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1.序章

※以上の"A Presocrated Reade"の 1. Introduction の訳です。比較的自由に訳しています。

1.序文
古代の伝統の伝えるところでは、ミレトスのタレスは日食を予言した。このように言われている予言については、私たちの誰も詳しくは知らないけれども、この出来事(紀元前585年の日食)は伝統的には西洋思想における哲学と科学の端緒であったと位置づけられている。アリストテレスは、哲学史を批判的に検討した最初期の一人であるが、なぜこの種の探求が小アジアのイオニア海岸沿いの一ギリシア都市であるミレトスで始まったのかについて考察した。この疑問を抱いた後の学者と同様に、アリストテレスには答えがわからなかった。そのため哲学の黎明を取り巻く状況はよくわかっていない。おそらく、この問いは答えられないだろう。にもかかわらず、哲学の祖たる肩書を有するタレスこそ、世界ならびに世界における人間の居場所についての合理的探究と批判的思考の偉大なる伝統の始まりに立つのであり、そしてこの伝統は今日にまで及ぶのである。

タレスは、ソクラテス以前の哲学者たちとして知られる一連の思想家の最初に位置するが、彼らは紀元前6世紀から5世紀の間にギリシアに暮らしていた。彼らは統一された学派は形成しておらず、その見解については劇的なまでに異なっていた。しかし彼らは知的態度と意見とを持つという点で共通し、誰もが探求に熱心であり、この熱意が彼らを一まとまりの集団とみなして研究する十分な理由となるのである。タレスが西洋哲学と科学の祖であるとみなすのを正当化できるのは、日食の予言をしたということだけが理由ではない。というのも、バビロニア人もエジプト人もともに緻密な天文学を作り上げていたのであるから。にもかかわらず、アリストテレスとその後継者にとっては、タレスこそが、そしてその同僚とも言うべきアナクシマンドロスとアナクシメネスもまた、哲学探究の始まりを真に担うという見解で一致したのである。このように考える理由には、三人には証拠と議論に基づいて物事を熟慮して説明しようという意志があったからである。また別の観点からは、ソクラテス以前の哲学者たちは自然界(全宇宙)を自然を超えたものに言及せずとも説明できるという考え方を積極的に支持したからである。例えば、タレスはすべては水から成るという考えを抱いていたようである(とはいえ、水が万物の起源であり、あるいは万物は何らかの形で本当に水であると彼が考えたのかどうかは不明であるが)。この考えは素朴であまりにも単純化されている主張だと思われるかもしれない。しかしアリストテレスはタレスの見解について、タレスが十分な理由と論拠を持っていたと示唆しているのだ。

彼ら皆が、このように存在する原理がいくつあるのか、またはどのような種類のものであるのか、について同一の意見を抱いていたわけではない。しかしながら、この種の哲学の創始者であるタレスはそれを水だと述べたのである(だから彼は大地は水面に浮いていると公言したのである)。おそらく彼がこの考えを得たのは、万物の滋養物には湿気があるということ、そして熱そのものですら湿気のあるものに由来し、そしてその湿気に依存しているということを見たからであろう(万物の原理は万物が由来するところのものなのだから)。タレスの万物の原理は水であるという考えは、このように検討した結果であり、また万物の種子には湿気の性質があるからである。水こそが湿気ある事物の性質の原理なのである。

