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トランスジェンダーって個人的にはめっちゃ敷居の高いレーベルなんだけど名乗ってみたいのっていうお話

自分の中でトランスジェンダーってめっちゃ硬くてカッチリしてて敷居の高いレーベルなの、というお話しについて。

私がジェンダーについて学び始めた頃、ノンバイナリーやXジェンダーやパンジェンダーやgenderqueerやgenderfluidなど様々なnon-cisレーベルについて学んで、それと同時にジェンダーの社会構築モデルや、性愛指向との関係や、ジェンダー差別構造や、性的逸脱差別モデルなどとにかく色んな事を同時に沢山学びました。

その後もどんどん難解なジェンダーとセクシュアリティの理論やデータや実体験を重ねまくり、正直自分の性自認や性愛指向に向き合わずに突っ走って来てしまいました。

例えばトランスジェンダーというアイデンティティ一つとっても、性的逸脱の医療化の歴史や、障害者差別や人種差別との交差、文学批評におけるproトランス的な読み方、トランス文学、また時代や文化や地域によってメインストリームジェンダーも性的逸脱も全く異なる人々が体現してきた異なるものであることなど、歴史的事実や批評理論を常に一番最新の批判的な視点、主にクラスルームディスカッションでみんなで紡ぐ批判的視点から学んできました。

とにかく新しい学びを常に批判的にすることが求められ、課題量も多く、でもとてもとても楽しく学んでいました。それを思うと、自分のアイデンティティに照らし合わせて消化するのは出来ていなくて当然だったのかもしれません。最後の一年はメンタルヘルスも相当悪かったし。

それはとにかく主題に戻ると、私が受けていた授業と日々の生活を通じて見てきたトランスジェンダーという言葉にまつわるイメージは、こんなに批判的に歴史背景も知りながら学んできたにも関わらず、
・身体的なトランジション
・明らかに女性か男性
みたいなイメージで、自分にとってはとても遠く、敷居が高く、自分を指すためのレーベルとして声に出すのは恐いと感じる言葉でした。

あと、わたしの性愛指向はジェンダーはあまり関係なく、相手の知性や可愛さとカッコ良さ両方を持っているバランスに魅かれるので、内面化してしまっているヘテロシスノーマティビティのヘテロノーマティビティをなんとか排泄するのにも少し時間がかかりましたし、思春期に感じていたゲイと自認してる男性に男性として性愛対象になりたい思いや、自分は女子ではないがメイクとかネイルは楽しいんだ、みたいな色んなちぐはぐが良く理解出来ず、しかもだからといってそれについて話せる人も考える時間もなく、かれこれ10年間くらいうやむやにしてきてしまいました。最近やっと、休学とメンタルヘルスの改善もあって、ゆっくりむきあえたかなぁと思ってます。

トランスが元はもっと広い意味での性的逸脱を指す言葉であったことも知ってるし、バイナリーに囚われる必要なんてないことも知ってるし、究極私がトランスと自認すればトランスなのは当たり前だし、他の人からしたら今更なんじゃい、というくらいのことかもしれないんですけど、やっぱりなんか敷居が高いというか声に出すのは勇気がいることなんですよね。勉強は好きだし得意だけど、自分のことに向き合うのは好きじゃないし苦手だし。

逆にgenderfluidやgenderqueerやqueerやノンバイナリーというタームはより歴史も浅いですし、色んな意味がまだつきまとっていない言葉なので名乗りやすいです。それでもノンバイナリーだよとか、they/themだよって言い始めたのは最近なんですけどね。

そんな中でも、ノンバイナリーとかgenderfluidみたいな少し一般世間からするとマイナーな用語よりも、トランスジェンダーを名乗ることには政治的にも文化的にもディスコース的にも居場所的にもとても意味があって、個人的にもトランスジェンダーって名乗りたい気持ちもとてもあるんです。だから敷居は高いんですけど、少しでも低くするために自分的にトランスと言ってどういう意味を持たせたいかを箇条書きにしてみました。

私がトランスを名乗るとしたら、それはこんな意味になります:
・バイナリーに囚われずに自分のジェンダーについて考えてる人
・身体的特徴に依拠しない定義の仕方のジェンダーな人
・ディスフォリアもあるけどそれは常に自分を取り巻くモヤモヤ感であり、そこまで明確に痛みを感じるものではないこと
・むしろ自分が見られたいジェンダーで見られたり扱われたりされる時のユーフォリアが痛烈に感じること
・自分が生きてきた過去を否定しない人
・常に今の自分を肯定できる人
・これからなれる自分にワクワクしている人

あくまで私にとってトランスジェンダーという言葉がなにを意味するかという話しなので、きっと色んな人の中にあるトランスジェンダーという言葉に対する意味とは違うのかもしれなくて、それって記号としての言語の機能を活用出来てないのかな、とかも思うんです。

でも、言葉の意味というか中身って今までと同じく、その時々にそれの側に居た人達が作ってきたわけだし、私にもそれに参加することは出来るのかなって思います。

なので、こんにちは!トランスジェンダーのめいです。ノンバイナリー的なトランスと言う方が伝わる人には伝わるかな。

男の子になりたい!とか、僕はバイセクシャルやゲイの男の子と恋愛できるんだ!とか、カッコよくて可愛い女の子も大好きなんだ!とか、ノンバイナリーな人、賢い人、考え方がオープンな人が大好きなんだ!とか、なんか今までと何も私は変わらないです。

特に気遣わずに今まで通りそっと見守って貰えると赤ちゃんは喜びます。うふふ。


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