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血縁

弟を諫めるように私を嗜める母をみて、「私はまだ彼女にとって嗜めなければならない存在なのか」と愕然とします。大人になりたい私の生焼けの成人性が未熟さと羞恥の刻印を押されます。

家とは暖かいようで、私にとっては一番自分の恐怖や不安と向き合う場所である気もします。両親からの承認、昨年帰省したときからの反応の変化、大学を卒業するにあたって肩にかかる期待やプレッシャー:まだ親の視線から抜け出せない私にとって、実家とは、肩の荷や息苦しさをもってして、自由を求めた自分を思い出す場所です。

日本の家庭にとって、「愛し合う暖かい家庭」というのは海外ほど一般的ではないような気がします。DVやネグレクトといった精神的・肉体的な痛みを伴う家庭環境のみでなく、無関心な家系や、「毒親」という言葉に表されるように、子供に寄生する共依存的な関係性も少なくありません。そんな社会情勢を鑑みれば、私にとって帰省というのが、海外の同級生が口に出すほど温かくほっこりしたものではないことは、特段驚くこともありません。

家父長制度は多くの母の生きる意味を子供に託してしまいました。父の生きる意味は家族を食わせることにあり、母の生きる意味は子供そのものでした。娘が結婚をすると肩の荷が降りる、といいますが、本当に母は自分の荷物を下ろすだけの勇気と人生への安心感があるのでしょうか。あるいは、子供の他に生きる意味を見出せず、結婚して新しい家を作った子供にも尚、自分の人生の一部のように干渉しつづけるのでしょうか。子と母を繋ぐ血が温かく包容的に保存され、どろどろとした鎖にならないことを願うばかりです。

血縁とはとても生々しい言葉です。文字通り血で繋がった縁ですが、血とは契約、犠牲、死、愛といった毒々しく濃厚な比喩性を伴い、それらで繋がる縁とはなんとも鎖のようです。その肉肉しい鎖で繋がれた私たちの間には、とても多くの場合、ねじれてよじれては穿った癒着があるのでしょう。世間の基盤でもある血縁を今でも大切に宝箱に入れている日本の風習は、美しい旧弊でありながら滑稽なのかもと思います。

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