JeanBoo

元海外駐在員、現在は中学生女子の母。 好きなものはアメリカの海外ドラマ(「This i…

JeanBoo

元海外駐在員、現在は中学生女子の母。 好きなものはアメリカの海外ドラマ(「This is us」「Good wife」「Grey's anatomy」「Hawaii Five -O」「NCIS:LA」が大好き。)。

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2023年後半

随分と書くことを止めてしまったが、なんとなく積み上げないと進めない感じがするので、続きから書こう。 7月 学校の先生とは毎週のように電話をし、近況報告をしていたけど 面談に行った夫に 「このままだとここでは高校進学できないのでできるだけ早く帰国できるよう手配をしてください。」 と言ってきた。 ここから本当に上海に残る道はないのか模索を始める。 でもインターや国際学校に連絡しても今現在学校に通えない子が 言葉の通じない環境でできるわけないでしょう、と断られる。 8月 心の整

    • 2023年振り返り-前半-

      2023年は価値観の変化が大きかった1年だった。 苦しく暗闇の中でもがいていた前半と、気持ちがガラッと変わって生きやすくなった後半。 こんなに変化が激しかった一年も珍しい。 1月 2022年末にコロナに家族全員罹り、 どんよりした年始からスタート。 おせちとお雑煮は用意したけど、普通に仕事はあるし正月気分ゼロ。 そんな中、初めて中国で春節を迎えた。 せっかく上海にいるので2泊外灘にお泊まりし、浦東観光。春節気分を味わって気分転換してきた。 2月 春節明けは不登校娘ちゃんと

      • 激動の2022年 後半期

        8月に上海に到着。 10日の確認を経て、今までオンラインでしか会ったことがなかった現地メンバーとも合流。 仕事よりもまずは生活が出来るように、生活に必要不可欠なappの操作を覚え、バスや電車に乗れるように同僚の指導を受け、覚える事に必死。中国語の学習までなかなか辿りつかない… 9月の1ヶ月はそうやって生活基盤を整えて、会社での立ち振る舞いを覚えるだけで、精一杯。 10月の国慶節の休みに入るまで、外灘に行くことすら無かった。 そして、最も辛かった10、11月。 国慶節が明け

        • 激動の2022年、前半

          2022年の幕開けは、人気のないバリ島でのんびり過ごした。コロナ前に来た時と対照的に、たくさんのお店がシャッターを閉め静まり返ったバリ。 そんな束の間の休暇を終え、ジャカルタ に戻ると事業収束に向けた面談、心の痛い仕事が待っていた。 それから3月まで、引越しや語学学習に忙しく、バタバタとしているうちに、大量の荷物を上海に送って引越し作業をおえて帰国。ジャカルタ の3年間(コロナのせいで途中帰国2回)は、楽しい事も辛い事もごちゃ混ぜのチャンプルーな濃い生活だっただけに、離れる

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        • 上海生活用
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        記事

          コロナ禍での一時帰国 fromインドネシア①

          インドネシアのコロナ感染者数は、レバラン明け一か月を経た辺りからどんどんと増え、あれよあれよと言う間に2万人を超え、身の回りの感染者数が増えて来た。 今までよりもグッと身近に迫ってきた怖さを感じていたが、「会社からワクチン接種のために帰国しても良い」と連絡があったので、急いで帰国に向けて準備を始めた。もしかしてこれから一時帰国される方もいらっしゃるかもしれないので、お役に立てればという思いで備忘録を残しておく。 ★飛行機の手配 ★帰国時の滞在先の手配 ★PCR検査の手

          コロナ禍での一時帰国 fromインドネシア①

          コロナ禍での一時帰国 fromインドネシア②

          インドネシアから出国するまでの話はここにまとめています。 ガルーダの機内は3分の1も人がいない状態で、4席全部使って寝ている人もたくさんいた。普通に温かい機内食も出してくれた。 羽田空港に到着したのは朝9時。 機内で検疫書類を配られ、全員が記入するまで降りることができなかった。 約30分経って、検査場所に誘導されたが、飛行機を降りてからPCR検査結果書類の提出、唾液でのPCR検査、専用アプリのダウンロードや確認作業などを空港内の様々な場所をめぐりながら実施していく。検

