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記憶に残るような、出会えてよかったと思えるような。


大事なのはきっと

相手と関係を築く中で
相手と人生の時間を共にする中で、

必ずいつか終わるその時に、
記憶に残るような時間を紡げること
出会えてよかったと思えるような思い出を紡ぐこと

生身をぶつけあって
時には傷つけあって
それでも繋ぐ手を
それだから交わせる生命と生命を

そんな時を、刻んでゆきたい。


いま、目の前にいる人はいつかは必ずいなくなる。
自分も然り。

死ぬ時に人が思い出すのは、
自分が貰ってきたものよりも
自分が与えてきたものだという説
ほんとな気がしてる。


好きの気持ちには賞味期限がある。
だから、
「わたしはこの人が好きだ」という事実
それがあるうちに、
動け、伝えろ、と思うのだけど、

愛してる気持ちってのは、賞味期限がなくて
ずっと自分の中に残ってゆくものな気がした。
一度、ほんとに愛せた人ってのは、
ずっと死ぬまでこころの中で愛してる。


その人を使って自分を幸せにしようとするんじゃなくて、
自分を使ってその人を幸せにしたい。


じゃあ、
その人にとっての幸せってなんなのかな
その人が笑顔なのはどんなときなのかな
その人がうれしそうなのはどんなときなのかな

それを考えたり、想像したり、

その人のはっぴーな姿をイメージしたら
胸があったかくなるような、
それが愛であり、純粋な「好き」の領域。


わたしは愛に対して未熟なので
一対一の深い関係性のぺーぺー初心者なので
そんな当たり前のことに
ようやく気がついたよ。

そう考えたら、
わたしはこれまで男の人たちに
「自分をつかってまゆを幸せにしよう!」とされてきすぎてやばい。

どれだけのひとから
幸せにしてもらったんだろう。

どれだけのものを
与えてもらったんだろう。

過去、わたしが好きになった人
過去、わたしが付き合った人みんなに
こころからありがとうとごめんねをおくりたい。

好きとか付き合うとかない
世界や万人から
受け取ったもの
喜ばせようとしてくれたもの
しあわせにしようとしてくれたもの
たくさんたくさんある。

ほんとにたくさん、受け取って、生きてきた。


世界や万人に対してはわたしも
自然と、無意識に、与えてこれたと思う。
ありえないくらいに受け取りまくってきてるけれどその中でも
与えてもいたとおもう。
与えてるものがなかったらこんなに受け取れるわけないからね。まじでわたしは世界からは愛されてる。


そんな当たり前の、「愛されてるという根拠のない自信」が、恋人に対してだけは皆無になってしまう。笑



ただ、ひとり、すきなひと。
ただ、ひとり、恋人。

となると、与えてこれた記憶はほぼないな。


このくるりんぱ具合
この真逆現象具合は
本当に摩訶不思議。不思議じゃないけど。
こんな人、わたし以外にもこの地球にいるのかな。



わたしが自然にわたしを生きることで
わたしが自然にわたしを表現することで
与えられるものを、これからは、あなたに。



とってもよろこびます♡