アリストテレスの解説からわかるのは、タレスの主張は観察できる証拠に基づいていると彼が考えたということである。

タレスの自然観は、ヘシオドスの宇宙開闢譚(おそらくはタレスの1世紀前であるが)と比較できよう。

オリンポスに住むミューズよ、我に教え給え、
宇宙がいかに始まりしか、そして何が初めに生まれしかを。
初めに現れしはカオス[混沌]なり。次に現れしは
胸元豊かなガイア[大地]、そは永久に安らかなる棲み処であり、
雪深きオリンポスの山々の頂を抱く不死なる者どもの住む。
そして胸元広き大地の奥つ方には薄暗きタンタロス[黄泉の国]、
そしてエロス[愛]、そは不死なる神々のうち最も美しきもの、
四肢緩やかにして、あらゆる神々と人々の意図と賢明なる計画とを
凌駕するものよ。
カオスから現れしはエレボス[暗闇]と漆黒の夜。
夜からはエーテル[輝ける高所の空気]とヘメラ[昼]が生ぜしが、
そは彼女がエレボスと愛を交わして孕み生みしもの。
ガイアは自らと等しき星輝くウラノス[天]を生み、
そは彼女のすべてを包み、
祝福されたる神々の永久に安らかなる棲み処とせんがため。
彼女は長き山々と、神々しきニンフらの美しき棲み処であり、
ニンフらは森深き山々に住む。
また、喜ばしき愛もなく生みしは不毛なる海たるポントスであり、
大波に激怒す。そして
ウラノスと床を共にし、彼女は深く渦巻く大海原を生み、
コイオスとクレオイス、ハイペリオンとイアペトス、
テイアとレア、テミスとネモシネ、
黄金の花輪をしたるフォエベと愛らしきテシスを生みたり。
その後の最後に生まれしは、ずる賢きクロノス、
子らの中でも最も恐るべきもの、この子は万能たる父を憎めり。

ヘシオドスは、これから行おうとする主張のためにミューズの助力を要請している。そしてミューズの権威を自説の根拠として神々の生誕を報告する。ミューズに頼っているので、ヘシオドスは宇宙に関する自説を自然界に存する客観的証拠から推測することはない。また彼は証拠に訴えることが必要だとも考えてはいない。ミューズにより提供された神の保証があれば、ヘシオドスの目的には十分なのである。ヘシオドスの宇宙起源説(彼の宇宙開闢譚)は実際には神々の起源についての物語である(神統記)。宇宙の各側面は神の明確なる諸特徴や人格と同一視され、この神が宇宙のその一部を支配する。、カオスの状態からガイア[大地]、タルタロス[黄泉の国]、エロス[欲望]、エレボス[地中深き闇]、そして夜の現前へと変化した理由は、この文章では説明されていない。大地、タルタロス、そしてエロスは単に生じただけである。どうやってこのことが起こったのか、そしてなぜそれらが別の時にではなくてまさにこの時に生じて来たのかも、説明しようとはされていない。ひとたびエロスが存在するようになると、生成原理は主に性的な事柄となるが、私たちはガイア[大地]がポントス[海]を「喜ばしき愛もなく」生み出すと聞かされるだけである。ある意味では、宇宙の様々なる部分そのものであるこれらの神々は、欲望や感情や意図といった点で人間さながらにふるまう。エジプト、シュメールやそれにヘブライにおける創造神話と同様に、ヘシオドスの物語は人格と宇宙の一部とを明確には区別していない。自然と超自然とが一致している。ヘシオドスは自説を裏付けるための理由を何ら明示していないが、それでもためらいもなく主張するので、彼はこの物語に対する適切な反応として、人々が受け入れるであろうとと考えているようだ。聞き手や読み手はヘシオドス説を批判的検討にさらし、その上で理性的に同意したりすべきではなく、さりとて同意しないというのも、好ましいことではないのである。

ソクラテス以前の諸子はヘシオドスの記述も盲目的信仰も拒否するが、その一方で注意すべきなのは、この事実を強調し過ぎないことである。ソクラテス以前の哲学者たちの断片には説明中の欠落があり、ミューズへの嘆願があり、神々の保証に対する明白な祈願があり、証拠から結論への過程を記した箇所に破損がある。これらすべての明らかな欠点があるにもかかわらず、初期のギリシア人思想家たちは批判的態度をとることによって大胆なる飛躍を成し遂げた。例えば、ミレトス学派においては、各々の思想家が宇宙の基盤となる究極的実体をそれぞれ別々のものとして提示している。タレスの弟子であったアナクシマンドロスは水が根本的物質であるという考えを明々白々に拒否した。その位置を占めるものとして、彼は境界無きもの(あるいは無限なるもの)と自ら呼ぶ単一なる実体を仮定したが、それはこれといった特徴のないものであり、そこから宇宙の他の構成要素が生じるのだった。次いでアナクシマンドロスの弟子であったアナクシメネスは無限なるものを拒絶したが、どうやら無限なるものというだけではあまりにも漠然としていて、アナクシマンドロスの要求する宇宙の根源たる任務に堪え得ないのでは、と主張したようだった。アナクシメネスの申し立てによれば、空気こそが宇宙の根源的物質なのであった。さらに、初期のミレトス学派の説にはある欠陥があるとも考えたようだ。というのも、タレスもアナクシマンドロスもともにその根本物質の万物への変形がいかに起こったのかを説明するメカニズムが述べられていないからである。アナクシメネスは、凝縮化と希薄化の二つの過程を提示することによってこの欠点を修正したのだった。つまり、空気が希薄化あるいは凝縮化すると他の物質が生じるのである。このように、三者の間には不一致があるにもかかわらず、この簡潔な見解ですら示しているのは、ミレトス学派の面々が同じ論拠と正当化の枠組みの範囲内で物事を考えたということなのである。

