に進む一歩をお手伝いできる仕事であることに変わらず興味を持っている)
・コミュニティマネージャー(人と関わる時間が多い印象だった。私がぼんやり思い描いていた「人をつないで幸せにする」(キーワード:”つながり”)もなんかの形で叶えられる気がした職種だった)
・動画編集(これも過去Youtube投稿挫折をしている。日常的に動画のカットや簡単な編集はSNS投稿向けにやってきたし好きな分野。再挑戦を考えだした)
・グラフィックデザイン(広告運用などでCanvaを使用しバナー&簡単な動画作成はやってきた。そのスキルを活かせる場が欲しいと、今に至るまで思っている)
5月 - ノマドニア卒業・仕事応募開始・日本旅
ノマドニア本講座は5月の1週目に卒業。
同期で最も早かった人は、卒業日翌日にバリを旅立って行った。
滞在ビザの関係もあり、他メンバーも卒業後2-3日の間に多くの方が出国していったが、
私や他一部メンバーは、ビザ延長を行いもう少しバリで粘ることとなった。
私はVOA延長後、10日少し追加で滞在した。
延長した理由は、プログラムが終わってすぐ日常に戻ってしまうと、
だらけてしまって次のステップである仕事獲得に滞りが出てしまう可能性があることを懸念してだった。
また、なるべくバリ・チャングー現地に継続して滞在していた方が、ノマドの先輩方などとお話しできる機会もあると見て、
不明点などを聞き出したり、少し相談させてもらえるチャンスがあると見てでもあった。
結果、延長したことにより、プログラム卒業後の翌週、
現地サポーターさんの完全ご厚意&主催で3日間、「案件獲得合宿」に参加させていただくことができた。
*案件獲得合宿:お仕事案件への応募準備・応募実践を、他の方と一緒にすることで、集中してどんどんこなしていくことができる時間。先輩方もいていただいたので、初心者としての疑問点を聞いていただいたり、貴重なアドバイスいただくこともできました。
卒業後、だらけるのだけは絶対嫌だ&しない!!
と決めていたので、案件獲得合宿のような、他の方と一緒に黙々頑張れる時間をいただけたことは、大変心強かったです。
先輩方、私の他、プログラム同期も数名、オフライン&すでに現地を離れていたメンバーや先輩方とはZoomをつないで一緒に作業していました。
で、私は最終的に、何に応募したかというと・・・
オンラインアシスタント職
だった。
プログラム受講の結果、比較的興味を持ったコーチング、コミュニティマネージャー、動画編集ではなく、
なぜオンラインアシスタントに応募したのか?
・コーチング&コミュニティマネージャー
→ 実績ない状態ですぐに仕事応募できるチャンスが少ない。
・動画編集
→ 一番興味あって応募しようとしたが、まずどんな案件の募集が多いのか市場調査も兼ねてクラウドソーシングサイト(Crowdworks、Lancersなど)を調べたところ、「ゆっくり動画」など、私がもっとも興味を持てない(世の中の必要性に懐疑的・否定的)ものの編集案件が大量に。
→ざっくり「動画編集」業としての需要はたくさんあることがわかり、未経験寄りでも応募を試せる先が一定量あることは理解したが、Web広告運用時同様、モヤモヤしながら取り組む未来が思い浮かんでしまったため、応募を辞めてしまった。
→案件獲得合宿中に運良く動画編集をお仕事としてされている方のお話も聞けた。お話しを聞いた上でまだどこか、自分が取り組むことに対して違和感があったことも辞めた理由の一つでした。
そんな、ほぼ感覚的な理由であれなのですが、
現時点ですぐには難しいものや個人的に受け付けないものでなく、
より現実的に過去の経験を少しでも活かすことができそうで、なるべく早めにお仕事にありつける可能性が大きかったのが、
サポーターさんからご提案あったオンラインアシスタント職だった。
あらためて、"オンラインアシスタント"でググってみたところ、
いくつか応募書類・応募フォーム類を整えればすぐ応募できそうな先がみつかったので、いくつかの先に応募。
また、サポーターさんのお声がけでご紹介いただいた先にも応募をしてみた。
応募後のステップは、応募先により
・書類選考
・面談
・スキルテスト
・最終面談
などをこなしていった。
新卒の頃から、その時その時「居たい場所」に合わせて仕事を変えてきたが、
一貫して面接での第一印象は良く持たれる傾向があるのが数少ない私の強み。
