こおるかもの英語学習全史
こんにちは、こおるかもです。
本記事では、平凡な日本人である僕が、イギリスへ転職移住するまでの、英語学習全史を紹介したいと思います。
この記事の要旨はこんな感じです。
純ジャパで海外経験がほとんどない日本人でも、海外で働くために必要な英語力を日本にいながら身に着けられる!
学部時代にTOEIC300点台だったぼくが、大学院と社会人時代に、それぞれ約半年、短期間に猛勉強した結果、TOEIC, TOEFL, IELTSの点数が爆上がりしました!(点数は記事内で公開)
英語学習は人生の一部。挫折も味わいながら、目標達成に向けてがんばってきたぼくの人生を、たくさんの失敗・教訓とともに振り返ります。
最後に、これまでの英語学習で核となった学習スタイルを3つのポイントで要約します。参考になれば嬉しいです。
それではさっそくどうぞ。
中学時代
ぼくは普通の公立中学でぬくぬくと野球少年をしていました。
もちろん授業なんてまともに受けませんので、成績も平凡以下です。
なかでも英語がダントツで苦手で、高校受験期には、周りが英検準2級や2級に合格しているそばで、ぼくだけ3級に落ちていました。
それでも、さすが日本の受験教育なのか、中3から通った塾での、単語をひたすら詰め込むスタイルのおかげで、徐々に英語力も向上。中でも思い出深いのは、中3の夏合宿で、僕だけ数学と国語の勉強を禁止され、ひたすら単語帳を覚えることを強制させられました。そしてその結果、たった1週間で英語テスト(もちろん長文読解も含む)の点数が見違えるほど上昇。少なくともクラスの平均レベルには達することができました。
教訓その1:単語は正義。英語力のすべての基礎。
そして、最終的には希望していた私立の大学付属の高校に合格。(もちろん最後まで英語が足を引っ張ってはいましたが)
高校時代
大学付属の高校でしたので、当然大学受験がありません。周りも大して勉強していないのに、僕はその中でも赤点ギリギリの英語力。このころはおそらくまったく英語力は伸びていないと思います。もちろん塾にも英会話教室などにも通っていません。
大学入学後に気づくことになるのですが、大学入試、センター試験をそれなりの点数を取って大学に来る学生とは、文法や単語の基礎力が全然違います。ここで雲泥の差がつくことになりました。
教訓その2:大学受験は超重要。特に文法や単語の力の基礎力で大きな差がつきます。
とはいえ、とりあえず大学には推薦で滑り込みで入学させてもらえました。(実際には遅刻のし過ぎで推薦を取り消される寸前だった)
大学時代
自分の英語力が中3以来伸びていないことを実感。
定期的に学内で行われたTOIECのテストでは300点台をうろうろ。
当時は将来海外に行きたいとか、英語を使った仕事がしたいとか、みじんも思っていなかったし、なんの目標もなく日々を過ごしていました。大学生ですもの、遊んでなんぼです。
その頃、同じ大学の友人は、海外の大学院進学に向けて猛烈に英語の勉強をしていたことを後から知ることになります。
教訓その3:目標はとても重要。目標がないと人は英語の勉強をしない。
ともあれ、理系学部だった僕は、あまり深く考えることなく大学院へ進学します。(実はここで大学院入試に失敗し、大学院浪人というちょっと珍しい浪人を1年やらかしています)
大学院時代前半(アメリカの大学訪問)
僕の英語人生は、大学院時代にひとつの転機を迎えます。それは、たまたま所属した研究室が、アメリカの大学と連携した研究をしていて、そのおかげでアメリカの大学に訪問する機会があったからです。
それまで、英語力もゼロ、海外経験も家族旅行くらいしかなかったぼくが、いきなり1か月アメリカで共同研究をすることになったのです。
そこで、アメリカ行きが決まってからの半年間、自分としては初めて本気で英語の勉強に取り組みました。
その時に取り組んだ英語の勉強法はこれです。
ひたすらTOEICの過去問を解き続ける
半年間アホほど解き続けた結果、TOEICのスコアは600点くらいまでに上昇しました。約2倍。。。
しかし、晴れて行くことができたアメリカでの経験は散々な結果に終わりました。マジで何言ってるかわからない、簡単なお願い(例:自転車を貸してくれませんか?)すら言えない、同行してくれていた研究室の先生に泣きつく始末でした。
そして、最後に現地の学生と自分の研究に関する発表とディスカッションをする計画でしたが、周りが僕の鬱っぽい雰囲気を察したのか、うやむやになって消滅し、一人さみしく動物園を観光して帰りました。
教訓その4:TOEIC600点程度ではとても英語圏では歯が立たない