このような批判的態度を採用した初期のギリシア人思想家たちは、人間は自分が知っていると主張する物事を正当化できるのか、という問いに直面した。ミレトス学派の哲人たちは宇宙の根本的物質について主張し、そしてその主張を裏付ける論拠を提供したかもしれないが、そもそもどうやって彼らは宇宙の原初的あるいは根本的状態についての知識を所有していると主張できたのだろうか。彼らはそのような状態なんぞ決して知覚したわけがないのである。ヘシオドスならばこうやって答えたであろう、情報源はミューズであり、神々の生成についての彼の主張が正しいかどうかについては彼女たちに証明してもらう、と。同じようなことはホメロスにも見られる。ホメロスはトロイ遠征に従事した指導者名を列挙しようと欲した時に、ミューズたちに依頼しているのだ。ミューズは神的であるので不死である。ミューズは船が集まるところには隣在するので目撃者にふさわしく、ホメロスの伝える話に信憑性を与える。

いまや我れに伝えよ、ミューズよ、オリンポスの峰に住まうのは誰なのか、
というのも汝は女神であり、臨在し、あらゆることを知っているので。
我れはといえば噂を耳にするのみで、我らは何も知らぬ。
誰がギリシアの司令官であり指導者であったのか?
たとい我れに十の舌、十の口があれども
たとい途切れぬ声と、青銅の内なる心臓があれども
我れは大軍の有様を伝えられず、その名すらも言えぬ、
イリオン(トロイのギリシア名)の下に集った女神たる汝らが我れに伝えねば、何もわからぬのだ、
汝、オリンポスのミューズらよ、アイギスの盾をもつゼウスの娘たちよ。

背景は異なるが、ホメロスとヘシオドスはミューズに対して同じような祈願をしており、それでミューズに自説の正しさを保証してもらおうとしているのである。自説というのは、ホメロスにおいては歴史についての記述であり、ヘシオドスにおいては神々ならびに宇宙についての記述である。コロフォンのクセノファネスはこのような正当化を明確に拒絶する。クセノファネスは言う、「そもそも神々が死すべき人間どもに森羅万象について伝えることは決してない。そうでなく、人間どもは探求によって、時とともに物事によりよく気づくようになるのである」と。自説の神々による正当化を拒絶することによって、ソクラテス以前の諸子は人間の知識の由来を探究しようとする。この問題に対する魅惑のある言及といえば、アルクマイオンの断片に見いだされるようである。アルクマイオンは、神々が森羅万象に知悉しているというホメロスの見解を繰り返してはいるが、明らかに人間に関してはより悲観的な意見を抱いているようである。というのも、彼は「見えない物事も神々にとっては明瞭に見えるが、人間はさまざまな兆候から推測できるだけである…」と述べるからある。この断片の結論部分は失われているが、明らかにアルクマイオンは人間の認識上の限界性と神々の享受する高尚なる確実性とを対比しているのである。

ソクラテス以前の諸子は、確信が持てる確実な知識を意見や信念と区別するものについて考え、知識を獲得する際の知覚と思考の役割についても思い巡らせ、そしてそのような知識が可能であるかどうか、実際のところ、心配しているのである。その上、互いに対立するさまざまな宇宙論が現れるにつれ、理論の正当性に関する問題が表面化する。時には、前出の三人のミレトス学派の諸子のように、正当化とはどの理論が証拠に最もよく適合するように見えるのかという問いであるかもしれない。しかし、理論の正当化には別の側面がある。それは何が真正なる理論を構成するのかについてのメタ理論的疑問であり、特定の理論内容とは無関係なのである。この問題はエレア学派のパルメニデスによって最も人目を引く形で提示され、そして何が真に考えられ言われ得るのかについての彼の説得力のある主張は、彼に続く諸子を悩ませたのであり、その中にはプラトンとアリストテレスすら含まれるのである。

