映画『呪詛』が最高だった話(ネタバレ有感想考察)※20220730/20230717追記
Netflixで配信され話題沸騰の『呪詛(原題:咒/Incantation)』、予告編から大好物の匂いしかしなかったのだけど想像以上に良かった。
最近では見事な伏線とストーリー性、ギャグゴアやゴア趣味向けゴア等の展開上での無意味なサービスグロ描写を挟まない、いわば「真面目な」洗練されたホラーとして『ヘレディタリー/継承』が本当に見事過ぎてお気に入りだったけど(ちなみにギャグゴアも普通に好きです)、やはり私もアジア人、特に学んでるジャンルの影響で土着信仰や道教廟が身近なのと、Jホラーの持つ恐怖描写の湿度の高さに通ずる質感で『呪詛』はここ最近のナンバーワンお気に入り作品に躍り出た。すてき。
《以下個人的な感想ですが本編内容のネタバレを含むので閲覧注意。ちなみに他の映像作品への言及も含みます》
私は『呪詛』のここが良かった!
ここからは、感想を淡々と豪速球壁打ちしていきたいので、私的『呪詛』は「ここが凄かったよポイント(KSP)」を上げていく。
あくまで個人的な感想・考察として読める人、ネタバレOKの人だけお付き合い下さい。
■KSP1 主人公への感情移入のできなさ
作品の骨格としては
“呪われた母子の経緯と過去、母親は我が子への呪いを解くために視聴者に協力を求める”
というPOVもの。
このストーリーや、そして結末は日本のホラー好きなら『仄暗い水の底から』『リング』及び『リング(アメリカ版)』『シライサン』あたりが思い出される。
ただ、びっくりするほど主人公ルオナンに感情移入できない。
開幕懇願登場、肉親を呪いで失い、病院でも呪いを信じてもらえず、努力して娘と人生を歩もうと可愛がり、そこに親権が危うくなろうとも……である。
プラス、進行のほとんどがルオナン視点で展開していくにも関わらず。
『仄暗い水の底から』や、アメリカ版リメイクの『リング』等を観たときは、
「うおー頼むからこの娘を守ってくれ赤い鞄やめれ!!」
「少年~~!母ちゃん頑張れ!!」
くらいには母親キャラクターを好きになれていたのに。
結末に明かされた内容で
「ルオナンてめえこら!」
となる人は多そうだとしても、私の場合、冒頭から6年前の動画撮影~呪いに悩み怯え娘を守ろうと奔走する現在に至るまで、不思議なくらいルオナンに感情移入できなかった。
(これは私が人の親でないからかも知れないけど)
でもなあ小説を読んで補完した『シライサン』でも、母親の娘愛しさ故の無差別な被害拡散と思われる行為を普通に可哀想だと思ってた。
おそらくだけど、
・いきなりオカルティックな懇願
・明かされる調子乗り動画作成者一味としての過去
・子供の為、としつつも感情的な行動に出てしまう諸々(早退、凧盗み、パイン食わせ)
あたりが原因なのかな。
娘が絶食しなければならない中で一人部屋の外でパン?を貪るシーンは結構好きで、絶食してる娘に反して行動するために食べなければならないというルオナンの罪悪感らしき表情を淡々と捉えていていいなって思ったんだけど、ここ人によっては
「娘辛いのにお前めちゃくちゃ食うとるやん!」
って感じるらしく(笑)
一筋縄に「母ちゃん頑張れ」と感情移入しての視聴ではなく、
「こいついきなり祈りとかなんなん……」
「昔にヤバい事してる奴じゃん」
からの
「(こいつのせいで)娘が可哀想」
という引き込み方が私には効果的に働いた。
感情移入ではなく、異質なノンフィクションへの観察、というスタンスでルオナンを見続けられたからこそ、結末の後味の悪さも抜群に味わえたのだろう。
■KSP2 呪い描写のギミックの分かりやすさと、日本人にもファンタジーにならずホラーでいられる絶妙な距離感
単純に観ていて腑に落ちるキレイさ。
身内じゃないから儀式ダメ
↓
妊娠してるならもう身内か
↓
妊娠状態で父親が命名(チェンラートン)
↓
神にその名前が捧げられる
↓
里子に出され別の名前(ドゥオドゥオ)で育てられる(からその間呪いには蝕まれなかった)
↓