加えて、その後にわかったことは、英語力を上げるうえで、テストの過去問を1000本ノック的なやり方で解くというのは最悪の勉強方法だということです。実際、僕がやっていたことは、単にTOEICのテストを攻略する(選択肢の傾向を推測するスキルなど)ということで、英語力を本質的に伸ばすということにはなっていなかったのでした。
教訓その5:テストで点が取れることと、コミュニケーションがとれることは全く別のお話
しかし、この挫折が原体験となって、帰国後、さらに本気で英語に取り組むことになります。
大学院時代後半(海外大学院進学を目指す)
この挫折ののち、何を思ったのか僕は、もう一度アメリカの大学へ行きたいと考えるようになりました。しかも、今度は大学院への進学として。
しかし、その時点で出願の締め切りまで半年もありませんでした。本来、多くの日本人学生がアメリカの大学院を目指す場合、学部の3年生頃から本格的に出願準備を始め、学部卒業と同時に渡米します。その頃、優秀な友人は何人かすでに海外の大学院へ進学していました。すでに僕は修士課程1年+浪人をしているので、年齢的にも圧倒的に不利な状況でした。
それでも、よほどアメリカでの体験が悔しかったのか、半年間必死に勉強することに決めました。
アメリカの大学では、一般的に英語力はTOEFLで審査されます。(近年はむしろIELTSが優勢なようですが、当時はTOEFLのみでした)しかも、大学院の場合、最低スコアが90~100点程度です。
その時点で、TOEFLなんて聞いたこともなかった僕は、あわてて初めて受験をしました。まったく読めない、聞き取れない、話せない、書けない、の状態で、絶望を感じた記憶だけが残っていて、結果はうる覚えですが、確か50点台前半だったと思います。
普通に考えて、半年でここから90点台にのせるのは至難の業だということはいくら僕でもわかりました。次に僕がとった行動は、「スクールに通おう」ということでした。
色々調べた結果、TOEFLのスコアアップに特化したコーチングスクールに申し込みをすることにしました。その値段、2か月で15万円。今でこそ英語コーチングスクールはピンキリですが、当時はまだ数えるほどしかなかったと思います。その中で、後にせっせと返すことになる奨学金を注ぎ込みました。
値段に見合っていたかは判断が難しいですが、個人的には、このスクールに通ったことは本当に良かったと思っています。励まし会える仲間ができるということもメリットですが、何よりも、英語学習は、「正しい方法でやらないと意味がない」ということが良く分かったことが良かったです。
具体的には、文法・単語・発音の基礎固め、そしてシャドーイングやディクテーション、精読リーディングなどの弱点や目的に応じた対策を通じて確実にステップアップしてから実践問題を解く、というような、英語学習界隈では超王道の方法論を教わることができました。これは財産です。
スクールに通った後も、上記のような勉強方法で一日3時間以上は勉強を続け、着実にレベルを上げたぼくは、最終的に出願締め切りまでに83点のスコアを取ることができました。半年で約30点TOEFLスコアを上げることができたのですから、これはかなりすごいことです。
教訓その6:努力は報われる。ただし正しい方法であった場合のみ。
ただし、残念ながらアメリカの大学院進学は諦めました。スコアが足りていないことももちろんありましたが、一番肝心な大学院での研究に対するモチベーションが見つからなかったということもあり、日本で就職活動をすることにしました。
これもぼくの英語学習史のなかでは挫折ではありましたが、それでも今回はやりきった感じがあり、また、今後も学習を続ければいずれ90点も超えて、いつでも海外に行けるという自信がついたのでした。
なお、この時期のより詳細な勉強方法は、別記事で紹介する予定です。そこでは実際に使用した教材や、その使い方、日々のタイムマネジメントまで、できるだけ再現して公開する予定です。
就職活動
アメリカの大学院出願を諦めたあと、あわてて就職活動を始めました。ここでもすでに周囲から遅れをとっていましたが、いつの間にか英語力はぼくにとっての「武器」になっていました。大学生でTOEFL80点台は、十分自慢できるレベルです。
ついでに、就活向けにTOEICのスコアも取り直しました。この時は、「なんでこんなに簡単なのか」とびっくりするほどで、スコアは860点でした。就職活動でのアピールには十分なレベルです。
もちろん、英語力だけで就職活動が決まるということは全くありませんが、僕の場合、大学院での研究も割と真面目に取り組んでいて、最後に参加した国際学会では学生賞も受賞したので、割と就職活動は有利に進められたと思います。ちなみにその国際学会では、プレゼンは英語の原稿を丸暗記、質疑応答はほぼ答えられない、というレベルで、まだまだ「使える英語」にはなっていないと実感しています。
