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柳葉敏郎と考える「失うものがない人」と「守るべきものがある人」どっちが強いか問題

 「さまぁ~ずの神ギ問」という番組があった。


 視聴者(たまにスタジオのゲスト)から出た「調べてほしい疑問」を判定して「神ギ問」と認定されたら番組が本気で調査してくれるという内容で、私が世界一好きな番組・トリビアの泉と演出など一部のスタッフが同じなのでところどころにトリビアっぽさがあり(特に「トリビア」を感じたのはスタッフロールのフォント)、さまぁ~ずも好きなので日曜昼時代から観ていた。
 そして、この番組の最終回のラストで回答が放送されたもの、つまり3年間で最後に解決されたギ問はこれだった。

「『失うものがない人』と『守るべきものがある人』はどちらが本当は強いの?」

 深い。これまで「バレリーナってタクシーを止める時も美しいの?」だの「ものまね番組のオーディションで落とされる人のクオリティってどのくらいなの?」だのしょうもないギ問ばかりだったのに、大トリが急に深い。


 番組が終わってからもう3年以上経つが、未だにこのギ問のことを考え続けている。改めてこう問いかけられると、これは絶対にどちらかだけが正しいという性質のものではないということに気づく。ここでどちらの立場を取るかにその人の人生観までも表れるような、そんな気すらしてくる。


 ということで2022年一発目、ここらで一回がっつりこの問題に向き合ってみようと思う。


 柳葉敏郎と一緒に。

概観


 まず私は「守るべきものがある人」派である。私個人に守るべきものは正直なところないのだが、守るべきものがある人により惹かれることが多い。

 ちなみに、番組内で示された回答は「人の考え方によるので一概にはいえないが、65・75%が『守るべきものがある人』と考えている」だった。私は過半数の方に属していることになるが、逆に言えば約4割は「失うものがない人が強い」と考えていることになる。番組内で質問した専門家の回答も「失うものがない人」が多かったように思う。
 
 「守るべきものがある人」、「失うものがない人」、見事に意見が分かれるということはどちらにも納得できる強さの理由があるのだろう。それぞれのタイプに当てはまりそうな演:柳葉敏郎のキャラクターを例示して考えていきたい。

 
「守るべきものがある人」派×家族持ちギバ


 私が考える「守るべきものがある」人の特徴、強さの理由、弱点を整理する。

特徴:家族、恋人、友人など、自分を犠牲にしてでも守りたい人がいる。人への愛情だけではなく地位や役職、名誉、お金なども「守るべきもの」に入るかもしれない。
強さの理由:自分のためだけなら気持ちが折れてしまうようなことでも、「誰かのために」と思うことによって己を奮い立たせることができる。
弱点:「守るべきもの」を攻撃されること。「守るべきもの」を人質にして脅されたら屈するかもしれない。

 このタイプで真っ先に思い浮かぶのが、「リング~最終章~」(1999)の主人公・浅川和行だ。彼は数年前に妻と死別し、新聞記者をしながら一人息子を育てているシングルファザーである。守るべきものになりがちランキングぶっちぎりの第1位:子ども。そして彼は見ると13日後に死ぬ貞子の呪いのビデオを見てしまい、しかも息子までそのビデオを見てしまったため貞子の呪いを解くべく戦うことになる。

 自分一人なら諦めてしまうような場面でも、息子の存在があるからこそ心折れずに戦える。しかし自分が犠牲になれば息子を守れるなら、と命を捨てようとしてしまう時もある。武器が時に最大の弱点となる諸刃の剣である。まさに正統派「守るべきものがある人」と言える。

「失うものがない人」派×アウトローギバ

特徴:独り身など「守るべきもの」を持たない。自分の行動をかなりの部分で自由に決められる。
強さの理由:何が起こってもすべて自分一人だけに影響が及ぶため、無謀なことにも飛び込みやすい。
弱点:捨て鉢になりがち。一歩間違えれば「自暴自棄」になってしまう。

 この特徴に当てはまる柳葉敏郎のキャラクターはヤクザギバであろう。読んで字のごとくヤクザ屋さん(準ヤクザみたいなご職業の方も含む)の柳葉敏郎のことだ。柳葉敏郎が演じた職業トップ3といえば医者、警察官、そしてヤクザである。ぱっと見じゃんけんみたいだ。


 ヤクザギバは80年代によく演じた役柄なので、年齢的にも幹部クラスではなく下っ端の鉄砲玉が多い。家族もおらず、金もなく、命すら彼らにとっては「守るべきもの」ではない。例えば「Morocco 横浜愚連隊物語」(1996)の主人公・モロッコの辰は重い結核を患っている。しかしそのままだと死ぬので愚連隊は引退して療養しよう、とはならない。彼は自分が死に至る病を患っていることを重々承知の上で抗争に身を投じる。後半の彼の行動はまさに死にに行っているようなものである。

 ヤクザだけではなく、キング・オブ・ギバキャラ室井さんも意外とこっちに属する人かもしれない。室井さんはヤクザギバと並べるのが申し訳ないくらい国家公務員として警察と所轄の希望と国を背負っているわけだが、室井さん自身は自己犠牲の精神が非常に強い人である。いざとなれば自分が犠牲になってまでも理想を実現しようとするだろう。室井さんあるあるの筆頭に挙げられる「すぐ警察を辞めようとしがち」もこの精神から来るものだ。室井さんがやるから「やけくそ」感がないだけであって、一歩間違えれば自暴自棄と捉えられてもおかしくない。

結論


 結局、どちらを選ぶかはどちらの弱点がより受け入れられるかということになるのだと思う。活力の元にも足枷にもなる守るべきものを持つ人生か、身軽だが自分を安易に捨ててしまう危険性のある失うものがない人生か。どちらを選んでも正しい。そして柳葉敏郎が演じてきたキャラクターたちは皆、確固たる意思を持ってそれぞれの立場を選んでいるように感じられる。それぞれの立場の弱点を指摘しても、彼らは迷いなく「覚悟している」と答えるだろう。


 もしかしたら本当に強い人とは、守るべきものがあろうが失うものがなかろうが、覚悟を決めてそこに立っている人のことなのかもしれない。

 
 そんな彼らを演じた柳葉敏郎は、今日61歳の誕生日を迎えた。守るべきものがある者の強さも、失うものがない人の強さも平等に演じてきた彼自身はいったいどちら派なのだろうか。一度聞いてみたい。まあそんなことより、お誕生日おめでとうございます。いつまでもお元気で。


 


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