ゴーイングマイウェイしても愛してもらえるお話し
わたしは好きな人や大切な人に嫌われることが極度に怖くて、自分の部分部分を隠して生きてきました。
あまり知らない人や自分にとってどうでも良い人にはどう思われようといいや!と多少は思いつつも、やはり自分を良く見せたいという思いは強い方なのかもしれません。
主にメンタルヘルスとジェンダーで上記のことを強く感じてきました。
まず、精神的に辛いときに辛いということ、希死念慮に囚われている時にそれを言うこと、衝動的にODやリスカなどをしてしまっていたことなどについて知人にオープンにするのはとても難しかったです。
自分の弱さを知人に見せて、評価の対象としてしまうことはとても怖かったです。
わたしの違う側面を知っているから、その側面とは違う私を見せるのは失う物があるように感じて怖かったし、何より自分の中にあるめんどくさいと思われないか?嫌われないか?という気持ちが強かったのがいけなかったのかと思います。
最近やっとそう思わなくなってきました。まず、メンタルヘルス疾患を患っていることは誰にもめんどくさい思いをさせるものではありません。お金を払って病院に行って、自分で本を読んで、同じようにメンタルヘルス向上に関心のある友達と話し合う。辛い時は、少しでもポジティブスパイラルを始められるように小さくても自分に良い行動をおこす。メンタルヘルス疾患は誰かに魔法で治してもらうものではなくて、自分が行動を起こして治さないといけないんだ、大変なのはわたしだ、という治療のオーナーシップを取れた時に、自分は誰かの負担になる、という考え方をやめることが出来ました。
そうした姿勢でいるのにも関わらず、仮に誰かに嫌われたとしても、それは別に嫌われて良かったかな、と思います。何故かは分かりませんが、その人とは考え方が合わなかっただけだし、自分にとって大切な考え方と合わないなら嫌われても構いません。
しかも私にとって大切な人たちの多くは、私がメンタルヘルス的に辛い思いをしていることに対してとても優しく愛してくれました。嫌われるどころか、心配してくれたり、色んな配慮をしてくれたり、助けてくれたり、素敵な言葉をかけてくれました。本当にありがたいです。
ジェンダーについても似たようなことが多いです。Gender non-conforming (既存のジェンダー観にそくしていない)というアイデンティフィケーションレーベルを私は最近使っていますが、別に誰にも何にも言われませんし、おそらく多くの人にとっては、だから何?という感じだと思います。
ただ、こうしてある程度世にも広まっているクィアレーベルをきちんと使うことや、自分がなりたい自分の見た目やファッションや所作や話し方を追求することで、それが好き!と言ってくれる人たちと出会えました。
ジェンダーもセクシュアリティも最初は慣れないレーベルを使ったりそれを自認したり、公言することに抵抗はありましたが、そうした方が自分が楽だし、幸せだし、なによりもそれを知った上で私と仲良くなってくれる人と出会える。良いことばかりですね。
ゴーイングマイウェイする時に、もしそれが出来ない心の中の蟠りがあるのなら、どうにかしてそれに向き合うことが一番はじめにしないといけないことでした。めんどくさいと思われるかも?に対しては自分から進んで治すという姿勢になることが大事でしたからね。
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