ADHDこそ最も充実した休日を過ごせる
ADHDは休日すらまともに過ごせない
私もそうであった。
土曜日の私は、山積みのお皿、洗濯物、すべき家事リストを横目に「やらなきゃ、やらなきゃ」とイライラしながら朝からベッドでYoutubeとNetflixを見ていた。自分から検索してみたいほどでもないのに、流れてくるというだけで見続けてしまうのだ。そして夜になって、何一つ生産していない休日に絶望していた。
しかし土曜日の夜に、たった1つのことをしただけで変わった。
溜まっていたお皿と洗濯物、家事リストの買い物と床やトイレ掃除を、わずか休憩も挟まずに一気に完了させた。夜には読書をし、静かに眠りについた。
朝、目が覚めるとスマホにわき目もふらず、読書をし、ジムに行き、ジョギングをして、本屋で本を買い、カフェで集中して読書が出来た。
ADHDの集中力を、やりたいことリストに120%投下できたのだ。
理想の休日を過ごすのは、驚くほど非常に簡単であった。
それを説明しよう。
勝てない敵を知れ
まず、我々には2つの絶対に勝てない敵がいることを知ろう。
FANGとコンテンツだ。
FANG:最高のエンジニアたち vs 凡人
GAFAでなくあえて、FANG(Facebook、Apple、Netflix、Google)と言う略称を使ったはNetflixを含めるからだ。
彼らのビジネスは、コンテンツのサブスクリプション、SNS、広告と様々な観点があるが共通した競合の目的がある。我々のお金ではなく、我々の時間を奪い合っていることだ。
映画を見せるため、動画を見せるため、SNSに滞在して広告を見せるため、彼らは我々の時間を奪い合っている。そのために、我々の何倍もの給与で雇われた、世界最高峰のエンジニア、マーケーター、行動経済学者が、サービスを設計している。
ボタンの色・形・大きさ、シークバーの挙動、次のオススメを出すタイミング、Skip機能など、どんなに小さいことでも全てが我々の時間を奪うことに割かれている。(私はマーケターだが、ボタンの色1つだけで人の行動が変わるのを何度も見ている)
更にタチが悪いことに、彼らは巨大になりすぎたため、世界中の行動データを保有している。私の次のYoutubeShortが、海外のホームビデオか、セクシーなKpopアイドル、芸能界のゴシップのどれが最も注意を引くかを考えることは、私以外の世界中の同世代・男性のデータが教えてくれる。ゆえに、
世界最高のエンジニアたち vs 凡人
虐殺と言えるほど、結果の見える戦いだ。
我々はこれらの敵と戦ってはいけない。敗北は目に見えている。
コンテンツ:世界中のクリエイター vs 凡人
第二の敵は世界中にいる。クリエイターと呼ばれる人たちだ。
企業に雇われているプロフェッショナルのクリエイター(映画脚本家、アニメ制作者)もいれば、個人やフリーランスのクリエイター(Youtuber、ブロガー、インスタグラマー)もいる。
最近は特に後者が厄介なので、彼らについて話す。
彼らは、わずか数本の動画から我々の数倍から数十倍を稼ぐ奇才だ。Youtuberは登録者10万人程度でも日本サラリーマンの平均年収を遥かに凌ぐ稼ぎを得る。しかしそんな奇才はごく一部だ。それこそ10万人に1人かもしれない。
しかし最近は、切り抜き師(Cliper)と言って、有名クリエイターの長尺動画や芸能人のテレビ映像を1~15分の短尺動画に編集するクリエイターもいる。
彼らはゼロからコンテンツを作る必要はない、その審美眼と編集技術で、コンテンツ元ではないにしろ、一般的なサラリーマン程度の稼ぎを副業で得ることができる。
彼らとプラットフォームは相互依存の関係にある。より多くのクリエイターがいれば、Youtubeは人の集中を集められるし、より多くの時間を奪えれば、クリエイターはYoutubeから広告費のマージンをもらえる。
そこで世界最高のエンジニアは素晴らしくも厄介な機能を付与した。自動翻訳だ。
クリエイターは翻訳家を雇わずとも、自分の動画を世界中の言語に翻訳することができる。
10万人に1人の奇才クリエイターは、日本の母数約1億人で言うとせいぜい1,000人だ。
ただ自動翻訳機能は、その母数をネットにアクセスできる世界51億人にしてしまった。
1名の奇才クリエイター vs 凡人