主人公ルオナンが引き取り、本当の名前(チェンラートン)を教える
↓
(神に捧げた名前が伝えられたことで禁忌を破った母の子だと神に気づかれ?)ここから娘を呪いが襲う
この流れめちゃくちゃ良くできてて好き。
後は、作品的になんだけど、台湾の人もチベットやインドの神々の外見に対して異国情緒というか異教の神としての畏怖みたいなイメージがあるのかな、って。
大黒仏母は多分カーリー女神が大まかなモチーフなんだと思う。
(カーリー=「黒い女」という意味。旦那さんは「大いなる黒」という意味のマハーカーラという名も持つヒンドゥースリートップ的な神様)
そこに鬼子母神とかの要素も追加して創作されたのかな、という印象なんだけど。
神様なのに血を好む・生首を持ってるみたいなインドの神様のヴィジュアルや神話って、異教の神!ってイメージをかなり受ける。
血の匂いのする神様(ダキニとか仏教ではありがたい女神とされる者も、それに祈る時に結ぶ印の形は「女神が生き血を啜る所作を真似たもの」とかも言われてたりする)、って、台湾の人からしても創作のモチーフにできるくらいミステリアスなんだな。
でここが日本人的にも絶妙な距離感だからこそ、この作品を分かりやすく「怖い」と思える日本人視聴者が多いんだと思う。
インドの神様?手いっぱいのやつとかいるよね~!
とか、
印契(ムドラー。祈りの言葉と同時に手で印を結ぶ)ってあるよね~!おまじないの仕草。忍者とか陰陽師とかで知ってる~!
という、ちょい知識のあるくらいの身近さのモチーフだからこそ、大黒仏母とその信仰、呪文、印が日本人にも「分かりやすさ+異教の神の妖しさ怖さ」効果で受け入れやすいホラーだったんだなと本当に思う。
『ヘレディタリー/継承』や『エクソシスト』とかで「悪魔の仕業」「悪魔崇拝の仕業」って言われても、キリスト教的な価値観のあまりない日本人にはあまりリアルな醜悪さ恐ろしさ倫理観の無さって感じられないと思う。何なら「悪魔」って出てきた時点でちょっとファンタジー色を感じるくらい。
そこ行くと『呪詛』の邪神とその崇拝はいい具合に日本人にファンタジー色を感じさせず怖さを感じさせる絶妙な距離感だった。
“見たり知ったりしたらその人にも呪いが及ぶ”という設定に関しては『リング』『シライサン』や『残穢』ほか様々なホラーで見られるものだけど、これを
「よく使われがちな怪談のオチのパターンだな~」
と見なし捉えるのもいいけど、民俗学的な話からすると、呪いや信仰の根本的な仕組みとも言えるので。
あるものを認知する事で特定の認識が生まれ、その意味が分かる人間にとって(だけの)強い意味を持つ、というシステム。
(これは神の存在や呪文の意味などオカルト系にとどまらず、「肩こり」という言葉が発明されるまで人々が肩の不調を「肩がこってる」というはっきりとした認識・表現・自覚・これが病気だという認知、を得られなかった……等文化や言語関係の事とかも似てると私は思ってる)
あまり良く知らないので例に出すのは申し訳ないんだけど『ハンター×ハンター』という漫画でも“超能力の内容を相手に認識させると(自分とその相手の間で?)超能力の威力が上がる”という設定があると聞いたことがある。
「知ってしまった人にも呪いが及ぶ」
という作りは、使い古されたオチというより、文化・心理レベルで我々人間にとって普遍的で根強い効果がある、と言える“仕組み”を用いた恐怖描写。
この「認知(が広がること)と呪いの効果が広がることは同義である」という性質とウイルスの伝染とは似ている……という着眼点から、怨念+怨念の持ち主が感染症だったため怨念ウイルスが合体→広がる呪い(を科学的に感染の仕組みを出すことで分かりやすく現代的な恐怖にした)、金字塔が『リング』だったわけで。
『呪詛』は、ルオナンの動画に「何だ何だ?」「助けてあげたい」と食いついた興味本意・善意の動画視聴者を食い物にする。後述するが、今や誰もが気軽に興味で視聴し善意でつながる動画やSNSの環境において非常に没入感があるというか相性のいいストーリー。
