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GOOD WAR 3.どっち行ったらいいんですか?


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今日の稽古場は和室。広い。畳に座る。
地面に近いほうがなんだか素直になれる気がする。リラックスできるというか、喋りやすいというか。

稽古の始まる前、朗くんとふたり、「なぜ争うのか」、「何のために争うのか」について考えていた。
椋平淳さんにいただいたコメント(ルサンチカの公式ウェブサイトでご覧いただけます)がとてもいい。
「演劇的活力の“敗北”」「“演劇的有事”」。
わたしは前者を「演劇の敗北」と記憶違いしていて、それだけは避けなければ、とこのとき強く思った。演劇の敗北なんて、芸術の敗北なんて、そんなに悲しい言葉あるか。
そのためには武器を取って戦わなければならない。
あなた・わたしは何を武器にして戦うのか。
何を争って、何を勝ち得るのか。

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朗くんによる「お元気ですか」の言葉から稽古開始。
「昨日の今日やからなあ」と諸江さん。無論元気らしい。事故ってもいない。

「勝つことの快感をいつから体得したのか」「勝ち負けを意識したのはいつからか」について。
残さん、「子供の頃から囲碁をやっていた。勝つと大人を苛立たせてしまうから、逆に負けたかった」。
伊奈さん、「インストールされてる気がする」。元から持っていたものではなく、外からインストールされているような。
確かにそういうことはよくあった。とくに子供の頃は。
「明らかに勝たされて」悔しい、ってのもある。大人に「勝ち」を譲られたとき。対等な存在として扱ってくれていないと感じる。当然対等ではなかったのだが。それでも正々堂々戦って勝たなければ勝ちの意味がないと思っていた。
いつからか知らないが、勝つとうれしい。負けると悔しい。それでも確かに忖度は存在する。
ふと、昔、おじいちゃんが「一等賞やで〜」と言って抱き上げ、くるくる回る遊びをよくしてくれたことを思い出す。
一等賞という言葉によろこんでいたが、これは結局みんなに言っていたのだ。
戦いたい、戦いたくない、そんな意思に関係なく、否応なく戦いの舞台に上げられているということはよくあること。

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ジャンケンについて。
「ジャンケンから争いは始まるのではないか」という説を検証。
というか、「「ルール」が分かっていなかったら勝ちも負けもないのではないか」。
「最強の指」ってあったな確かに。しかしあれに対する「ルールを破るな!」の怒りはなんなのだろう。バリアばかりする人に対しての「正々堂々戦えよ!」もしかり。確かにわく怒りなのだが、自分の基準で物事を捉えすぎている気がする。

「じゃあどっちが悪いかジャンケンで決めましょうって、納得できるわけない」そりゃそうだ。
誰かが「ジャンケンって便利だな」と言った。
でもそれは私たちが、もはやジャンケンのルールに疑問を持たないほどジャンケンのルールを「インストール」されて久しいからじゃないか。そして「インストール」されてからこのかた、へビーローテーションしすぎてその「型」に疑問を持たなくなっているからではないか。
ジャンケンのルールを習った昔々、必ず疑問を持つ子供がいたよね。
グーは石、チョキはハサミ、パーは紙。まずそれに納得できるかどうか。そして、石はハサミに勝つし、でも紙には負ける。ハサミは石には負けるが紙には勝つ。紙は石には勝てるがハサミには負ける。それに納得できるかどうか。
もはやジャンケンを「初期機能」のように、そもそも備わっていた勝敗の決め方のように感じているが、全くそんなことはないし、石で紙は破れますがと言う反論があってもいいし、「最強の指」があってもいい。それじゃジャンケンは成り立たないけど。

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そこからルールの話へ。
「試合」は争いか? 明確なルールがある。しかし、野蛮な方が争いっぽく感じるのってなぜだろうか。柔道よりアウトサイダーの方が争いっぽいと感じる。
プロレス、相撲、八百長。階級のあるスポーツの選手、とくにボクサーなんかは測定に向けてものすごく頑張って減量する。
ちなみに諸江さんはゲームなどの「取扱説明書」を読むのが好きらしい。このへんもかなり性格の表れるところだな。