この構図ならまだ勝ち目はあるかもしれない。しかし、
1,000人の奇才クリエイター vs 凡人
またもやいじめが始まった。
世界中の奇才クリエイター vs 凡人
もう、この構図はいただけない。
アリが巨象に立ち向かうほうがまだ勝ち目がある。
そして思い出してほしいが、この巨象はエンジニアとクリエイターの2頭おり、彼らは一匹のアリを踏みつぶそうと、仲良くタップダンスを踊っている。
己を知れ:脳の特性
この世界一哀れな戦いには、より凄惨な第二幕がある。
それは、我々が凡人ではなく、注意力に欠陥のある凡人(ADHD)であると言う点だ。
なぜ我々が、外部の集中力に対してこれほど脆弱なのか、脳を覗いてみよう。
生物の脳には「これは良いことだもっとやりなさい!」と指示する、多幸感を生み出す報酬がある。ドーパミンだ。
ADHDはドーパミンが出る量が低いので、何か刺激があっても、その刺激から幸福感を得にくい。そのため、何かの作業中であっても、別の刺激が来るとそこにすぐ浮気してしまうのだ。
これは、将来大きな刺激を得られる中長期的な物事を継続するのが得意でないこと意味する。
家事をしている途中、ふと高校生の時に好きだった芸能人が頭をよぎり、大して興味もないのに彼/彼女が今何をしているのか気になってスマホを触ってしまうのはそのせいだ。
また一説には、ADHDは狩猟時代の名残とも言われている。
狩猟時代では、肉食獣の近づく草むらの音が聞こえたら、火おこしをすぐに中止する方が生存できていた。
現代で草むらから肉食獣には近づいてくることは一生に一度もない。
Youtubeの草むらから出てくるのはTWICEや千鳥だ。
振り返ると、先ほどの戦いはより凄惨なことになる
世界最高のエンジニアたち vs 凡人
世界中のクリエイター vs 凡人
ではない、
世界最高のエンジニアたち vs 注意力に欠陥のある凡人
世界中のクリエイター vs 注意力に欠陥のある凡人
である。
悲劇と言わずに何と言おうか。
唯一の勝機「ゲート」
ADHDは、2頭の巨象に為すすべなく踏みつぶされるだけなのだろうか?
勝機はある、彼らは1つのゲートを潜ってくるのだ。
恐らくこの記事を見ているあたなも、ゲート、つまりスマホを今まさに使っているはずだ。
この便利な石板は、世界中の情報にアクセスできる便利な窓であったが、最近は違う。
窓の方からエンジニアの右手と、クリエイターの左手が伸びてきて我々の頭を鷲掴み、窓を見続けることを強制する、魔界へのゲートのようなものだ。
このゲートは便利過ぎる為、エンジニアもクリエイターもこのゲートを主な交通網として使っている。要は、ゲートを閉じればいいのだ。
ゲートの特徴|アクセサビリティ
ゲートの封鎖は、私は何度も挑戦した。
そして敗北した。
脳内麻薬を刺激するよう設計されたコンテンツたちは、ゲートを閉じた私自身の手で、数分後にはゲートを再度開けるように刺激する。
以下、私が挑戦と敗北の記録だ
・スマホロックアプリを使う => アプリ起動前にYoutubeを見始める
・スマホの電源を落とす => 10分後に電源をつける
・スマホをベッドと壁の隙間に落とす => 15分後にベッドを動かし始める
・スマホを1Fのポストに放り込む => 15分後に1Fに降りて(略)
・最寄り駅のコインロッカーに放り込む => 1時間後に最寄り駅に行き(略)
・スマホを家に置き、本を持って隣駅まで行く => 半日有効だった。帰宅すると寝る前と起きてから、スマホを見まくる。そもそも隣駅まで行くのが大変である。
敗北ではあるが、無意味ではない。
実際、最後の1つは非常に有意義な時間を過ごせたし、一時期、週末のたびに遠くの駅までスマホを持たずに移動していた。
いずれにせよ、
封印のアクセサビリティが容易な程、高頻度で達成でき、
開封のアクセサビリティが面倒なほど、開封まで時間がかかる。
問題は、封印と開封のアクセサビリティは相関関係にあることだ。
ベッドの隙間にスマホを落とすのは簡単だが、ベッドを動かして取るのも簡単である。
隣駅までいくと家までスマホを取りにいくのは面倒だが、そもそも隣駅まで行くことが面倒だ。
要は、「封印は簡単で、開封は困難」という状況を作れれば良い。
そしてこの難問は驚くほど簡単に解決できると、会社のインターン生に教えてもらった