+主に金融機関や留学エージェントでの接客&面談応対・事務スキル、前職のWeb広告運用で培ったWebツール使用&チャットコミュニケーションスキルを活かして、
比較的選考は採用まで進められたかと思う(何先かから契約決定いただくことができた)。
1先始めに採用が決まったのが5月末。実際の初稼働は6月半ば前からだった。
バリ・インドネシアから出国した後は、台北約12時間トランジット兼一旦帰宅後、
日本へ一時帰国しに行った(国内で人と会う約束があったため)。
大阪で2月のダイヤモンド合宿参加同期とオフラインで会えたり、
5月末にはバリで出会った同期の一部と、名古屋で再会・途中台北から合流した私のパートナーも含めて少しワイワイする時間を得られた。
6月 - オンラインアシスタント デビュー
5月からの日本一時帰国では、主に自分の新たな仕事模索へのモチベーションを下げずに住む人たちにだけ会いに行かせてもらい、
出国前には夫と初めての飛騨高山・白川郷旅+私にとっては久々の名古屋中心部散策へ。
飛行機搭乗は初めての中部国際空港訪問も、新鮮で面白かった。関西国際空港よりも空港色が出ていて、シンプル目な空間の中にも「世界の山ちゃん」など名古屋名物店がドドンと目立つところに構えられていて、良きでした。
オンラインアシスタントとしての稼働は、台北に戻ってから。
最初の1、2ヶ月は業務ボリュームこそかなり少なくだったけど、
どの業務先でも共通するお仕事の流れなどを、少しずつ単発タスクを中心にいただきながら、少しずつ慣れていくようにした。
オンラインアシスタント / オンライン秘書 / オンライン事務代行 / リモートアシスタント… など、
同様の職種に対し、いくつかの呼び名があるお仕事
(私は自分を”秘書”って呼ぶのに大分抵抗があるので、日常は”アシスタント”のワードを使用することが多い)。
どんな方々がクライアント様としてお仕事をご依頼いただけるのかを徐々に知っていく時間のはじまりでもあった。
お仕事を始めて半年以上経過した今も、まだまだ未知の世界の方が多いけれど、
個人事業主様からそれなりに知名度ある法人様、
一般的にかなりお堅いイメージの業種先様と、
なかなか幅広い方々がクライアント様としていらっしゃるのだな、と知って行くこととなった。
大きめの法人様だと、「直接契約」「オンライン秘書会社経由契約」、どちらのパターンのオンラインアシスタントさんも業務ポジション等に合わせて並行しご活用されているようだ。
7月 - 全応募先で業務開始
7月も6月に続き、いただいた仕事へ挑戦&応募。
私の目線で見えている範囲でのオンラインアシスタントのお仕事は、
大きく分けると「単発」・「ルーティン」の2タイプ業務がある。
両方その呼称のとおりであるが、
・「単発」 - 基本的に1回〜数回限りのタスクや業務、
・「ルーティン」 - 毎日、毎週、隔週、月に1〜数回など、定期的な周期で行う必要がある業務
を指す。
ただ、オンラインアシスタントとして携わる業務のうち「ルーティン」業務は、
1回の業務に必要な時間が5~30分、と短いものも数多ある。
業務時間が短いものが増えてしまうと、スケジュール管理が細かいパズルのように面倒になってくるのと、
なるべく1回の集中でがっつり取り組める業務の方が私は好きなので、
なるべく単発業務でボリュームがあるものを中心にこれまではお仕事させてもらってきた。
7月、8月はまだまだ新規で始まる業務が多かったり、
新規のクライアントと直接やりとりするフロント担当を任せてもらったりで、
働き方・業務に慣れることに集中していた。
9月、10月と時間が進むにつれて、ルーティン業務となったものもいくつかあるので、
逆に毎度応募・挙手から始まる単発をこなしていくことがしんどくなってきた時期に突入していく。
8月 - もくもく、そして台東旅。
8月も7月同様、大方台北に引きこもって仕事をしていた時期。
ノマドニア他同期と比べると、ゆったりゆったりやっていた(ゴリゴリ仕事案件を獲得して、忙しくなって・・・といった働き方、私には難しい、という思いがとても強く^^;)。
この月は月中、久しぶりに少し遠出も。
パートナーの大学友人&その家族、全部で6家族大集結旅。
ローカル台湾人たち+私、で台湾南東部・台東へ。