ともあれ、就職活動自体は無事に終わり、希望する企業へ、研究職として入社することができました。
社会人時代
ここから、またしても僕の英語学習の暗黒期が始まります。
せっかく英語の勉強の仕方も身に着けたのですが、たまたま自分の所属部署では、国内の企業とコラボした研究開発を行うことがメインの部署で、ほぼ、というか全く、英語を使わなくなりました。もちろん、同僚も全員日本人で、英語を使う機会がありません。
仕事はそれなりに楽しく、別に英語を使って仕事がしたいという強い希望があったわけでもないので、それなりに満足していましたが、着実に英語力は衰えていきました。
そしてあっという間に5年ほど経ちました。その頃は誰しもが通るように、ぼくはキャリアについて悩んでいました。この記事ではあくまで英語学習史にフォーカスするため、詳細は省きますが、自分がこの業界で活躍するには、海外での経験が不可欠だと考えるようになっていました。
そんな時、またしても転機が訪れます。会社を通じて、2か月の海外研修(国際的な機関が運営する、有望な若手が集まるサマースクール)への公募があったのです。全社公募だったので、どのくらいの倍率があったのかわかりませんが、ぼくは会社からの2名の参加者に選ばれました。
しかし、喜んだのもつかの間、時は2021年、そう、コロナ禍の真っ只中であったのでした。海外研修はあえなく中止(実際には現地では開催されていたのですが、日本独自の判断で日本チームの参加を断念)されてしまい、せっかくのチャンスを失ってしまいました。もちろん、来年以降もどうなるかは誰にもわからないという状況です。
その時、僕の中で覚悟が固まり、今の会社を辞めて、海外の企業へ転職しようと決意したのでした。
しかし、この5年間、まったく英語を使っていなかった僕の英語力は完全に衰えていました。この時点で久しぶりに受けたTOEFLでは75点でした。
教訓その7:サボれば英語力は衰える。
転職活動
転職に際して、TOEFLの得点が必要ということはありませんが、自分の過去の経験上、やはりきちんと自分で自信の持てるスコアがないと、海外での生活、ましてや仕事はやっていけないということはわかっていました。そこで、自分の中でTOEFL90点を目標に取り組むことに決めました。これが取れたら、実際に自分の行きたい企業(この時点で英国で現在勤めている企業に的を絞っていました)に応募しようと決めました。
期限についても決めていたわけではありませんが、「半年以内」を目安に目指すことに決めました。一度英語を集中して勉強するとなると、大学院時代のように、平日1日3時間、土日はそれ以上やるというスタイルが自分にとって最も効率的です。そうすると、プライベートほぼ無しの生活が続くわけなので、半年が個人的には限界です。これでもしだめなら、まだしばらく会社に残ろう、と考えていました。
さて今回は、半年でTOEFL15点アップ(75→90)が必要です。これもネットで調べる限り、かなり大変なハードルです。この時も、まずはネットで最新の英語学習法やTOEFL攻略法を検索しました。大学院時代よりも山ほど情報が出てくることにまず驚きましたが、それに加えて今回も、勉強の仲間づくりを兼ねて、オンラインのコーチングスクールに参加することにしました。3か月で5万円と、個人的にはリーズナブルな価格だと思います。
この時に英語学習についてで学んだことも、別の記事で詳細に説明したいと思いますが、面白かったのは、「英語学習を科学する」ということです。つまり、科学者の端くれとしてきちんと説明すると、科学とは、観察・仮説・検証を繰り返すということです。英語学習においてこれを実践するということは、観察=今の自分の英語力を分析する、仮説=何をどのくらい勉強すれば、どのくらいの期間でどのくらい実力が上がるか仮説を立てる、そして検証=テストなどの手段で仮説を検証し、観察に戻って繰り返す、ということです。しかもこれを、如何に高速に(できれば週単位で)、かつ細分化(リスニングであれば、音取りと意味取りなどに分解して分析)して行うかということです。
これは、TOEFLなどの実際のテストではできないことです。(毎週受けていたらとんでもないお金がかかりますし、どの問題を間違えたのかさえわからないのでフィードバックがかけられないからです)。そこで、様々なほかの教材や英語ソースを使って、検証方法をたくさん用意することがポイントです。これらについて、別記事で紹介する予定です。