(善意&同情を持てば、たとえオバケや怪異に関わっても悪い目には遭わないだろう!遭うはずがない!という特に日本人特有の“供養感”みたいな無自覚の安全意識みたいなものにつけ込む裏切り的なオチ、も『リング』と近い、こんなはずでは……な、どんでん返し的な嫌さがあるね)
■KSP3 作り込まれた「いわくありげ」な雰囲気
個人的によく横浜をうろついており道教廟が身近なので、赤や黄色のお札とか祭壇とかの雰囲気はかなり良かった。あの集落に充満していたであろうお香の匂いまで感じられるくらい。
古い呪術である巫蠱っぽいことがまだ行われてるよ、という分かりやすいカエルや虫の描写とかも。
地下道の鏡の多さが個人的にはめちゃめちゃ怖かった。
私のちょっと学んでる風水学流派(鬼門不吉だとかパワーストーンとか一切出てこない中国の古典風水流派の一つ)の先生の書で、
「鏡は気を跳ね返すとしてよく知られるが、目に見えないエネルギーをプールしてとどめる作用がある」
というのがあって。
地下道の両サイドが延々合わせ鏡のようになっていたのは結構うわってなった。あれって仏母の呪いを鏡と鏡で反射させプールして地下道に止めておくみたいな演出としてデザインされたのかな?という個人的恐怖ポイント。
よく見るとメガネの兄ちゃんが蹴破った地下道の入り口(蓋)自体、裏側が鏡でできてたっぽいし。
(ラストでルオナンが地下道内の鏡を壊したのは仏母への攻撃ではなく、一礼し供物をきれいに並べ直し拡散の印を結んだのからも分かるように、鏡で地下道に滞らされていた呪いを解き放ち外界=動画視聴者、に散布する意味だろうね)
中国文化圏の人は鏡の多い空間を気持ち悪い、居心地悪いと感じて嫌う、とかも聞いたことがあったので、主人公と同行した動画投稿ユニットの兄ちゃん二人の恐怖はかなりだったろうな。
あと、これは製作側が意図してないであろう私の考えすぎっていうか余談なんだけど、パイナップルって台湾ではめちゃめちゃ縁起物なんだよね。
鳳梨っていって、発音が「旺来(運が良くなり盛り上がる、的な意味)」に近いから。
そんな縁起のいい好物を食べたことで呪いに負けてしまう、というドゥオドゥオの描写に、皮肉的な残酷さを感じた。
■KSP4 虫による呪いの可視化演出
血や内臓のようなゴアやグロテスクではなく、嘔吐や、虫と集合体による生理的嫌悪で呪いの不気味さをあらわした本作。
集落で村人がイモムシを集めていたのと、ルオナンやドゥオドゥオを襲う怪異とともにイモムシが現れる事からも、イモムシは邪神・大黒仏母の呪いを運ぶ象徴的な生物なのであろう。
この、虫=呪い、という紐づけをほぼ全ての観客に迅速かつ自然に行う見せ方は良かった。
目に見えないものや恐怖が近づいてますよー、というのをどう演出するか、って個人的にホラー映画の注目ポイント。
最も映画的なのは『13日の金曜日』『ハロウィン』みたいなBGMによる演出だと思う。
ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!という音が聞こえてきたらジェイソン接近中。この親切なジェイソンアラートは「来るぞ来るぞ」という気持ちを盛り上げてくれるものの、演出的で言わば出囃子なので私はあまり怖くないし、何よりモキュメンタリー手法とは相性が悪い(使えない)。
『ヘレディタリー/継承』では舌を口の中で弾くあの音が悪魔をあらわしていた。効果的だったけど、観客がそれを認識するのはある程度話が進んでからで「あっあのときの音もそうだったのか」となる種明かし的な要素が強かった。
『呪詛』が見事だったのは、集落で集められる虫→仕事中のルオナンの元に現れる虫の大群という怪奇現象、という見せ方を序盤から行う事で、かなり冒頭からイモムシ=呪い、という紐づけがされ、観客に対してすんなりと呪いの可視化をさせている所。
カズレーザーさんの「ここWi-Fi飛んでるな」のように、観客は本来目に見えない呪いの効果範囲である事を(虫で)察知できるようになる。ここ仏母の呪い及んでるな。
ドゥオドゥオがビデオを見つけ呪文を唱えたときの、あの生き生きとした虫ちゃんの出現ときたら(笑)!!