台東(2022年に行った沖に浮かぶ緑島以外。中心部&北方)は2021年半ばぶり。
今回はその時に訪問してよかった都蘭&今回初めて滞在した隣の東河、台東最北部の長濱、
6家族合流後は台東市内〜池上〜鹿野などを中心に。
東河では宿泊、現地原住民のみなさんの豐年祭にお邪魔しアミ族の一集落の衣装を着させてもらったり。
台東市内では、ローカルの方でないと辿り着けないだろうマッサージ屋さんに連れて行ってもらったり。
台湾の中だと、やっぱりこの台東郊外(特に都蘭、東河などの森林と海のバランスが良いエリアや、市内南部の海沿いなど)が心地よく滞在できる場の一つだな〜、と思った。
9月 - ”ミッション・ビジョン”に出会う
9月最大のイベント。ミッション・ビジョン合宿。
2月のダイヤモンドの時と同様、3日間朝から晩まで缶詰で。
私は現在まだまだシェアハウス暮らししており、
一人で誰にも邪魔されずに缶詰状態になれる環境が家にないので、
こういうワークショップに参加するときはホテルに泊まりにいく。
2月は台中駅前、今回は桃園市内の少し昭和のホテル感ある場所へ。
過去、おそらく日本人観光客なのか、日本語話せる世代の台湾人の皆さんなのか、
日本語案内も残っていたので、一定数の日本語話者が泊まりに来ていたホテルなのかもしれない。
ミッション・ビジョン合宿では、
その名の通り、
「自分が何をミッション・ビジョンとして生きていくのか」
を掘り出し、言語化し認識することを目的としたワークショップ。
「とにかく楽しみながら参加してください♪」
とおっしゃっていた、講師のAさんの絶妙な進行・アドバイスや一緒に参加してくれた皆さんも頼りに、
寝る時間削りながら全力参加し、最終日に目標としていたものを完成させることができました。
ワークショップを終えた率直な感想としては、
自分の中の人生の軸・行動基準がよりクリアになった感覚、がまず1番に手に入った感じです。
そして、「あ、こんな感覚・感情や欲望を持ってもよいんや」
と思えたこともひとつかも。
半年以上の準備期間含め、お金も時間も投資し取り組んできた分、
今後の人生に存分に生かしていこうと誓った時間でした。
10月 - 直感。そして再び旅の準備へ
9月を経て、今年も残り3ヶ月に。
9月までの時間でビジョンマップを作成した私。
仕事もプライベートも順番に行動し、実現していく時となった。
詰め詰めになるまで書き出した中で、
最も実行期限まではっきり書かれていたものが、これだった。
“2023年12月までにオーストラリアに再訪している。”
12月までもう2ヶ月切っている。
行ける気はするけど、行くならば、複数の行きたい場所全部まとめて行ってしまいたい。
そうなると、それなりに予算と時間が必要だが…
過去少なくとも4年はずっとモヤモヤ考えていたことを、
変わらずこの時も考えていた。
年齢・体力、仕事ボリュームの調整のしやすさ、
そしてこの先近未来やっていきたいことの順番を考慮すると、
今、正直一番行きやすいタイミング。
今行くかどうか…?
あと一歩、、、のところで踏みとどまっていた。
そんなところに、ふとこのタイミングで
ぐーっと背中を押してくれる出来事がやってきたのです。
来たる時は、ようやくやってきてくれた。
それは、2月、9月とお世話になったAさんが
また新しい活動を始められることになり、
そのお話を聞ける場だった(オンライン開催なのでZoom上)。
Aさんからまた色々学び、
新しいことに挑戦できることを聞いた場。
2月、9月も一緒に行動し、今回も一緒に参加した皆はそれぞれその挑戦を決めて行った。
ところが、私は違う決断がバンッと降りてきたのだ。
Aさんの話を聞いた結果、
「あ、これは今、オーストラリアへ行かなきゃ!!!」
って、何故かグッと自分の中で「いけー!!」って声が沸いてきた。
そして偶然にも、同じくその場に参加し、
Aさんの取り組みには参加しないことを決められた方が一人。
その方は、なんと私が行きたかった、オーストラリア・パースで現在生活されていると。
「現地で会いましょう!」
って、あっという間にこの流れに。
11月 - 念願のオーストラリア再訪(過去編)
10月〜11月半ばまで、渡航フライト・とったり、
タスマニアで滞在させてもらう友人宅に関するやりとり、
現地滞在しながらも間に仕事も挟まないと行けないのでその調整、
などなどこなして、いざ出発!
