「女の子と喋ってる」と言われただけで興奮してごめん。と反省した話
私は小学生と暮らしている。
パートナーと私たちはよく、性について話す。「いつか生まれて来る自分達の子どもへ、避妊についてどう教育するか」「小学生が同性が好きだと告白して来たらどんな反応で迎えるべきか」など。
まだ妊娠もしていないし、子どもが生まれる予定もないんですけどね。
こんなことを話し合うのはお隣さんが同性愛カップルだったり、様々な性を受け入れるカナダに住んでいるから、というのが大きいと思う。お隣さんというのは例え話。でもその位、よくある話。話というか、シチュエーション。シチュエーションというか生き方。生き方というか、その人。それが当たり前なのだ。当たり前であるべきなのだ。私たちが当たり前に生きているように。彼らも彼らの人生を当たり前に生きている。
そんな中、ある晩、小学生がやたら大きな声で話をしていた。電話かオンラインゲーム。
小学生はゲーム中、興奮すると大きな声を出したりもするが、その日はやたら大きかった。
「なんか今日、やたら声、大きくない?」とパートナーに言った所、
こう返された。
「ガールフレンドと喋ってるんだよ」
!!!ガールフレンド!
すかさず私は「Aww」と言った。
Awwは、子犬やスイートな物事を見た時や言われた時などに思わず出る感嘆詞。同情の気持ちを表す時に使ったりもします。
日本語にすると、「あ~」「あら~」「いや~ん」「まあ~」「わ~」とかでしょうか。
そして、そう発した自分に驚いて、その後のパートナーからの返答は全く覚えていないし、話はそこで終わった。いや、というか終えた。私が。
何しろ、小学生に対して「女の子と話して声大きくなっちゃって、かわいい~」みたいな、「ガールフレンド?ヒューヒュー」みたいな短絡的反応をしてしまった自分自身にショックを受けたのだ。
ガールフレンド=彼女 というわけではなく、ガールフレンド=女の子の友達というニュアンスだったのかもしれないのに。
そして彼が女性が好きだとは知らないのに。
私の頭の中はまだまだ「異性愛が普通」という考えが蔓延っていたんだなぁ、と悲しくなりました。
私はたまたまマジョリティである異性愛者として生きているけれど、それが当たり前という価値観を無意識に誰かに押し付けてしまっていたりするかもしれない。
私はその時、たまたまパートナーと二人っきり、小学生は別室にいたので私のその声は届いてはいなかったけれど。
ダメだな、と反省した夜でした。