どうせみんな忘れてしまうのに
とある名物を食べに、バスを乗り継ぎ、鄙びた漁港に行ってきた。
道すがら、山の中や、ひたすら広がる田んぼの中をひた走る車内から、ぼんやり外の景色を見ていた。
高齢化、過疎化を実感するには十分なくらい、空き家や空き地が目に入ってくる。ある空き家は木の雨戸で窓という窓全てが固く閉ざされていた。4人家族が住むのにちょうど良さそうな大きさの家。
建物の様相からして、かなり昔に建てられたことはわかる。
あの家が時を止めて一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。光が差し込まなくなった部屋を想像する。
ある空き地は、塀と表札だけを残し、家すら無かった。そこには、草が茂っていた。
けれど、人の営みがあったことが、残像のように見えた気がした。
自分だって、いつかは跡形もなくなる日がくる。100年後には、今いる人の大半はいないだろう。
私のことだって、覚えている人もいない世界がくることはわかっているのに、日々もがいている。もう少し楽に生きることはできないものか。