①最初の1週間少し:パース(西オーストラリア)
②間2週間:ホバート近郊(タスマニア)
③最後3日間:アデレード(南オーストラリア)
の順番に訪問。
①は私一人で、②③は現地でパートナーと合流して。
***
クアラルンプール国際空港第2ターミナルの
AirAsiaのための小さなターミナルでさくっと過ごした後、
青い空を駆け抜けるうちに、赤土色のいかにも乾いてそうな荒野、
そしてシンプルな街並みが見えてきた。
10年ぶりの、パース。
私の海外生活の始まりの街、についに、ついに……帰って来れた…!(泣)
以下、パースエリアでの滞在スケジュール。
日程は、以下を優先して決めた。
パース⇄Lancelin間はたった130kmほどの距離、
ではあるが、
路線バスが走っている本数が少ない(1週間に約5本。それぞれIntegrityとTranswaの2社が運行)。
そのため、Lancelinに行きたければ、主な手段は以下になる。
レンタカーなどでライドシェアできる人が他にいれば、
行動の自由度は圧倒的に広がるし、交通費用も抑えられる可能性がある。
けれど今回は、残念ながらライドシェアパートナーに巡り会えず、
バス移動での訪問となった。
次回またWAに帰ってくることがあれば、今度の今度こそ…南西海岸ぐるり旅がしたい。
Augusta、Denmark、Albany、Hopetoun……そして、Esperance!待ってろよ〜!!
***
WA旅の結果。
いや〜、本当WA訪問は私にとっては過去を辿る旅の一つ。
ここは今回、あえて一人で訪問できてよかったのかもしれない。
オーストラリア2ndワーホリで出逢ったパートナー(夫)と一緒に来ていたら、それはそれで面白かっただろうけど、
一人で五感を使って、丁寧に軌跡を辿ることができたのは、一人旅だったから。
一人だったからこそ、落ち着いて10月のオンライン会で出会った方と対面し、Cottesloe Beach付近を散歩しながら語り合うこともできたし、
Scarborough Beachへ向かうバスの中で後ろから声をかけてくれた日本人女性と、ばっちり美しい夕日を眺めながらビーチ語りもできたし(多分夫婦で来てたら声かけてもらい辛かったはず・・)、
かつての滞在先だったホームステイやシェアハウス周辺にも、自分のペースで足を運べ、変わらない場所がこの世に存在することを知ることができたり。
そして何より。Lancelinでたった2日間だったけど、
大好きなLancelin BeachとBack Beachに挨拶散歩でき、
存分に町中をぐるりと歩き、
旅の師匠に再会することができ、たくさん語り合うこともできたり、
なつかしのTavernからお酒片手に夕日を眺めることができたり、
偶然宿泊先バックパッカー(YHA)で、向かいのベッドで宿泊されていた方が日本からの女の子で(しかも私が過去働かせてもらったキャロットファーム現役労働者さん!)、2日間隙間時間でおしゃべりしたり、
昔はなかったカフェに連れて行ってもらったりできたこと。
バックパッカーには同じくキャロットファームで働く台湾人メガネ男子くんたちもいて、
中国語で話しかけたら話盛り上がってくれて(街中豪雨の後全体停電していたので、真っ暗闇の中ライトで照らしながら。笑)。
この度が終わってから、もうこのログ執筆完了時点で4ヶ月ほど経過しているんですが、
4ヶ月前のあのタイミングで、WA、オーストラリアに訪問できてよかった・・・!
って心から思っています。
数ヶ月あれば、心持ちも変化生まれるし、今この瞬間の自分だと果たしてAusに足を運べるだけの気力があったか・・?というと疑問だったり。
そしてLancelin。コンパクトなのに、自然と美しいビーチ(夏の海藻が多い風景も含め。笑)、
桟橋や砂丘もあるし、心地よいバックパッカー(YHA)、静かな夜、
そして何よりも・・・人が皆良い人ばかりの町。
人口1,000人ほどの小さな町なのに、行けば出会いが生まれる場所。
バックパッカーで出逢ったキャロットファクトリーで働く女の子の口からも
「Lancelinでよい経験をさせてもらっている」
って言葉出てきたの、本当に嬉しかった。
私がかつてLancelinで得た喜び、感覚に近いものを彼女もすでに滞在3週間ほどで得てくれていたから、日本語でその気持ちをシェアできたのが、とっても感動。
またこうして、一生忘れられない想い出ができたこと、
嬉しすぎるし忘れない。そしてまた絶対帰ってくるね。
今度はパートナーや家族を連れて。
現在62歳くらいの旅の師匠がまだ元気で、現役のウィンドサーファーで居てくれている間にでも。
12月 - 念願のオーストラリア再訪(未来編)
WAとさらばし、空港泊したパース空港から飛びだち、
