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生活費を稼ぐより大事な『生きる』

生きるってなんだろう。

きっとみんなが、
一度は思うことかしら。

生きる
=生活費を稼いで、家賃を払って、食費を払って、生き延びること。働いて食って寝る。働かざるもの食うべからず的な?

そんな風に思ってるのがフツウなのかな。

大変だよねえ。

『生命』を
『生きる』を
全く保証してくれないこの国ではさ。


どうして
生きるのに必要な家も水も電気も火も食べ物も、ぜんぶがぜんぶ、お金と交換なのだろう。お金が必要なのだろう。お金がなきゃ手に入れられないのだろう。不思議でたまらない。
アナスタシアの世界を知れば知るほどに
不思議だ。


車中泊旅をして
車の中に布団があって
木の枝やガスで火を
日本中から湧いている湧水で水を
川の水でお皿洗ったり洗濯したり
ときにお風呂がわりに入ったり
お米は新潟の親戚から
お味噌は自分で作ってるものを
おかずはそこらへんの野草を摘みながら。

生きるのに必要なものは
すぐそばに、たくさんある。
自然の中に、ほんとはある。

ガスとガソリンが遠いなあとおもった。
どこからかわからないところから
どんぶらこっとわたしの目の前まで来ている。


遠くから来てくれてるおかげで
便利なこと。
すべて設備が整ってて管理されてるから
便利なこと。
たくさんある。

家賃というものを払い
光熱費を払っているからこそ
わたしはきぼうのいえという生業をやることができている。

自然の中に溶けて
シンプルに生きることは
わたしの根源的な喜びだったけど、
なかなか他の人間とは出会わなかったな。


ヨーロッパでは始まっているベーシックインカム。
日本に導入されるのはいつだろう。

【生きるために必要なお金】を稼がなくて良くなったら、ひとはなにをするだろう。
ひとはどれだけクリエイティブな存在になるだろう。

生きるって、

生活費を稼ぐことじゃない。

それ(生活費を稼ぐこと)、なんで人間がやってるんだろってほんとうに思う。政府とは、政治とは、人を生かして社会を活かすものなのでは?と思いながら。

なんで生きるためのお金を人間が稼がなきゃならないのだろうという疑問を抱えたままわたしはせっせと家賃と光熱費と奨学金返済とケータイ代を払うためにあれこれしてます。たかが5万。されど5万。やりたくないことをひとつもやらずに生きるためのお金を集めているところ。

経済は、人間の暮らしを豊かにするために
生まれたはず。

物々交換から、
お金が生まれてより豊かな循環が可能になった。

そのはずが、
いつのまにか、
人間が経済という車輪に
ぐるぐると回されている。
まるで駒のように。
まるで奴隷のように。

人間が作ったはずだったのにね。
経済のしくみを。

この、
生活費を稼ぐよりも大事な『生きる』を
どれだけやれるかだよね。勝負どころは。


あなたの『生きる』はなんだろう。

わたしの
生きる
=自分の感情をどれだけまっすぐに味わえるか、自分の中の真実をどれだけことばにできるか、自分を他者をどれだけ許せるか、どれだけ寛容に受け入れて愛せるか、どれだけの人と瞳を交わしてぬくもりを交わせるか、どれだけの人と心の真ん中から繋がれるか、どれだけ涙を我慢せずに流せるか、どれだけ命あるものから喜びを感じれるか、どれだけ自分という存在がさいこうであることを味わえるか、どれだけ表現をできるか、どれだけ自然の美しさに涙できるか、どれだけ「生きててよかった」と思える瞬間に出会えるか

わたしにとっての
生きる
は、そんな感じだ。

生きよう。

ほんとうの「生きる」を、生きよう。

とってもよろこびます♡