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続いて、残さんと伊奈さんには「「あの日」を展示するモニュメント、マーク、シンボルを考える」という課題。
諸江さんは、「○○について話して聞かせる」という課題。

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モニュメントというものについて。
過去のモニュメント、あの日についての語り。教訓?
今後未来に起こる戦いに「勝つため?」備えるということ。
朗くんの、「争いはモニュメントだよね」「戦争は過去のデザイン」という言葉が印象的。
終わってプチ合評。
伊奈さん「スイミングスクール。月に一度のタイムを図る日。お姉ちゃんがタイムを計った後ゼエハア言っていて、タイムを図るてのはあんなに一生懸命やらないといけないんだなあ、と思った日。今まで自分は本気で何かするということを知らなかったんだ、と思った。8歳くらい。タイトルを付けるとすると、オールアウト。」
「犬です。愛知県西尾市貝吹町内で犬に追いかけられた日です。8歳くらい。」

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次に、みんなで残さんと伊奈さんのモニュメントから抽出されたものを表現することに。
「説明しすぎちゃうことのつまらなさ」。箱に修めちゃうみたいな。
タイトルは「得体の知れない場所」。とてもいい。得体の知れない場所。声に出して言いたい日本語。
「なんか分からん場所ってガードマンがいるな」。確かに。

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質問。「戦いの場というと、どんな場所を想像しますか?」
諸江さん、「TED」
伊奈さん、「日常の中」
みんな争いは好きじゃないようだ。
伊奈さん、「負けるのが怖い。勝ち負けの世界にいく前に退く。だからドラムゲームはやったことがない」
残さん、「自分は十分持ってるけど、それ以上に持ってる人に嫉妬する」これは身長の話。

最後に、次回の稽古まで期間が開くので、宿題が出た。
「あの日」のモニュメント(あるいはロゴマーク、イメージ)を10個用意してくること。
たのしみ。

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朗くんも撮ってみました。以上。


出席:河井、伊奈、諸江、山下、田中
場所:京都府立文化芸術会館

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ルサンチカ 『GOOD WAR』

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 「GOOD WAR」には、私たちが「戦争」と聞いて想像する争いと、社会に実際に存在する争いの両方が含まれています。争いに勝った人、争うことをやめた人、これから争う人、争いから逃げる人が剣闘士として登場し、「よい争い」と「わるい争い」の区別がないことを実感しながらも、自分(や自分の周囲)の生活のために争いを行います。
 私たちは生きている限り、これからも誰か(または環境)と戦い続けなければいけません。現時点で戦っていなくても、生きている限りいずれ争いに巻き込まれます。『GOOD WAR』ではそのいずれ行われる争いと、過去にあった争いとの向き合い方を鑑賞者と共に考えるべく演劇作品を上演します。

日時:
2021年2月5日(金)、2月6日(土)
2月5日(金) 19:00
2月6日(土) 11:00/15:00

会場:京都府立文化芸術会館

チケット(発売中)
一般 予約:2,500円 当日:3,000円
U30 予約:2,000円 当日:2,500円
高校生以下:500円
※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方とその付添いの方(1名まで)は無料
発売方法:パスマーケット、当日販売のみ

チケット取り扱い:
オンラインチケット(パスマーケット)→https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/012t5m11b5x68.html#detail

構成・演出:河井朗
ドラマトゥルク:田中愛美
出演:伊奈昌宏、諸江翔大朗、山下残、渡辺綾子
美術:辻梨絵子
音響・照明・舞台監督:京都府立文化芸術会館
制作:沢大洋
企画・製作:ルサンチカ
協力:古川雄大、台風クラブ、ARCHIVES PAY
主催:京都府、指定管理者 創、Kyoto演劇フェスティバル実行委員会、ルサンチカ
助成:公益財団法人全国税理士共栄会文化財団、公益財団法人パブリックソース財団、京都府文化活動継続支援補助金


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