見出し画像

息が続く限りは夢みたいな夜を

 あっという間に真夜中、さっき会ったばかりなのにまた私たちは待ち合わせした駅に戻ってきた。ちらりと電光掲示板を見る。まだ終電あるね、また会える?、もう行かなきゃ、3つか4つ短い言葉を交換しあって君は立ち止まり私は改札を抜けた。ああ、最後にキスし忘れた。だからまだ夢の途中みたいなんだ。君の部屋を出る直前に塗り直したフューシャピンクのリップが地下鉄の窓に鮮やかに映っていた。

 春とも初夏とも言えない季節の隙間は君と会うのにぴったりの夜だった。君の部屋に着いたときは暖房も冷房も必要ないちょうどいい気温だったけどセックスしたらやたら汗ばんだ。首筋に張り付く髪の毛がうっとおしく、でも体温の上がった熱い君の身体ぜんたいで包まれるのは不思議と心地いい。温度がそのまま私の身体に移るよう。ぎゅっと恋人つなぎで押さえつけられた両手 名前を呼ぶ吐息 まっすぐ見つめる瞳 君がいつも焚いてるお香の残り香 レモンを入れたハイボールの味の深いキス 五感で受け取る全てのものが煌めいていて、快感と幸福で息が止まりそうな絶頂。

 帰ってきた自分の部屋で今夜を全部洗い流すように熱いシャワーを浴び、黒いレースのブラレット、そして夏用のパジャマを着てベッドにもぐりこんで考える。どんどん暗い深みにはまっていく。好きになったら困る。それが愛になってはもっと困る。傷つくのは分かってる。すぐに終わるのも知ってる。どんどん落ちていってるはずなのに、今日君からもらった煌めきや想いが募っていくのはなぜか上へ上へと螺旋階段を駆け上がっていくよう。身体は落ちていくのに心だけ浮かび合っていく矛盾、それすらも愛おしい。熱いシャワーで温まった身体はまだ熱を帯びていて、ベッドの中でこもって暑い。抗えない、到底 君に落ちていくのは抗えるはずがない。

 幸せの絶頂は息が止まりそうになる。でも息をずっと止めていられないように絶頂はいつか下っていく。物事は全てそうなっている。オレンジ色の夕暮れは天体がひっくり返ったとき藍色の星空に変わる。そして夜通し瞬いた星たちはこの世から出ていくように遠く消えて朝が来る。その美しい繰り返しでしかない。私たちも出会って始まって熱を分け合って、最後には終わる。昨夜が本当に夢だったみたいな朝、コインランドリーで大げさな轟音を立てながらぐるぐる回る洗濯物を、そのへんの自販機で買った甘すぎるラテを飲みながらじっと見つめてもうすぐ消える私の恋があともう少しだけ終わらないでほしいと何かに願った。


いただいたサポートは創作活動のために使わせていただきます。