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成人式で若者へ訴えて来ました in 関市

関市の若者が一堂に会すまたとないチャンス!!!
と思いチラシを作成し、十うん年前に成人を迎えた身ですが、振袖を着てチラシを配って来ました。

振袖のおかげか、カメラを構えた夫といても全く悪目立ちはせず、すっと溶け込んでさっと渡すことができました笑
マスクが初めて役立ったかも。目しか見えないことと黒髪おかっぱのおかげで紛れられたのだと思います。

本振袖は重たいので祖母の振袖を母に着せてもらい、父と母に子供の面倒を任せてカメラマンは夫、と家族総出で協力してもらいました。それもあって、若者怖い無理やっぱり辞める帰りたい、、という気持ちに何度も襲われましたが、一生懸命練習して振袖を着せてくれた母の顔を浮かべ、チラシ代を思い出し、踏み留まることができました。

インタビューしてからチラシを渡そうと思っていたのですが、インタビューはハードルが高く、、最初の4組に断られた段階でチラシ配りのみに切り替えました。

「関市のPR活動してます!!みんな、関に帰って来てね!!!」と叫びながら一生懸命配りましたが、果たして成人に真意は届いたのか、、届かないよね、、今きっと1番楽しい時期だし、辛いのはこれからだし、、

話がそれますが、私の話を少し。

大学受験は一生懸命勉強せずだったのでそんなに大変だった記憶はありません。そして大学へ進学後は国家試験を控えている学部だったのでテスト前は割と本気で勉強に取り組み、その他は青春を謳歌して要領よく楽しく大学生活を送りました。

転機は4年生。リーマンショック。就活難と卒業論文と国家試験の勉強の三重苦。就活では原因不明のお見送りの数々に自信は粉々に砕け、目に入る社会人の方々への憧れが人生で最大に。自分はこの社会に必要ではないのかと悩み、原因不明の蕁麻疹と戦いつつ、なんだかグレーな会社へ就職が決まり、1月に卒論を提出、3月21日に国家試験を受けて無事卒業しました。国試が遅いせいで最後まで気が抜けない大学生活でした。

卒業後、グレーというかブラックな企業でまたまた心が折れ、会社を辞めて一旦関市へ。関市で少し働いた後また関西へ戻り派遣に登録。派遣として商社で勤務を始めました。この商社がちょーーホワイト企業で。ここは天国か?と思いながら働いていました。一度ブラックで働いたからわかるホワイト企業のありがたみ。

それでも文句を言いながら辞める人はいたので(転職未経験者ばかりでしたが)、次がホワイト企業とは限らんのになーと思っていました。会社に不満を持っていても、人、仕事、福利厚生、給与、場所、どれか一つでも良かったらやめるべきではないと思うんですよね。だって次はもしかしたら全部悪いかもしれないじゃないですか。実際に私は前の会社は全部悪かったから辞めました。でも個人的に人が一番大事だと思っています。

派遣先では真面目に働いていたからか、1年後には正社員にしていただけ、それから6年ほど働き結婚。いずれ帰るつもりだった関市に帰り出産して現在に至ります。

何が言いたかったかというと、はたちの私と今の私では中身が全く違うことから考えても、はたちに、関市素晴らしいよ〜帰って来てね〜一緒に良さを広めよう〜と言って伝わらなくてもしょうがないよね、と。

でも保護者の方々が意外にたくさん来ていらっしゃり興味津々に聞いてくださいましたし、チラシを通じて連絡をくれた方々も何人かありました。配った甲斐がありました。やはり行動することが大事ですね。

最後に
もし面白いなーとか変なこと考えてるなーとか関市ってどんなところかなーなど興味を持ってくださった方がいらっしゃったら ♡スキ を押していただけたら幸いです。ログインしなくても押せます。最後まで読んで頂きありがとうございました!

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自己紹介

まゆ in 関市
@mayu146021

急に非公式せき観光推進部長を名乗ることに決めた、岐阜県関市生まれの関市育ち。関西に住んでいたが関市にUターンし、改めて関市の素晴らしさを再確認する。刃物のまち関市の魅力を伝え盛り上げるべく日々奮闘中。
目標はお洒落な雑貨屋さんに関の包丁がたくさん並び、関の観光名所が人で溢れかえること。

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