わたしらしさ。あなたらしさ。わたしたちらしさ。
わたしが譲れないのは、
やっぱりどうしても、わたしらしさ
なんだよな。
まだ、わたしは、
わたしらしさより
わたしたちらしさの先に
広がる景色を見てみたいと
全まゆが思えてないんだなあ。
別れも厭わず
『わたしらしさ』を生きるのではなく
『あなたらしさ』に自己犠牲するでもなく
『わたしたちらしさ』を
主体的に
自分の意思を持った選択として
選び歩む2人の人間の姿ってのは
本当に美しいとおもう。
思えば、
4年間ずっと
わたしは、
『わたしらしさ』と
『わたしたちらしさ』の
間で
ずっとずっと、葛藤していた。
譲れない『わたしらしさ』
でも
『誰かと共に生きる』ことに付随する
制限や不自由さを
それをも、受け入れます。
それを受け入れてでも
わたしはこの人と生きていきたいです。
となれなかった。
なりきれなかった。
なっては、揺らぎ
なっては、戻り。
いつもそこをぐるぐるとしていた。
わたしたち2人の間で
『自分らしさ』合戦をしていたこともあった。
未熟だったのだとおもう。
ていうかわたしは、未熟なんだとおもう。
わたしは、
ぶった成熟にだけはなりたくない。
偽物の成熟にだけはなりたくない。
なるなら、ほんもので、成熟で在りたい。
そのためには、
なんでも、
やり切らなければならないのだと思った。
自己中をやりきる
自分らしさの追求をやりきる
自分勝手をやりきる
やりきった先にしか
ほんとうの
『わたしたちらしさ』への熱意は
湧くことはない。
やりきらずに
それを選ぶことは、
なにかに蓋をすること
なにか無理をすること
自分の中の
どこかの誰かを置いていくこと
になってしまう
そんな成熟はいらない。
わたしのいまは、そんな感じだ。
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