見出し画像

Day1 稚内~網走(前編)【メンタル病んだので最長片道きっぷの旅に出ました】

 大変お待たせしてしまい恐縮だが、今回からいよいよ(やっと?)最長片道きっぷの旅が始まる。どうぞお付き合いいただきたい。

↓前回はこちら

 2024年1月28日。ドーミーインの朝食ビュッフェを楽しんだ後、暫しの稚内観光へ。

 やってきたのは稚内港北防波堤ドーム。かつてはこのドームの前まで線路が伸びており、ここ稚内と、かつて日本領だった樺太の大泊おおどまり(現:コルサコフ)を結ぶ鉄道連絡船「稚泊ちはく連絡船」との乗り換え通路をこのドームが兼ねていた。
 もし現在も南樺太が日本領で稚泊連絡船が存続していたら、最長片道きっぷのスタート地点もそちらの方だったのかも……などと妄想してしまう。

 ドーム内部。90年近く前に造られた建造物ながら、現在も維持管理され稚内港を守り続けている。
 犬の散歩をしている人や、ランニングをする運動部と思しき学生の姿もあった。地元の人にとっては雪を避けて動ける、お誂え向きの散歩コースや運動場になっているようだ。

 道路案内標識(青看)にはキリル文字の表記もある。異国の地が近い(近かった)ことを示すオブジェクトだ。
 ちなみに稚泊連絡船を引き継ぐ形で運航されていた、稚内とコルサコフを結ぶフェリーは2018年を最後に休止している。不穏な世界情勢の続く中、この青看やフェリーの行く末はどうなるのだろうと思った。

 宿をチェックアウトし駅へ。明るい時間帯に改めて稚内駅舎を見る。
 駅前広場には、おそらく旧駅舎時代と同じ位置に「日本最北端の線路」がモニュメントとして残っているが、雪に埋もれて黄色の車止めしか見えない。訪問できなかった宗谷岬と共に、いずれ再訪して見てみたい。
 ここで雪が強まってきた。スケジュールの悪化と相俟って不安が募る。

 駅舎に入ると、そんな不安に追い打ちをかけるように13時01分発の特急サロベツ4号(この先の駅から乗車予定)が車両故障のため運休……というアナウンスが流れてきた。一瞬青ざめたが、どうやら代替の臨時列車が運転されるとのことで一安心した。何であれ列車が動くのであれば何とかなるだろう。

【1】4326D
稚内10:28発~名寄14:17着
キハ54 501

筆者は本旅行で、最長片道きっぷのルート内で乗車した列車はほぼ全て記録している。
以後、【きっぷの経路上で乗車した順番】、列車名・列車番号、乗車区間、使用車両(車両・編成番号)……の順で記載していく。

 最長片道きっぷの旅1本目の列車は、稚内10時28分発の名寄なよろ行き普通列車(4326D)だ。
 ここでいう「4326D」のような番号は「列車番号」といい、ダイヤ上の個々の列車に与えられる数字・記号である。以後の文中で、乗車する列車を指す際にこの列車番号を用いる場合がある。

(一応本記事は鉄道に詳しくない読者も想定しているため、登場する鉄道用語や乗車券のルールについては極力詳しく説明するつもりである。ご存知の方にはくどいと思われるかもしれないが、お付き合いいただきたい。)

 車両は道北・道東地方で活躍するキハ54形気動車(500番代)。しかも501号、トップナンバーであった。
 車両番号の末尾の数字(キハ54 501の「501」の部分)は、原則的にはその形式の車両の製造順を表す(この例のように同一形式内の仕様違い等を区分するため500番台や1000番台など番号が飛ぶ場合もある。ちなみにキハ54形の0番代は四国向け仕様だ)。即ち「キハ54 501」は、キハ54形500番代という形式の車両の中での1番目に製造された車両であり、そういった車両をファンは「トップナンバー」と呼んで珍重したりする。
 最長片道きっぷ旅行の初手でそんなトップナンバー車に当たるとは、少しラッキーだ。

 この日は団体ツアー客の乗車もあり、少々混雑していた。普段なら辟易するところだが、ローカル線が賑わっているのは喜ばしいことである。
 そんなツアー客に紛れつつ改札で最長片道きっぷに入鋏印を捺してもらう。いよいよ最長片道きっぷの旅のスタートである。