ドゥオドゥオ「ホーホッシーオンイシーセンウーマ!」
イモムシ \イヤッホオオオオオゥ/
蠢く幼虫、そのヴィジュアルの生理的な気持ちの悪さ、生きている躍動感が、呪いの本質をあらわすかのようで本当に良い。
加えて、呪いとして現れるブツブツ状の黒い痣は、(単なる集合体恐怖に訴える生理的に嫌な表現というより)虫達に食い荒らされている痕跡のようにも見える。
虫食いの葉っぱを見たときのゾワゾワ。
ちょっと考えすぎかもだけど、子供の姿の眷属とともに描かれ象られ、地下にも子供の像を安置されている仏母の眷属としてイモムシ=幼虫=子供、なのかな?
呪いを運ぶ幼虫=仏母を囲む子供姿の眷属、なのかな?と考察してみたりする。
ここらへんを考えると、私はやはり
「安易に恐怖や嫌悪を煽れるからって、不気味演出としてお手軽に虫や集合体出してる。脈絡のない醜悪描写の詰め込みでしかない」
って批評にはちょっと頷きかねるんだよね。
確かに気持ち悪い効果あるから表現として虫の大群をチョイスされてはいるだろうけど、一応意味が繋がるというか、見ようによっては繋げられる、きちんと意味があって虫と集合体で表現してる(幼虫=子供。集合体の痣は幼虫型の呪いに蝕まれているから虫食い状)とも思えはする。
……まあファンの欲目補整、信者のご都合妄想と言われそうだからあまり主張はしないけれど(笑)。
虫は中国文化圏の呪術で古くから使われてきたので「昔からある土着的信仰」を感じさせるアイテムとしても効果的。
■KSP5 ジャンプスケアはたったの二回(個人的に)
しかも一回は予告編で見たやつ。
(ジャンプスケア=「ワッ!」ビクッ!!みたいな突然の仕掛けでびっくりさせる演出の事)
それでもしっかり最初から最後まで怖い。
『呪詛』のホラーとしての怖さは、たとえば『呪怨』とかが植えつけるのが得意な、夜中にトイレに行けなくなる系の恐怖ではない。
劇中の呪いさながら、その圏内にいる人間=ラストを見届けてしまった人間をじわじわ蝕む後味の悪い邪悪さと、誰もが好奇心で多用している現代的な媒体を用いたという身近さにある。
■KSP6 劇場スクリーンでなくNetflixで観た、が最高の相性
これはラストまで観た人の多くが思ったのでは。
ルオナンによる動画配信を、個々の視聴者が個々の部屋で個々の画面で見守りそして……という作品の内容が、臨場感としてサブスクにベストマッチ。
……一応代表的に言葉にまとめられる感想だと、取りあえずこんな感じ。
□追記
※20220720三度目の視聴を終えて考察と気づきの追記というかメモ
・何人かいる児童福祉ボランティアのうち、おばちゃんだけがアツアツガラス細工を飲み込まされたのは「お守りをドゥオドゥオに買ってあげた」(=仏母の所有物であるドゥオドゥオに仏母以外の神様を近づけようとした)から?
・仏母の“呪い”というのは、仏母自身の力というより、「仏母にまとわりついている、仏母の犠牲になった子供たちの怨念」?
