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「ぼくはきみのすべてが知りたいんだ」
そういうあなたのすべてが知りたくて。
都会の喧騒は、話し出すには苦しくて、耳を塞ぐほどには煩わしくない、だから納得ができない。
そんなささやかな生活のむずかしさから、わたしの心を解き放つ。
きみのすべてを知りたい、の言葉。
「あなたの夢を見たの」
ぼくもきみの夢を見たんだ。本当だよ。
騒がしい日常から乖離するように、或いは、その日常に溶けてしまうように、寄り添いながら眠るぼくらには、ささやかな生活のむずかしさを忘れさせるだけのおもいがある。そういうふうに感じている。
あなたのすべてを受け入れる、ということ。
社会生活の中に紛れることが日常だとするのであれば、ふたりの生活は非日常なんだろうか。でもぼくたち、わたしたちにとっての日常は、ふたりですごすその一分一秒であってほしいと心から願ってしまう。
周りが生み出す非日常から、深淵へと堕ちてしまった方が幸せならば、ふたりの生活はそれでいいとまで錯覚してしまう。棄てられないものがたくさんあるのに。
わたしはあなたのすべてを知りたいし、ぼくはあなたのすべてを包んでいたい。
ふたりにとっての好奇心は、その答えは、ほんの少し手を伸ばした先に。