乗車直前、稚内駅プラットホームから南に延びる線路を眺める。
ここから1万km超の旅が始まるのか……と感慨に浸りながらシャッターを切った一枚。

 思えば、このスタート地点に立つまでが異常なほど大変だった。
 メンタルを病んで休職。そしてこの旅を思い立ち、数々の問題をクリアしていざ実行に移すも大雪により旭川で3日の足止め。やっとスタートまで漕ぎ着いたとはいえ、この先の見通しも良好とは言えない状況だ。

 とは言えこの旅の元々の目的は、心身を癒し己に自信を持たせることだった。初っ端から心が折れそうになるだなんて本末転倒も甚だしい。何はともあれ、楽しもうではないか。そう己に言い聞かせつつ列車に乗り込んだ。


 ちなみに私の最長片道きっぷの旅であるが、基本的には以下のルールで進めている。

・経路を全てなぞった上で有効期間内にゴールすることを最優先事項とする
・新幹線、特急列車などは最大限活用してよい
・きっぷのルール上、複数の経路の通過が認められる場合(経路特定区間や選択乗車区間など)も、どちらを通過するかについては特にこだわらない
・途中下車の便宜やその他の都合により、他の有効な乗車券を併用する場合がある(その際も最長片道きっぷの経路は必ずなぞること)
・所用のため途中で中断し、一時帰宅する場合がある

 ……一言で言えば「合法的な手段は何を使ってでもゴールすることを最優先とする」である。
 同じ最長片道きっぷ旅行経験者から見れば邪道と思われるかもしれないが、スケジュール的に贅沢は言えない状況であるし、JR乗車券のルールを逸脱することはしないのだから文句を言われる筋合いもないだろう。
(新幹線や特急をわりと多用するので却って贅沢だろうか?安価に済ませたい方の参考にはならないかもしれない……)

抜海駅

 列車は次の南稚内駅を過ぎると市街地を離れ、暫し日本海沿岸を走る。ここは利尻富士を望む宗谷本線屈指の絶景区間なのであるが、当時は吹雪で利尻富士どころか海もよく見えず、全く気付かぬうちに通過してしまった。こうしてまた一つ再訪の口実が増えていく。

 間もなく、抜海ばっかい駅に到着する。「日本最北の秘境駅」「日本最北の木造駅舎の駅」などの肩書きを持つ駅だ。
 ここで、稚内駅から乗り込んでいた団体ツアー客が下車していった。おそらくここからツアーバスに乗り換えて別の観光地に向かうのだろう。存続が危ぶまれている駅だが、このような利用があれば当面は安泰だろうか……などと思ったのだが、残念ながら来たる2025年3月15日のダイヤ改正での廃止が決定してしまった。

 実は当初、早朝の普通列車でこの抜海駅を訪問することも考えていたが、万一帰りの列車が運休になって戻れなくなるリスクを考慮し(あと単純に早起きできなかったのもあるが……)、取り止めたのだった。今思えば、多少無理をしてでも訪問しておけばよかったと後悔している。

 11時34分、幌延ほろのべ駅に到着。かつては日本海沿岸の羽幌はぼろを経由し留萌るもいとを結ぶ羽幌線が分岐していた駅だ。
 上り特急宗谷号(この日は代替臨時列車)との行き違いのため(定刻通りならば)12分の停車時間があり、一旦列車を降りてみた。

 ちなみにこの日は日曜日だったが、当駅の窓口は日曜日休業だった。当時、ここ幌延駅を含むJR北海道の主要駅では記念入場券「北の大地の入場券」が販売されていたが、残念ながら窓口が開いていないので購入できなかった。
 一方、駅舎内のインフォメーションセンター「ホロカル」は営業しており、宗谷線のグッズ数点を購入した。

幌延駅で購入した宗谷線のサボ(差込式の行先表示板のこと。左写真は実物)のキーホルダー。

 ここ幌延町は北緯45度に位置し、「北半球ど真中」と謳う看板もある。思えばかなり北まで来ていたものである。
 まだ稚内を発って1時間程、営業キロにして丁度60km進んだに過ぎないが、このような節目となる地域に到達すると旅が進んでいることを実感する上、事が思うように進まないことによる不安感も解消されていく気がした。

特急宗谷(車両故障による代替快速列車 51D?)

 行き違いの宗谷号代替の臨時列車は25分程度遅れて到着。キハ54の2両編成だった。これが稚内でサロベツ4号の代替列車となって折り返してくる。
 筆者の乗る名寄行き普通列車(4326D)も約25分遅れで発車した。


次回は、幌延駅出発以後の様子をお送りする。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集