          コロナ禍での一時帰国 fromインドネシア②

          モノの見方は自分次第

          すっかり過ぎてしまいましたがインドネシアの旧正月は家族でセントラルパークモールに初めて行ってみました。 今年は牛年。娘は年女です。 ここには豚肉が食べられるレストランが多くあるということで、新年をお祝いするために赤い服を着た華僑系の人が多く訪れていました。 調べてみるとインドネシアで中華系のイベントである「旧正月」が祝われるようになったのは2000年を過ぎてかららしく、それまでは華僑の人たちにとってはいろいろと厳しい時代だったようです。 年末に読んだデビィ夫人をモデル

          モノの見方は自分次第

          コロナ禍の小学生

          娘は一時帰国していた1学期は、元いた小学校に通わせてもらい、夏休みにインドネシアに戻ってきた。 戻ってきた当初は日本の友達たちとゲームの”あつ森”内で交流をしていて楽しそうだったのだが、だんだんと時間が経つにつれて、日本の友達たちも塾や習い事が忙しいのだろう、なかなか時間が合わず少しずつ疎遠になっていた。 インドネシアはコロナ感染者が増える一方で、学校の授業もすべてオンライン。月に1度ある登校日で顔見知りはできたが、家の行き来をするほどの仲にもなっていないし、同じアパート

          コロナ禍の小学生

          本当の理由

          インドネシアに転勤して1年以上。 生活が落ち着いてみて、どうして私はここにいるんだろう。。。と思うことがある。 表面上の流れでは、東京でワーママとして日々忙しく過ごしている中で、チームの中から何人か、「ダンナさんが海外駐在になったので、一緒に付いていくために仕事を辞めます」という人が出てきて、この激務から抜け出て優雅な駐在妻(勝手な妄想です)になれるなんで羨ましい!と思っていたことや、とってもドメスティックな仕事だったのに、ある日突然「海外進出します!」と偉い人が発表して

          本当の理由

          憧れのランカウイ~ザ・ダダイ②~

          コロナ禍でどこにもいけないので、去年の旅行を振り返ろうと思った前回のnoteの続きです。前回のものはこちら。 ザ・ダダイは環境保護に配慮したリゾートで、敷地もとても広く、海やジャンルグルなど自然の中でゆっくりと心を休められる場所でした。 特に敷地内にメインレストラン以外にもタイ料理、インドやマレー料理、ピザやパスタなどもカジュアルなランチやシーフードが楽しめるビーチハウスなど複数のレストランがありました。今回、ちょっと長めに滞在したので、お昼はビーチハウスでランチをして、

          憧れのランカウイ~ザ・ダダイ②~

          憧れのランカウイ~ザダダイ~①

          コロナ禍で自宅に籠る日々。 次はいつ他国に旅行にいけるのかわからないので、去年の旅行を振り返りながら少し旅気分を味わいたいと思う。 去年のレバラン休暇では、インドネシアから2時間ちょっとクアラルンプールでトランジットをし、ランカウイ島へ。 ここには昔から憧れだった「ザ・ダダイ」という環境に優しいリゾート施設がある。 島に到着したのは夜。 空港からタクシーに乗り、真っ暗な山道を進む。 本当にこんな何もないところにあるんだろうか?と不安になったころにようやく到着。入口

          憧れのランカウイ~ザダダイ~①

          気楽な転職

          気楽な転職

          無力な私

          インドネシア人は、とても社交的で感じがいい人が多い。 同僚の話によると、小さいころから 「他人と目が合ったら笑顔で挨拶する」 ということを学校でも教えられているそうだ。 日本から来たばかりの頃は 会社の同僚だけでなく、 ショッピングモールのトイレの掃除係の女の子もとびっきりの笑顔で挨拶してくれるので、初めはびっくりして、ドキドキした。 でも実際に仕事をしてみると、 ・お願いした仕事はすごく感じよく引き受けてくれるけど、期日までに上がってこないとか(たぶんお願いしたときに、

          無力な私

          はじめまして。

          2019年より海外暮らしを始めました。 人生3度目の海外生活。 一度目は父の仕事の関係でアフリカへ。 二度目は学生時代の交換留学でフランスへ。 そして今回、初めて仕事でインドネシアのジャカルタに来ることになりました。 今回の海外生活を始める前年、家族でクアラルンプールへ1週間の英語学習体験とシンガポール旅行をした際に、まったく違う環境に身を置く面白さにわくわくしてしまい、いつかはもう一度海外で生活してみたいなあと夢見ていたら、あれよあれよと実現してしまいました。

          はじめまして。