誰もが見たことあるこの類のシンプルな商品だ。
私も知っていたが、効果が薄そうだと買っていなかった。
ただ、インターン生が教えてくれた時に運よくADHDが発動し、5分後にはAmazonで購入完了していた。(この瞬間、あなたのADHDも作動していること願う)
高く思えるが、効果は絶大だった。オススメは金曜日の夜だ。土曜の朝にやろうとしてはいけない。目を覚まして、「少しだけ」とスマホを触りはじめると、いつもの通り夕方になっている。
使ってみると想定通り、最初は効果が薄かった。と言うのも、「入れたら簡単だが、入れるまでが大変ではないか?」、「そもそも長時間ロックはできるのか?」という問題だ。
それはむしろADHDが上手く働いた。
実際、私は以下のような動きになった。
実体験|発狂と充足
金曜には封鎖ボックス(呪術廻戦が好きなので獄門疆と呼ぶ)は届いてた。
私は深夜に仕事を終え、土曜日にはスマホから解放された充実された日が始まると思い、スマホを見ながら眠りについた。
土曜 朝・日常
日差しにムリヤリ起こされた寝不足の私は、ルーティン通り枕横のスマホを取り出した。
獄門疆に入れよう、家事をして本を読もうと心に決めつつ、まずは溜まっているアニメとマンガを読み始めた。全部消化し、獄門疆が入った段ボールを開けようとするも、最後にKpopの曲を聞いてからにしようとYoutubeを見始め、次に「後で見る」に溜めてあった漫才を見始めた。昼になり、ランチを食べようとするも、ランチ中は暇だし、ランチまでは見ていいやと何度か見たことのある海外のホームビデオShortを見ていた。高校生の時に読んでいたマンガのアニメ版を発見して戦闘シーンを見終わっているころには、21時になっていた。
土曜 夜・ADHD
人生何百回目かの自分への失望で、私の私への怒りは頂点に達した。
ここでADHDの衝動性が上手く機能した。
思い切って獄門疆の入った段ボールを開け、獄門疆に電池を入れ、勢い任せにスマホを入れ、ロックタイマーのダイヤルをめいっぱい回したのだ。
数時間ぶんしか進まなかったが、ダイヤルの動きにすら刺激を覚えた単純なADHDはダイヤルを回しまくり18時間にセットされた。5秒のカウントダウンの後、獄門疆はロックされた。
当然、電池を抜いたり、蓋を引っこ抜こうとして開封を試みたが、完全にロックされていた。
魔界へのゲートは封印されたのだ。
土曜 夜・発狂
ここで安泰ではなかった。禁断症状のようなものが出始めたのだ。
私は約1時間、家事をしながらずっと独り言を言っていたのだ。
(脳内の独り言はChatterとも言われ、ADHDはこれが特に酷い。それはしばしば実際に独り言として口から出ていく)
思うに、寝る前も、起きたときも、食事中も、買い物中ですら、音楽や動画の刺激を常に受けていたので、「刺激がない状態」に慣れず、自分で刺激を発していたのだろう。
傍から見ると精神に異常をきたしていると思われてたに違いない。
ADHDは家事に向いている
ADHDは休息を許さない。止まると呼吸できなくなるマグロのような生き物だ。
間断なく刺激を求める私の脳は、無限の刺激を供給するスマホを失い、刺激の発散先を求めた。
その強力な衝動性は驚くほどマルチタスクに向いていた。
目に付く家事を、片っ端から休むことなく処理し続けたのだ。
洗濯物を洗濯機に放り込む。横にあるお皿が視界に入ると、即座に皿洗いを開始した。
直後、真横の炊飯器が目に入り、ご飯を炊こうとお米が入っている引き出しを開ける。
ふと連鎖的に卵が切れていることを思い出し、引き出しを開けたままスーパーに行き、卵を買いながらシーチキンが切れていることも思い出して纏めて購入する。
家に戻り卵のパックを冷蔵庫に入れる最中、お米を炊いていないことを思い出し、お米を計って炊飯器をONにする。
電源コードを見たときに掃除機をかけていないことを思い出し、そのまま床掃除を始めるも、トイレに面した廊下でトイレを掃除を思い出し、トイレ掃除を始める。そのまま洗面台の鏡の汚れが気になったので纏めて掃除をし、洗面台を出ると途中だった床掃除を再開し、拭き掃除も完了させる。掃除中にゴミ箱が溜まっていることが気になったので、即座にゴミ捨てを行う。
非効率的な家事処理ではあるが、それは不断の集中力で補うことで1時間かそこらで家事を終わらせることができた。