都市部〜砂漠地帯〜緑が増えてくるエリアと、広大な大地の移り変わる景色に目を引かれながら降り立ったのが、タスマニア。
ここから先は、私にとって未来の世界。未知の世界。
南タスマニア・ホバート空港に降り立つと、
国内線だったのでロビーまであっという間。
小さな空港なので、手荷物受け取り場もこじんまり。
スーツケースに乗ったタスマニアデビルのオブジェが迎えてくれる。
荷物受け取りを済ませ、空港出口を出てお迎えゾーンまで一目散。
少し早めに到着していたパートナーと、現地でお世話になる在住台湾人友人と無事合流。
無事一人旅終了。ここからはみんなでぐるぐる旅開始。
以下、タスマニアエリアでの滞在スケジュール。
タスマニア滞在がこれだけ充実したのは、
言わずもがな、タスマニア在住友人の盛大な力添えがあってこそ。
滞在先は彼女がここ1年で購入した家の1室。
まるで綺麗めのAirbnbで宿泊するお宿のように、Welcomeモードで迎えてくれたのが一番大きい。
お部屋のデコレーションなど含め、さすが!だった。
普段台北生活でほぼ100%外食生活していて、あまり自炊得意でない私たちのご飯のフォローや、
旅の道中も実際に動けた1週間少しの時間を、現地に住んで7年以上経つ彼女だからこそのルートを組んでくれた。
オーストラリア以前は、日本で働いていた経験もある彼女は、
日本人に負けない素晴らしい一品のおもてなし力も持つ。
さまざまな部分での気配りの仕方、完璧!
彼女の元職場同僚さんにも会う機会があったが、皆揃って、
「彼女は完璧。仕事もバリバリ!」と口にしていた。
彼女は、私の友人の中で最も尊敬する開拓者でもある。
私のオーストラリア2ndワーホリ時に、ひょんなことがきっかけで、
現地メルボルンで出会った他の台湾人友人から紹介してもらい、ブリスベンで初めて出会って間もなく
ベッドシェア(ダブルベッドを二人で寝る)1ヶ月したところから始まった。
私が2nd終わり、日本に帰国した頃には、当時ワーホリビザで滞在していた彼女のタスマニア生活は始まっており、
そこから7年、サーモンファクトリーで働きながら現地大学院修士卒業→永住権獲得→市民権獲得までたどり着いた人物。
さまざまな形で目標達成している人はいるものの、私の周りでは彼女が一番の努力家で幸運を引き寄せる主だと思う。
目標達成が苦手な私から見ると、ものすごく眩しくて憧れる存在。
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そんな彼女に、はるばるタスマニアに訪問してまで尋ねたかったことを聞けた。
一度決め切って、ただ行動し続けている人ほど、芯があり強い存在はない、ってことを改めて教えてもらった。
”これになる”と決めてしまい、歩を進めてしまったら、
案外必要なレールはできて、前に進むのかもしれない。
過去、私だって「Lancelinに住む」「台北に住む」は達成できたのだから。
一番尊敬する彼女の声が聞きたくて、私はこの”未来に向かう旅”を実現させたかったに違いない。
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最後に、仕事のこと。
今回の旅は、ボリュームを最低限に絞ってではあったけど、
いわゆるワーケーションは成り立つのか、実験も兼ねていた。
タスマニア1週目は、パートナー、友人、私それぞれ昼間は同じ屋根の下、別部屋で仕事して過ごし、夕方以降は順次ダイニングに集まり団欒を楽しんでいた。Work From Tassie。
これができたの、とっても面白かった。
お互いほどほどの距離感ですごし、集まれる時はゆるく集まっておしゃべりなど。
仕事ボリューム変わるとまた変化するかもだけど、
ワーケーションってこんな感じなのか、と言うのをしれたのと、フルリモートでも生身の人と話せる時間がある楽しさを知ることができた。
また誰かと、世界のどこかでワーケーション、できたらいいのにな。
おわりに
2024年お正月期間には書き出していたのに、気づけばあれから4ヶ月が経過。。
少しずつ少しずつアウトプットして、ようやく最後まで辿り着けました。
感覚的には30代に入って以降、年々1年があっという間に過ぎていき、
時にはそのスピードについていけず、虚しさを感じる時もあるこの頃。
でも、ちゃんとこうして文字にしてみると、同じ一年はないんだな、と
振り返ることができるのが嬉しい。
コロナ明けて、2023年は久しぶりに国内外動けた1年だった。
2024年はまたまた、コツコツとな時間となっていますが、
昨年に負けず、動いていられる時間をなるべく多くできる1年にしていきたいです。
いろんな学びをくれた2023年、ありがとう。
まだまだこれから、どうぞよろしく2024年!