自己紹介 Part.1
思い返してみれば物心ついた時から自己紹介は苦手だった。
みんながじぶんだけをみている!
へんだとおもわれたらどうしよう!
自意識と被害妄想だけは昔から一丁前だったように思う。
大人になった今でも苦手なことに変わりはないが、
文章であれば自由にのびのびと自分を語れるのではないかと思い筆をとった次第だ。
1995年 大阪府にて誕生
阪神淡路大震災後の数ヶ月後に地球に降り立つ。
母は私を妊娠中に被災したが、大阪府では被害が少なく飾っていた物が落ちる程度の被害で済んだ。
この約2年後、学年はひとつ下の妹が生まれる。
2歳 父の転勤により神奈川県へ引っ越す
幼少期を緑豊かな土地で過ごす。
小学校は1クラスのみ。狭い世界だった。
近所の男の子にちょっかいをかけられてよく泣いていた記憶。
初恋は少し大人しい男の子。名前はげんくん。
友達に誘われてバドミントンを始める。
小4 これまた父の転勤により中国は上海へ引っ越し
移住を決める以前から父は海外へ単身赴任していたが、ひとつ下の妹は父が大好きで、初めて父の単身赴任が決まった時はこの世の終わりかと思うくらい泣き叫んでいた。
私といえばイマイチピンとこないまま、毎週末に様々な予防接種を受けるために横浜へ通った。
図らずもタイムリーな話題になってしまったが、数ある予防接種の中でも狂犬病のソレは群を抜いて痛い。 (調べてみると筋肉注射のようだ。納得。)
人生初のフライトを乗り越えて上海へ
自分のパスポートを手に、ひとりでイミグレを通過した時は大人の階段を登っている!と感動したっけ。
母ひとり子ふたりで日本を旅立ったが、慣れない手続きを全てひとりでこなした母、すごい。
上海への移住は間違いなく人生における一つ目のターニングポイントだったように思う。
さて、見返すとのびのびと語り過ぎてしまったようだ。
ここからカルチャーショック満載の上海生活が始まるが、今回はここまで。
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