(集落の耳をとられた少女のように代々捧げられてきた子供。またラストの翻訳に“割取小孩身上的肉”とあるように子供の肉を奪う神である)
★noteで和訳をなさってる方がいらしたのでこちらの素晴らしい和訳を読ませていただきましたhttps://note.com/tommy53/n/n5afd7df8ad0e
そう考えると、幼虫=虫の子供が呪いの具現化(媒体)であること、ドゥオドゥオがビデオを見てしまったときに子供の笑い声が聞こえる事、地下から子供の泣き声が聞こえる事、子供の石像が呪う対象を一斉に向く(道教廟の神像にも子供の怨念が来ていて同じ動きをしていた)描写もストンと納得できる。
仏母の発する呪いは、仏母にまとわりついている犠牲者(捧げられてきた子供)の怨念?
仏母の尊像や、祀られている幼児姿の石像、モチーフとなったであろうハリティー(鬼子母神)のようにかつて赤ん坊が犠牲となっていたとすれば、その赤ん坊達が育てば得られたであろう「歯」や「髪」というものが供物になってる……って解釈(ここまで来ちゃうと考察というより妄想かな)もできちゃうのが怖い。
まあ髪に関しては尊像にある持ち物(生首、髪、赤ん坊、ヤギ)を模した供物を捧げている(豚の頭、髪、儀式の行列で担いで運ばれる赤子の像、ヤギ)んだろうけど。
□更に20220730追記……集落にいた「仏母に選ばれた少女」の事
ルオナン達が集落を訪れた時、体に呪文を書かれていた少女。
彼女は耳の欠損に触れたルオナンに対し「神に選ばれた」と答えた。
このあたりが具体的にどういう事なのか?とか、6年後に当時と変わらない姿で保護されたのは何故か?とかはもう、これだよという答えが描かれていないので想像するしかない。
この少女にフォーカスしてのあれこれをちょっとメモ。
・体に呪文が書かれていた
(この呪文ペインティングに関しては後述)
・ルオナンだけを部屋に通し、カエルに髪の毛を食べさせるよう促す
(何故?ルオナンだけか、を考えると、妊娠しているとか、お腹の子が自分と同じに神に捧げられた存在だから?とかだろうか?)
・禁忌の地下通路に入ってしまい、錯乱する中集落の人に叩かれるルオナンに何かを飲むように促す
(何故?ただこのあたりでルオナンが流産したような描写がある。地下でのショックで流産し死ぬはずだった胎児=仏母に捧げられたドゥオドゥオ、を、あの“何か”を飲ませる事で仏母の力によって救った?
こう考えると、流産したのは地下の呪いのせいだと(ルオナンや視聴者には)思えているが、流産したのは精神的ショックのせいであり、仏母の水が逆に呪い対象である胎児を救い流産をリセットしてくれたという、真逆の真実があって面白いかもなと思えたりもするね。
・ルオナンにビデオカメラを渡すように促すが、ルオナンはビデオカメラを奪い集落から逃走。少女が泣く。
(これは純粋に、呪いをおさめたビデオが外部に漏れたら危ないからダメ!と止めたかったんだと思う)
補足→ルオナン達が地下に入ったことが発覚してから集落に異様な雰囲気が流れる。
集落の人々は「何てことしてくれたんだ!」とばかりにルオナンの頬を叩き、ルオナンの恋人を運ぶ。
そして少女のように全身に呪文を書き(白ブリ隊)、地下で呪いを受けて卒倒したルオナンの恋人は火で燃やされる。
これは多分、地下に封じていた呪いが外に漏れた事を集落総出で鎮めよう、何とか仏母に祈祷しておさめようとしていたと考えて間違いないと思う。ルオナンの恋人は浄化というか、何とか呪いごと清めようとして燃やされた。
あの白ブリ隊とお祈りばあちゃんは、ルオナン達が地下から浴びて持ち出してしまった呪いを何とか鎮めようおさめようとしていたのではないか。
そして少女はルオナンとお腹の子を助けるため、仏母の何らかの加護のある水?で、仏母に捧げられた胎児を守り流産をリセット。
