大人の思惑が香るユースワークで、僕が目指すものとは何か。
今まで、何十ヶ所ものユースセンターを巡ってきたなかで、大人の「想い」が全くない感じがする場所はほんの数カ所しかなかったと思う。(ユースセンターやユースワークという言葉を多様な国のそれらしきものに当てはめるのを僕は好まないが、伝えるためのメディアとして本文ではあえて用います。)
例えばある国では、ユースワーカーが資格化され、資格を持ったワーカーが働かないとそもそも予算がつかない。つまり、ある一定条件を捉えたワーカーしか存在しなくて、彼らは何かしらの「想い」を学んできている。日本でもワーカーになるために、資格や試験、大学で学んできた内容が必要だったりして、つまりそこに関わる大人の築き上げてきた「想い」が介在する。
もし「想い」がなかったとしても、働くなかでどこからか「想い」が芽生えてくる。それは「リスク予防」かも知れないし、「主権者」、「居場所」、「民主主義」、「職業訓練」、「まちおこし」、「若者の権利」、、、それらが複雑に複合したもの。そういったワーカーが抱く「想い」は彼ら大人の目的意識とともに、センターから若者へ影響を与える。
そしてワーカー個人の「想い」だけでなく、資金提供者の「想い」、政策に込められた「想い」、メディアの言説による「想い」などが溢れる大人が造り上げてきた社会に飲み込まれたユースワークがあるなかで、大人の「想い」が1ミリも介在していないと言い切れるセンターはあるのだろうか。
そういった状況から、ユースセンターを巡ってきた僕の中に今ある、「想い」はどこに由来するのか、内省的に考えてみる。
①まず、ユースワークを触れるきっかけとなった大学での社会教育課程の授業があった。それはまさに、学生が主体となる学びで、授業の結末が学生の手によって変化するという高校まででは信じられない体験に僕は没頭し、自分の学部の授業よりものめり込んでいった。その先に見つけたのが、ユースワークという言葉と、北欧の営み。まさに自分はいま、「ユースワークされているのかも知れない」「こんな体験をもっと見たい」という、若者の権利を実感した瞬間であった。ここでの想いは、主権者、若者の権利がほとんどだったのかな。
②そしてフランスに行く。フランスのユースセンターにとりあえず訪問し、半年ほどボランティアで関わったのち、センター長から僕とパートナーに活動の権限を全て付与されるという事態になった。死に物狂いで目の前の若者と関わり、日々反省を繰り返した。10万円くらいのカメラを買ってもらい、性能を試すという目的で街中に隠れた若者たちを探す、かくれんぼ大会をした。センターにあるタイヤ付きの椅子でレースをしたい若者がいたため、みんなで議論を繰り返し、会場にできそうな街中の公園を歩き回った。ここでは書けないようなふざけたことまで、若者と本気で議論し、実践して、みんなで笑いあった。僕のワーカーとしての動き方の根源は、この日々に由来するものが多い。このときの想いは、アニマシオン、まさに魂をワクワクさせるような活動をみんなで、というものであった。
③つめは、オーストリアかも知れない。それは地域に愛されるユースセンターであった。街の人のほとんどはユースセンターの存在を知っていて、若者の多くはユースセンターで過ごす日々を経験し、センターで過ごした若者がワーカーになって地域愛が爆発した状態で活動をする。若者は暇が生まれればユースセンターやワーカーがいる場所に行き、そこで遊び仲間が集い始めるという日常。ワーカーはいつまでも気持ちが若い。なぜなら日々若者と本気で遊んでいるから。センターは住民の寄付(もの)によって飾り付けられ、バカンスの週末には地域の大人も遊びに行けるフェスが夜中まで開催される。ユースセンターで開催される非日常的な何かには必ず地域の大人が関わっていた。そういう環境で育ってきた人たちが、若者たちを温かい目で見守り、恩返ししていく。みんなの愛着が詰まったユースセンターは、小さな街に限らずあった感じがする。これは街づくりでもなんでもなくて、ユースセンターこそが街の一部なのだと実感したのを思い出す。このときに得られた僕の想いはなんなのだろう。「暖かさ」かな。
④たぶんこれが今の自分には最後だと思うんだけど、「居場所を掴み取る」という想いを教えてもらったのが、バルセロナだった。「行政でやっているユースセンターや若者支援なんてものは、今の社会システムから生まれた思惑の下にあるもの」「私たち若者が求める社会はそんなものじゃない」「だから私たち若者は大人の社会に捉われない真の居場所を作り出していく!」みたいな感じかな。ここで見られたのは、若者の若者による徹底的な自己管理の場である。こういった場所から新たな哲学や未来の常識が生まれてくるのだろうと、話を聞きながら鳥肌がたった自分を今でも忘れない。なぜならは、僕が話した若者たちは本気で世界を変えようとしていたからだ。そしてそんな場が地域住民から素晴らしい場所だと認められていたのも嬉しかった。正真正銘の草の根活動なのだろう。若者に限らず、「みんなの居場所を掴み取る」ために若者が日々奮闘していた想いに圧倒された。
こんな感じで僕のなかには今、「若者の権利」、「魂のワクワク」、「暖かさ」、「居場所を掴み取る」という4つの「想い」が複雑的に絡み合っている気がする。この「想い」が行き着く先があるかどうかは不明瞭だし、学びがあればこれから新たな「想い」がやってくることもあるのだろう。そんな自分を楽しみに、今ある「想い」とともに、ユースワークに関わると僕の思惑を香らせてしまうかも知れない。それが正しいのか正しくないのかわからないけど、「おせっかいだけど、、」みたいな言い訳を使いたくもないので、一個人の人間として、いろんな人と対話して、さまざまな「想い」に触れられたらいいなと思う今日でした。