これら初期のギリシア人思想家たちは「哲学者」と称されるが、彼らは自分たちをその名では呼ばなかったであろう。彼らは多くの分野で活躍し、そして天文学・物理学・実用工学・数学・いわゆる哲学はその各々が別々の分野であるとは思っておらず、大半の思想家はこれらの研究に従事すれば政治とは無関係であり得る、とも考えもしなかった。書物(綴本でなく巻物としての)が書かれ広まり始めたばかりの、文字中心というよりいまだ口承中心の社会で、ソクラテス以前の諸子は実に多くのことについて考え、そして書いたのである。ソクラテス以前の哲学者についての古代の証言を見ると、彼らは物理学・倫理学・天文学・認識論・人間の神々に対する信仰・数学・形而上学・気象学・幾何学・政治学・知覚の機能・歴史(哲学者自身の対象とする分野の歴史を含む)・さらには絵画と旅行などについても報告しているのである。これらのことを彼らは韻文で書き、散文でも書いた。どのように人間は生きるべきかについての問いは、宇宙の根本的物質についての問いと同じくらい興味のあることであった。いまだ専門用語となっていない哲学的概念を明晰にしようと悪戦苦闘しつつ、彼らは優美なるイメージとぎこちない比喩、それに率直な主張と入り組んだ逆説とを駆使した。彼らの作品の大半は残っておらず、そのほとんどは後世の哲学者と歴史家の報告と引用を通してしか知られていない。これらの学者がソクラテス以前の諸子の最重要発言の一部を保存したり言及したりした。それゆえ、現在まで伝わってきたものの大半は、自然哲学・形而上学・認識論・そして倫理学に関する彼らの見解の断片と証言なのであり、この読本に含まれる大量の材料はこういった話題なのである。

紀元前5世紀の後半には、社会や政治、それに倫理的諸問題に対する関心が高く、一群の思想家諸子はこういった主題に専念した。彼らはソフィストと称された。彼らは何ものにも頼らず、諸国を巡り歩きながら、知恵と実践的政治術を教える教師であった。彼らの多くは熟練した華麗なる雄弁家であった。彼らは倫理的徳の性質や都市の最善なる統治方法についての問いを探究し、彼らが教授する雄弁術と社会観・政治観にお金を払ってくれる者を、生徒として引き受けた。彼らのほとんどはソクラテスの同時代人であり、一部はプラトンと時代を共にしたが、プラトンからは軽蔑された。偉大なる喜劇作家たるアリストファネスは『雲』という作品の中でソクラテスその人をソフィストとして描き出した。劇中では、ソクラテスなる登場人物は宇宙と気象の問題に関してはソクラテス以前からの伝統的関心を抱いている(これらの問題はプラトンの対話篇『パイドン』にもあるが、ソクラテス自身はこうった問題を研究するのは諦めたと強調している)。さらに、哲学が発展しつつあったのと同じ時代に、医学もまた発展しつつあった。古代の治療実践者は同時に医学理論にも関心があり、医学的文献には(いわゆるヒポクラテス大全と呼ばれているものに集められているが)ソクラテス以前の諸子の研究対象と一部重なっているものがある。こういったことすべてが示唆するのは、ソフィストと医療従事者と哲学者の間には絶対的な区別があると言えば極論になる、ということである。

ソクラテス以前の最初期のギリシア人哲学者の研究では、偉大なる知的冒険の最初期が見出される。ソクラテス以前の諸子を魅了した形而上学・認識論・論理学・そして倫理学の諸問題と諸困難は、プラトンとアリストテレスの研究課題に受け継がれ、さらに現代の私たちを含む他の後の研究者に伝えられた。彼らの仮説と見解の一部は奇妙であり、いくらか奇想天外ですらあり、のみならず理解困難な主張もある。しかし、これらの初期のギリシアの思想家は合理的探究の方針を維持すること、そして主張や証拠を批判的に吟味することが重要であると理解していたのである。私たちがこの冒険に加わる時には、私たちもまた、ミレトス学派にまでさかのぼるこの知的伝統に参与するのである。

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