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都会と心、感性

西武池袋線、土曜日、午後6時21分。私は急に、生きていると感じた。

馴染みのない路線、馴染みのない座席の色。突発的に決まった予定、山積みになっていないタスク。

少し休んでおこうと目を閉じると、電車が動く音が聞こえる。馴染みのないガタンゴトンのリズムを聞いたとき私は急に、あぁ、私は今生きていると思った。

「最近、自分が"生きている!"と感じた瞬間はなんですか?」上級生のインフルエンサーがインスタのストーリーに載せていた質問だ。あまり考えたことはなかったけれど、人間的な生き方をするには自分が”生きている!”と感じる瞬間を追求するのがいいのかもしれない。その質問を投げかけられたとき、瞬時に答えることはできなかったけれど、過去に考えていたそれがそのとき、たまたま、セレンディピティのように、あぁ今私生きているのかもしれないなんて感じたんだ。

真夏の午後6時半近く。向かいの窓から差し込む夕日とすこしピンクがかったそら。デュラララの舞台になる池袋、見知らぬ土地だけど漫画を思い出しては漫画の二元的な世界の景色を窓の外に探した。向かいのカップルが持っている小さなテーブル。同棲を始めたのかな?何に使うテーブルだろ、、。そのとなりに腰掛ける大学生(多分大学生)は、なんだかボーっとあたりを見つめていた。その情景のBGMのように耳の後ろでなるガタンゴトンの音を聞きながら、座席シートにもう少しだけ深く身を沈めた。そんな情景と共鳴した。

日々は目まぐるしく変わっていたが、その瞬間の車内だけは穏やかな変化スピードを保っていた。まるで変化しているのは時間だけだとでも錯覚しそうだった。一生このオレンジ色の空を見つめながら西武線に揺られていたかった。緩やかな変化と律動を求めていた。それと相反するように(どちらかといえば私の状況に心が相反しているのだが)、私をとりまく環境は1日ごとに、なんなら1秒ごとに急激に変わっていた。私の心の欠片はいまだに大分県のキャンプ場の子供達とかカナヘビとかと一緒にいた。心の反対側では、どうしようもなくアメリカ西海岸の海辺での夕焼けを渇望していた。そんな物理的に離れた場所達への郷愁を心にまといながら私は睡眠し、目が覚める旅に雑多な東京の街中にいる自分を見つけた。コンクリートに囲まれたヒートアイランドの上を、ヒールをコツコツいわせながら歩いた。朝起きて、家を出るたび、赤いリップをひいて、少しだけ自分を奮い立たせた。でも多分心はずっと、海を、森を、川を、動物たちを、求めている。赤いリップなんてひかなくてもいい日常を求めている。

きっと東京は私たちの心を持っていくのが得意だ。日々の雑踏に五感を惑わせては、人間の五感さえもコンクリートと、熱気と、狂い鳴く蝉の音に溶かしてしまう。気づいた時には私たち、「"生きている!"と感じた瞬間はなんですか?」の質問にも答えられなくなっている。感性のアンテナを東京に持っていかれてしまったみたいだ。

西武池袋線のシートの上、土曜日、午後6時21分:私はそれを少しだけ取り戻したみたいだった。

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