ともあれ、こうして今回も勉強を続けること半年、ついに90点の壁を突破しました。最終スコアは92点(R:26, L:23, S:19, W:24)でした。
しかしながら、今回は達成感と同時に、大きな壁も感じました。じつは92点は割と早い段階(3か月ちょっと)で出てしまい、欲張って100点を目指して勉強していたのですが、その後の本番試験では一度も90点を超えられなかったのです。やはり日本にいながらの独学では、ぼくにはこのくらいが限界で、100点は無理、ということを実感しました。まぁ、それがわかっただけでもすっきりしますし、一応目標は到達したので、転職活動に進むことにしました。
転職、そしてビザ取得IELTS
転職活動の詳細についてはここではあまり触れません。これについては別の記事で紹介する予定です。
英語ということについていえば、面接が本当に辛かったです。オンラインで、相手は会議室に3人くらいいるというシチュエーションだったので、音声も完ぺきではなく、困りました。それでも、少なくとも今までのどのシチュエーションよりも会話にはなったと思いますし、最低限の受け答えと、準備した資料にしっかりと情報を載せて、この難局を乗り越えました。
いざ内定のオファーをいただいてからは、急転直下で手続きがすすみました。このあたりのことも、別の記事で紹介する予定ですが、英語に関して言えば、イギリスの労働ビザを取得するために、IELTSが必要ということをここで初めて知りました。
そうとわかっていれば事前の勉強もTOEFLでなくIELTS対策をしておけばよかったのですが、後悔先に立たず。とりあえず超特急でIELTSの対策をしました。一応、巷のスコア換算表を参照すれば、TOEFL90点があれば、必要なIELTSスコアは楽にクリアできるようでしたので、今回は英語力というよりはIELTSの形式に慣れるということに主眼を置いた勉強になりました。
ここで、TOEFLとIELTSの比較が自分の中でできたのはとても大きな収穫でした。個人的にはずっとTOEFLに慣れ親しんでいたのですが、IELTSに慣れると今度はIELTSのほうが楽に感じます。不思議なものです。
ともあれ、実際にはこのときはIELTSの問題形式を理解しただけでテストを受けて、無事O.Aスコア6.5がでましたので、労働ビザの基準(6.0)は超えることができました。
その後も、契約書類準備を進めたり、先方と給料の交渉をしたりと、いろいろと大変な思いもしましたが、無事渡英し、2022年の4月からイギリスの現地企業で働いています。
最後に
いかがでしたでしょうか?これで一応のぼくの渡英までの英語学習全史を振り返ることができました。今や英語学習は人生の一部であり、このために大きな挫折や達成を経験できたことは、人生の貴重な財産です。
ここで、これまでに紹介した僕の英語学習スタイルを以下にまとめておきます。
短期間(半年が目安)に集中して取り組むこと。平日3時間、土日はそれ以上を目標に時間を確保。そうすることで、短期間で成長が実感でき、モチベーションが保てると同時に、目標から逆算した計画を綿密に立てることができます。
過去問をひたすら解くのは最悪。基礎固め(単語・文法・発音)と、目的に応じたトレーニング(シャドーイングや精読など)を通じて弱点を潰しながら、最後に実践問題を取り組む。
コーチングスクールなども必要に応じて利用する。仲間を作ってモチベーションを保つためであったり、自分の勉強方法に客観的なフィードバックをもらうため。自分のやり方にこだわらず、上手くいっている人のアドバイスを謙虚に受け止めて愚直に実践するのが良い。
そして今、イギリスへ移住した現在も、英語学習は続いています。実は、渡英後も英語の挫折の連続です。毎日仕事で英語がわからずに挫折しては、帰宅後に2時間程度の英語学習を続けています。その話については、また後日お話したいと思います。
それからもう一つだけ言いたいことがあるのでこれだけ書き残しておきますが、「英語はあくまで手段です」。僕は決して英語に命を賭けているわけではありません。ぼくは英語が好きなわけでもないし、英語学習が楽しいと思ったことは一度もありません。あくまでも、人生の目標を達成するための手段として、辛いけど必要だからやっている、という認識です。このことを、英語学習を頑張っているみなさんとも共有して、だからこそ一緒に励ましあいながら頑張っていきたいと思っている次第です。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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