何より、家事が終わることにスマホを触り、マッチングアプリの通知やラジオ代わりのYoutube動画を選ぶ必要がなかったため、完全に集中できた充足感で満たされていた。
そして口の独り言も脳内の独り言も気付いたら止んでいた。
何年かぶりの完全な静寂の中にいた私は、スマホなぞ比にならない程の充足感を得ていた。
スマホがなくても便利だった
止まることのない衝動性は、私をジムに連れて行った。
ジョギングの際、私はラジオ代わりにyoutubeを使っていた。
そうしないとChatterが思い出したくもない来週のタスクを読み上げ始め、ストレスをが増すからだ。
しかし完全な静寂を得た私は、むしろ走ることそのものから刺激を得ることで、いつも以上に集中しかつ短時間で、日課のジョギングと筋トレを終えることが出来た。
家に戻ってスマホを見ようにも獄門疆に封じられたままだ。
「風呂に入らなきゃ」とスマホを見ることなく、すぐに風呂に入った。
「そろそろ寝なきゃ」と思いながらブルーライトで目を起こされ続ける夜と違い、本を読みながら健康的な時間に、自然に入眠することができた。
日曜 朝・スマホから始まらない朝
早めの入眠により、睡眠不足がない状態で目覚めた朝は最高であった。
毎朝枕元にいた、病的にこっちを見てと言ってくる恋人はそこにはもういない。
ゆっくりと起き、朝食を済ませた私は、誰にも邪魔されることなく、ジョギングに出て、本屋に立ち寄りほしい本を買った。
普段ならスマホのメモ機能を見ながら本を探して、気が付けばYoutubeを見ていたものだが、そんな便利なものは今持っていない。
代わりに、目に付いた気になる本を色々手にとり、偶然の出会いに感謝しながら本屋を後にした。(そしてほしかった3冊とは違った7冊を買っていたことは我ながらADHDだなと思った)
スマホを見ずにする食事もよかった。
何を食べているのか、食事そのものを楽しむことができた。(ちなみに人は情報の7割を視覚から得ている。スマホを見ながら料理を食べる時は、料理の味を感じていないか、スマホ味のパスタを食べているに違いない)
午後は観葉植物の買い物をした。
スマホで近くの店の品ぞろえを見るのは効率がいいかもしれないが、非効率でもあれこれ歩いて植物を見るのは気持ちがいいものだ。水やりの方法もネットで調べるより、お店の専門家に聞く方がはるかに効率的で気持ちもいいものだ。
ほしいものを買った私は、前々から読みたかったアガサクリスティの推理小説を読み終えた。気付けば4時間が経っていたが、映画を一本見終わったような心地よい高揚感も得られた。途中スマホを見なかったのは非常に大きい。映画の山場に、マッチングアプリのCMが流れることを想像したら、どんな映画も台無しだろう。
無限の刺激を失った、刺激の渇望者ADHDは、本当にしたいことに全ての集中力を、休みなく注いだ。結果、理想以上の休日を過ごすことができ、土曜日同様、満足と共に健康的な時間に入眠することができた。
ADHDは持続に向いている
ADHDの矛盾じみた特徴の一つに、「継続が苦手」と「病的に継続する」というものがある。
気になった曲は1日中何度も聞いたり、頭の中でずっと再生されたりする。
また、タバコ、麻薬、ギャンブル、SEXにも依存しやすいと言われている。
これは決して矛盾ではなく
「(将来得られる刺激に向けての)継続は苦手」と
「(即時的に得られる刺激に対しては)病的に継続する」と言えると考えている。
そして獄門疆による刺激は驚くほど継続性を見せた。
何せ、ダイヤルを捻るだけで、スマホ以上の快楽を得られるのだから。
この日以降、私は家に帰る度にスマホを封印し、翌朝の出勤直前に封印が解除されるようにタイマーをセットしている。仕事のメールが気にならなく副産物付きだ。
今のこの記事もPCで書いているが、ネット回線は切ってある。
獄門疆は割と大きいので、Wi-Fiルーターもそこに放り込んであり、PCはオフライン状態でメモ帳にテキストを書いているのだ。
周りからの質問
この話を周りにすると、いくつかの質問を受ける
Q:AppleWatchやウェアラブルデバイスで歩数や睡眠時間を管理しているが、そこでLINEの通知も見えてしまう。脱スマホはできないんじゃないか?
