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【劇場版プロセカ感想】ボーカロイドとは、こんなにも優しく温かい存在なのか

幼少期から暴力表現メインの洋ゲーばかりをやってきたこともあり(唐突)、僕は日本の俗にいう「オタク文化」というものにまだまだ浅い。今でこそぼちぼちこの文化を嗜みつつあるが、依然としてオタク文化というものに対しては実感が薄いというのが現状だ。


特に、僕にとって「ボーカロイド」というものは、中々触れにくいものであった。
今から20年ほど前(と聞いたことがある)に”初音ミク”という合成音声ソフトが出て以来、主にニコニコ動画などで大いに流行し、今も根強くたくさんの人々に愛されている…ボーカロイドとは、そういった存在であるらしい。
だからこそ、僕はこの界隈にとっつくのにかなりの抵抗があった。非常に長い歴史が人々によって紡がれているということは、それだけボーカロイドの発展に寄与してきた人々は、(いい意味で)プライドがあると思うからだ。ボーカロイドは、その曲の歌詞や世界観を重視し、考察するといったかなり文学的な面もあるようで、言ってしまうと初心者お断りというか、そういった雰囲気を感じてしまっていたのだ。
実際、歌詞や世界観の考察などを見ていても、「これは到底自分はできないな」と思うような高度なレベルの話に見えてしまうことが多々あった。

ヒャッハー暴れながら敵を倒していく界隈に身を置いていた僕は特に、強い「自分が入れば邪魔してしまう」感があった。



しかし…そんな僕に転機が訪れる。
友は言う。「プロセカの映画、見に行こうぜ。」

プロセカ。正式名称を『プロジェクトセカイ カラフルステージ  feat.初音ミク』(長いな…)というこのゲームは、ボカロ曲をメインにした音ゲーだ。
そう、僕が強い抵抗感を持っていた、あのボーカロイドのゲームである。

なので普通なら断って家でSteamを漁っていた可能性が高いが、結局僕は行くことにした。
なぜか?なんとなくいける気がしたのだ。何かロジカルな理由があるわけではなく、まあ行ってもいいかな、という感情がなぜか芽生えていたのである。
映画は、事前情報なしに行った("セカイ"の概念は友からちらりと聞いたが)。これも、なんとなくいける気がしたからである。そもそも僕は(洋ゲーがそういう形態をよくとっていることもあり)断片的な情報から関係性を考えていくのが割と好きだったりするので、そういう点も含めて調べずに行った。


つらつらと喋ってしまったが、本題に移ろう。映画はどうだったのか?
僕が作品全体で感じたものは、ズバリ1つ。

この世界、あったけえ…

映画を見る前に抱いていた、ボーカロイドに対する堅苦しいイメージ。それが、一瞬のうちに崩れた
ボーカロイドとは、かくも温かいものなのか。かくも、人に寄り添う優しさを持ったものなのか。すごく感動したし、なにより自分もこの界隈に参加して良いのだという嬉しさがこみ上げてきて、泣くかと思った。何ならほぼ泣いた。

結局、ボーカロイドとは僕が思っているより全然人に寄り添っている温かいコンテンツだったのだ。
では、なぜ僕は「堅苦しいコンテンツ」というイメージを持っていたのだろうか?

思うに、(僕が今まで属していた界隈と)人の寄り添い方に大きな違いがあったからだろう。
極端な言い方をすれば、僕がよくやっている暴力表現マシマシの洋ゲーたちも、人に寄り添っているといえると思う。その寄り添い方が、人の暴力的な本能の解消を提供するという、少し変わり種な方法であるだけだ。
一方ボーカロイドは、人の悩みを聞き、表現し、受け入れる、ようは包み込むような寄り添い方をしている。作曲をするのもその一つだし、それを聞くのも一つだ。先ほどの暴力の提供と比べてかなり毛色は違うが、誰かの拠り所となっているという点では同じなのではないか。

僕の属している界隈は、ボーカロイドといったものとは全く違う。そういう色眼鏡を、僕自身が勝手にかけてしまっていただけなのかもしれない。

なんとなく行ける気がしたのは、色々なコンテンツに触れていく中で、その色眼鏡に疑問を持っている自分がいたのかもしれない。

とにもかくにも、この映画を通して、僕は何か大きな学びを得たように思う。友よ、感謝しているぞ。


実際にプロセカを始めて、ボーカロイドの界隈に片足を入れてみて思ったことは、ボーカロイドの楽しみ方が千差万別だということだ。
プロセカのストーリーを楽しんでいる人。音ゲーの部分を楽しんでいる人。バーチャルシンガーの歌声を聞きに来ている人。特定のユニットを愛してやまない人。想像以上に、懐が広い
僕は基本、ソシャゲは(そもそもあまりやらないし)ストーリーだけ読むことが多いのだが、そういった人も全然歓迎されるような温かさがある。


映画の感想という本筋から逸れてしまったが、最後に。
僕も考察というか、曲からメッセージ性を読み取るということをやってみたい。ということで、非常に浅いものとはなるだろうが、僕なりに劇中の曲から感じたことをつらつら述べて、終わりにしたい。

まず…どの曲も、無茶苦茶良かったね…。お兄さん感動しちゃったよ…。マジで。


中でも、曲のタイトルについて語りたいことがある。『ハローセカイ』だ。
これはおそらく、プログラミングを学ぶ際に、出力するテキストの例としてよく出される"Hello,World"をもとにしているのではないかと思う。
初音ミクという電子の存在が、歌えるようになり本当のセカイ(World)を見つける…そういった場面での曲名が『ハローセカイ』だっていうのは、なんだかすごく美しくないかいと思うわけである。


Worldをセカイと訳したのではなく、セカイをWorldと訳したものでは、『Worlders』がある。
直訳すると「セカイの人々」みたいな感じになると思うのだが、実際セカイをもつ登場キャラクターたち全員が歌うという凄まじい曲だ。おそらく、僕らもセカイ持っているんじゃないかと思うわけで、そういう意味では僕らも「Worlders」なのだろう。合唱というよりは、各々が好きに歌っているような歌なのも非常によろしい。僕らも好きに入って、彼ら彼女らと同じく好きに歌ってよいのだ。僕らは「Worlders」なのだから。



ボーカロイドの界隈に入ってもいいのだということを伝えてくれた本作。僕なりのやり方で、このボーカロイドというものを、まんべんなく体験していきたい。


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