だがよそ者かつ錯乱していたルオナンはそんなことに気づくはずもなく、様子の変わった人々に怯え、恋人を焼き殺された事と仲間のメガネの発狂死に怯え、ビデオカメラを渡すよう言う少女からビデオを奪い集落の外へ。
6年後に無人になっていたことからも、集落は多分、ここから壊滅に向かったと思われる。
地下から出てしまった呪いの一部がビデオカメラとともに外へ行き、集落だけでは呪いを鎮める事ができなかったからではないだろうか。
ビデオを奪われた少女が泣いたのは、ルオナンを守ろうとした気持ちが通じなかったからだけではなく、集落の滅びを悟ったからではないだろうか。
・6年後、少女は6年前と同じ姿で現れドゥオドゥオの治療されている病院の前に倒れる。
まるでドゥオドゥオの呪いの発現に呼応したかのように。呪いに苦しんでいたはずのドゥオドゥオ(本人ではなく呪いに奪われ動かされていた魂だけ?いずれにせよ周りには見えていない?)は吸い寄せられるように少女を発見する。
(何故変わらぬ姿で急に現れたのか。これは集落の崩壊とともに“神隠し”みたいな感じで仏母にどっかに隠されていたのか?くらいしか想像も説明もつかない。謎。
私の無駄知識とスーパー妄想フル稼働させてイマジネーションから二次創作するとしたら
「仏母のルーツの近い国の、ある種の生き神信仰のヨリマシ(神が宿ったとして生きた人間を神として扱う)では、少女を生き神として崇拝するが、その神としての資格は初潮を迎えるまで、という。仏母にとっても、捧げられた子供が初潮を迎えると神の依代としての力を失い、更に子供でなくなるから仏母の餌としてじゅうぶんでなくなるので、集落が滅んでから自分の息のかかった後継的な生贄の確保できない仏母は少女を賞味期限が切れないよう子供のままにとどめていた。
新生贄として、6年前に名前をいただいたドゥオドゥオの居場所が分かり呪いの管理下に置けたため少女は用無しになりドゥオドゥオの側に捨てる。そこにドゥオドゥオ(の魂?)が操られるままに接近。仏母は新・仏母チルドレンとしてドゥオドゥオの確保成功」とかにするかな。考察の域を超えた妄想が過ぎるけども。)
・仏母への供物として(先に一部を集落の人が切り取る形で捧げていた?)少女のもう片方の「耳」を供物とするべく(両耳を捧げた形にし、完全な形で少女を生贄として使うべく?)ルオナンは包丁で切り取り、仏母への手土産として地下へ赴く。
(完全に妄想の域だけど、二つある耳の片方を捧げる事でまだ半分は仏母のもの、半分は自分の命として生きていられた少女が、両耳を捧げられたこの時点で完全な生贄となり死んでしまったのでは?とさえ想像できる)
仏母よ、この耳はあなたの所有物であるあの子のものです、もう片方も揃えて捧げます。
これであの子は完全にあなたへの供物となるでしょう。祭壇の歯も髪もきちんと並べ、今あなたへの祈りと帰依を完全なものとしてここに表明します。
さあ、たくさんの視聴者の名前=命を捧げます。どうか自分とドゥオドゥオに降りかかっている呪いが、名前を捧げる証の呪文を覚え、紋様を覚えた彼ら視聴者達に拡散してドゥオドゥオの呪いが軽くなりますように。
「あなたの名前は?」
しかし如何に“顔”を直視せずとも、たくさんの視聴者に拡散しようとも、「呪いの集まる場所」である仏母の“顔”の至近距離でルオナンが無事でいられることはなかった……
……かなり妄想含むので考察と言っていいかは微妙だけど、こんな感じなのかな。
“体に呪文を書く”事は、少女・白ブリ達集落の人々・ラストのルオナンを総合して考えると
「仏母に帰依し奉る」
ということの最上級の形(または信仰を示すことで呪いを弱めたり回避しようとする祈願?)なのではないだろうか。
この少女は仏母様のものです。
我々は全身全霊で祈ります、どうか呪いをお鎮め下さい。