ウェアラブルデバイスも封印しよう。
私も食事管理アプリや、歩数計アプリをスマホに入れていた。
今日は何km走った、今日は何kcalに抑えられた、体重は何kg減った、というのは自己肯定感を高めるものだ。
私もジョギング時、アプリに歩数結果を反映させられないことにやきもきしたが、
我々は、アプリに褒めてもらうために運動しているわけではない、と気付いてからむしろ気が楽になった。
あと何km走らなきゃとか、5km走ったからもういいや、とは考えない。
体重の多少の増減も、少し食べ過ぎたとか、睡眠時間が平均の30分足りないとかはたいして気にならくなった。
「まだ眠いか」、「お腹はいっぱいか」とスマホでなく体に聞くことで、心身共に健康的な食生活を得ることができた。
Q:外出時にスマホがないと面倒では?駅の切符、移動方法、ランチの場所とか
面倒だが、苦痛ではない。
駅の切符は買えばいい。大した苦労でもないし、むしろ最近だとない体験で気持ちもいい。
移動方法は、スマホ封印前にざっと見て覚えておけばいい。分からなければ、駅の案内板、駅員さんや、なんなら近くのコンビニで聞けばいい(私は方向音痴で地図アプリを見ながらでも道に迷うので、普段から人に聞いている)。
ランチを探すのもなかなか面白い。食べログの評価は一定の品質保証にはなるが、街を散策して、自分の勘と嗅覚で新しい店を発見するのもいいだろう。当たればラッキーだし、外れてもそれは話のタネになる。
Q:SNSの通知が来ていないか不安だ
私だけだと信じたいが、恐らく我々の想定以上に、連絡は来ない。
10時間以上の封印からスマホを開けても、通知は驚くほど来ていない。公式LINEからの連絡の時もあった(私だけではないはずだ、きっと、恐らく、、、そうに違いない)。
とは言え、私は友達は多い方で、今は使っていないFacebookでも1,000人以上、LINEでもなんだかんだ誘いの連絡は来る。
ただ、返信が1日経とうが大して問題はないし、気の知れた仲ならそれくらい許してくれるだろう。急な飲みの誘いもいきたいものだが、自分のやりたいことに集中する時間も大事だ。
最後に
恐らく、ここまで読んでいただいた貴方はまだ獄門疆を買っていないであろう。
同じADHDであれば、途中のリンクでAmazonで購入していれば、もうこのブログには戻ってきていないし、逆にここまで読んでいるということは、先ほどのAmazonへ移動していないはずだ。
なので、最後にここにも貼っておく。
リンク
ここ数年、色々集中する方法を試行錯誤してそれはそれでタメになったが、個人的にはこの方法が一番強力であった。もっと早く出会いたかったと心から思っているほどだ。
最初に試してから2週間後、私は急に箱根でリフレッシュしたいと思った。
行き方を手帳に書いて、スマホを獄門橿に入れて、飛び出した。
旅館に泊まり、自然に触れ、温泉を堪能し、翌日はスマホも見ずにバスの次の行先を見ていたので、気になっていた美術館が2つも路線上にあることを発見した(当然、予定になくても飛び降りた)。写真が撮れないので、1つ1つの作品を集中して目のシャッターに収めたが、非常に心地良い週末が過ごせた。
もしあなたが同じ悩みをもし持っていたら、いち早く試してほしい。
あなたの個性は、あるべきことに最大限の集中力を発揮するのを待っているから。