【映画、"チョコレートドーナツ"を観て】
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数年前に後輩にオススメされていた作品。
ずっと頭の片隅にはありつつも、なんとなくハッピーエンディングではないことをどこかからか知ってしまっていて、中々観れないままだった。
洋画タイトル「Any Day Now」。
いつの日か、とか、今すぐにでも、とか。
どちらも当てはまる。
正直、邦画タイトルになった途端に洋画タイトルとのギャップとか、なんかしっくりこないなぁとかを頻繁に感じるのだけど、本作品の邦画タイトル「チョコレートドーナツ」はこの作品を一言で表すのには十分すぎるほどに伝えたいことを伝えられているなと思う。
「いつの日か、今すぐにでも、チョコレートドーナツを食べて幸せそうにするあの子を見たい」と言うか、一見なんてことないような日常のワンシーンすらも彼らにとってはこの上ない幸せだと分かっていて、多くは望まない、ただ一緒にいたいだけなのに、という諸々が本タイトルと邦画タイトルを掛け合わせて浮かんでくる。
これだけどちらのタイトルも納得できる良さ、それ以上に一緒になったらもっと良いタイトルの映画に出逢えるのは中々ない気がする。
観る前は、作中でチョコレートドーナツが出てくるんだろうなとか、少年の好物なのかなぐらいには思っていた。
今もなお人種差別により息苦しさを感じている人たちがいる世の中で、ましてや40年前の現状はここまでもリアルで悲しくて、LGBTの人々にとっては希望が持てないであろう時代の中で、ここまで愛情を強く持ち続け最後まで諦めることをしなかった2人がどれだけ自分たちも愛し合うことをやめずに、更には実の家族、もしくはそれ以上にマルコという少年を愛したかが、この「チョコレートドーナツ」という言葉一つにギュッと詰まっている。
自身たちも差別的な目で見られるような生き方だからこの少年を愛せた、とは全く思えない。
LGBT以外のどんな人間よりもストレートに誰かを愛することをしていて、シンプルにマルコという少年の好みを知っているということだけでも、ピュアにもストレートにも愛せなかった実の親以上に愛が深かったということが分かる。
分かってはいてもハッピーエンディングではない悲しい終わりがスコアをどうしてもMAXには出来なかった。
それでもマルコ少年にとって、最後に過ごした一年で愛というものに包まれたことが、それを知らずに終わるよりもずっと良かったと思いたい。
(2021年6月28日勧賞
#Filmarks で残していた感想)
Fimarksアカウント名: @mayizumi (Izumi Arai)