そろそろ100歳の夫人から聞いた話 『子供の頃嫌だったこと』
これはからし山まよ江の備忘録です。
聞いたり読んだりして「ふーん」と思った事のメモなので、特別ヤマもオチも教訓もございません。
・話を聞いた日:日付不明。たぶん1~2年前。
・話してくれた人:Aさん女性。たしか97か8才。知人。
物静かな人だが、ある日珍しく子供の頃の話をしてくれた。
自分には姉と弟がいた。
弟は少し年が離れた末っ子。
姉がとにかくしっかりしたよくできた人だった。
それで祖父母が自分の前で
「長女がとにかくよくできた子だったから、家は長女に婿を取らせて継がせたかった。でも、末っ子のみそっ子ができたのでは仕方ない」
と、大きい声で話をする。
Aさんはそれについて
「私は子供だからわかんないだろうと思って言うんだろうけど、嫌でねぇ」
と言う。
みそっ子は俗にいう「みそっかす」とほぼ同意。
一人前に扱えない子、というような意味だろう。
末の長男であるAさんの弟は出来がよくないという評だ。
※これを聞いているAさんも「まだ子供のころ」と言うから、Aさんの弟はよほど幼かっただろうと思われる。
体が弱かったのか?このあたりは掘り下げなかったので不明
きわめて優秀だというお姉さんのことをAさんは
「なんでもよくわかって、人の言うことをよく聞いて我慢する人だった」
と言う。
その時代(昭和ヒトケタくらい?)の模範的な人物像がよくわかるコメントだと思った。
興味深かったこと。
Aさんの話をうかがっていると、「嫌な話」をする祖父母が特別因業なキャラクターというとらえ方はしていない様子。
この時代、大人が『後継者としての子』を品定めして遠慮ないコメントをするのはさほど異常・ひどい意地悪な事ではなかったのだろう。
それにしてもAさんが祖父母の話を理解できる年齢なのに、祖父母は
「子供にはわからない話」
として堂々と話しているのも驚く。
(Aさんだって、まさしくこの家の子供なのに!!)
これは
「子供にはわからない内容だから、と安心して話している」
というより、
「大人の話に子供が入る幕は一切無いから、いてもいなくても同じ」
という価値観なのかもしれない。
部屋にワンちゃんネコちゃんがいても内緒話はできるような。
福祉という概念すら危うい時代なので、お家の存続と言うのは何をおいても大事だったんだろう。
跡継ぎ殿のデキがよろしいかよろしくないか、周囲がずけずけ品定めするのも当然の権利だったのかもしれない。
(いや、別に「見習う所もある」みたいな話じゃないですよ!
「子供たちがこんな風に扱われなくて済む世の中にしたいですね」という気持ちでございますよ、私は)
ただ、なかなか聞けないお話だったのでメモにしておきました。
※ちなみにAさんも、他の家に嫁いだお姉さんも、Disられた跡取りの弟さんもみーんな元気に長生きして、その後もずっと付き合いは続いたらしい。
ただ、この話を伺っている時はごきょうだいも皆亡くなられているということだった。Aさんはお元気です。
"子供は家庭の従属物ではなく、子供その個人に主体的な権利がある"
と国際的に定められたのは1989年なのよね。実際。
(興味があったら「子どもの権利条約」で調べてみてね)
日本は1994年に批准している、と今ぐぐりました。おしまい。