トマス・ピンチョンの小説が解読不能すぎて吐きそう
ここのところ、トマス・ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』を読んでいる。
読んでいる、と言いつつ、全く理解できない。
これは、読んでるといえるのだろうか?
いや、でもわからなくても読み進めるうちに
わかるようになるかもしれない。
いやいや、ページを進めてもわからないなら
意味なくね?
とはいえ! 読まないとわからないともわからなくない?
逆に、読まない方がいい場合もあるよね?
逆の逆に?
……みたいな自問自答を、作品と関係なく
頭の中で別の人格同士が協議してる。
じゃあさ! 解説読も?
と、正論っぽい意見が聞こえてきたので、
それに従うことにした。
まずは、訳者のあとがきを読む。
……えっと、、、そういう話でしたっけ?
と、あらすじすらあやしい。
ちょま……え? もう一冊、解説本あるやん?
あれ読んでみたら? 作家の解説なら読めるかもよ??
と、思って、池澤夏樹が京大か東大かで
講義した内容をまとめた本を読んでみる。
20ページくらい丁寧に解説してくれている。
のに!
いや、いや、こっちの文章も読めまへんわ。
情報量が凝縮しすぎてて、文字が虫に見えてきた……
てか、これ"しゃべってる内容とは思えないんだけど?"
原稿読み上げてる?
やばい、まじで八方塞がりだ。
他の人の解説を目で追ったし、
もしかしたら、もしかしーたーらー、
わかるやうになってる可能性にかけて、
作品をもう一度読んでみる。
はぁー、やっぱわからない。
主人公がエディパ・マースってことは、わかったわ。
元恋人が死んで遺産相続人に指名されたのも、
ギリわかった。
で?なんでこの人、突然、アングラ劇団の劇観てんの?
しかも、なんで、その原作を探すために遠い街の古本屋まで車飛ばして探しに行ってるの?
さらには、ゲイバーで見知らぬ恋愛撲滅委員会みたいなのの会員の男に相談してるのは、なぜ?
わけがわからない。
その上、注釈が50ページもついてる。
本編は240ページ程度なんですよ。
1/4強の注釈?!
これ読むだけでも超大変じゃない泣。
しかも、この注釈がまた凝ってる凝ってる。
一つ、紹介します。
本編で登場するたった1行のギャグがあるんですが、
丁寧に元ネタである「童話のラプンツェル」の
あらすじガッツリ書いて説明してくれてる。
ギャグを論理的に解説されるの、ピンチョンも恥ずかしいと思うよ???
と同情しつつ、ラプンツェルのあらすじを読み、
「え? 待って、フリン・ライダーって泥棒じゃなくて王子だったの?!」
と、これまたどうでもいい情報を仕入れ、
さらに本編への理解から脳みそが距離を置く。
なんだろう、Wikipediaを丹念にリンク飛びながら読めたら深夜3時になっちゃった、みたいな不毛感とトリビアの泉。
ここまでくると、私が読んでるのは日本語じゃないのかもしれないと思い始めてきた。
エディパ・マースのエディパはオイディプス王のもじりで……とか、
他の作品を下敷きにした高度で日本人には馴染みのないシュールな笑いを仕込まれた本作。
本編の読解、考察からどんどん離れて、
「読む」とは、なんなのか。
という壮大なテーマに置き換わりつつあります。
いつ、「読んだ」と言える日が来るだろうか……