視聴者達の名前を捧げます、ドゥオドゥオの呪いを彼らにもお分け下さい。
これら仏母への帰依と祈りを表明するフォーマルスタイルが、体に呪文を書く、という行為と姿なのかな、という考察。
(以上追記分)
“ミッドサマー的”という言い方・カテゴライズへの個人的違和感
あとは、映画そのものではなくこの映画が話題になってる感じで私が印象に残った事として、明確な
『ミッドサマー』以後
という時代の移りというか現象を感じた。
得体の知れない信仰が出る、というだけで
「カルトが出るぞ!」
「『ミッドサマー』的な作品!」
と形容する前評判とか、ミッドサマーのような、みたいに並べて語られるツイートをかなり目にした記憶がある。
『ミッドサマー』は特に好きでも嫌いでもない映画なので批判ではないのだけど、
・カルトが出る
(特に、シティー派が田舎で土着信仰に巻き込まれてんやわんや)
・ほのぼのと見せかけてムナクソ
みたいな映画を「ミッドサマー系」みたいに言う時代が来てるんだなという印象。
まあ便利なんだろうし伝わりやすいんだろうな、とは思うけど、些か違和感はある。
(何より、『ミッドサマー』をバズらせた一因である、ほら美しくてほのぼのだよ!って騙して新規に映画を見せどん底に落とすみたいな遊びが行われるのが『パンズ・ラビリンス』を心から愛する私はとても嫌いだし、何ならそんなのやってる事はルオナンと同じだろくらいに思ってるんだけど、それはまた別の話なので割愛)
信仰組織が出たら即ミッドサマー系認定、みたいなのってちょっと私は受け入れられない。し、『呪詛』の感想と元総理銃撃事件の原因となったカルトを並べて語る人もいて、一般的には、奇異な信仰なら土着信仰と新興宗教の境目なんて無いのかな、と思ったりもした(些か文化に対して雑ではあると思うけど、無宗教で文化研究を意識しない多くの日本人はそうなのかな)。
『ミッドサマー』や『呪詛』のような歴史ある土着信仰系と、『ビリーバーズ』や来年公開の『わたしの魔境』のような新興宗教系では全然違うし、『ミッドサマー』と『呪詛』の土着信仰でも余所者を歓迎するか拒むかのスタンス=ストーリー的な信仰者と被害者の位置づけ、は違う。
まあ、人は博物学的視点の逆転(前時代的で未開の遅れた奴等だと思ってたらそいつらのルール内に入れられ急に立場が弱くなる)を含むホラーやサスペンスが好きなので、そこでは『ミッドサマー』と『呪詛』は確かに近いけど。
そんなん言ったら『グリーン・インフェルノ』もミッドサマー系に含めるのかよ?みたいに首を傾げる事もあり。
(シティー派が、森を守ろう!って活動をしてたら、守った森には人喰いの習慣がある部族がいて食べられます、みたいなやつです)
『呪詛』への愛とともに最近のモヤモヤまでワッと吐き出してしまったのでまとまりのない文章でアレなんだけど、間違いなく『呪詛』はここ数年でナンバーワンのお気に入りだった!という話。
監督には三部作の構想があるとの事でとても楽しみ。
たくさんの人にこの映画を観て欲しい。なぜならばみんなの『呪詛』KSPがたくさんききたいからです。ほんとうです。観る人が多いほどいいのです。
★大黒仏母スタチュー販売!(20230717追記)
この記事を書いてからちょうど一年経った2023年7月17日、「大黒仏母」のスタチュー受注販売のニュースが。
(↑シネマトゥデイさん特集記事)
記事の画像を見ると、八臂(八本腕)の向かって右に「生首と血を受ける皿」=女神カーリー(黒き母、の呼び名を持つ)の象徴・左側に「赤子と果実(吉祥果)」=女神ハリティー(鬼子母神)の象徴を持ちあわせており、更に左側の二本の腕には映画で象徴的に扱われた供物であり媒体と思しき「髪の毛とカエル」が。
更に身体中に刻まれた呪文もあり、モチーフとなったカーリー、ハリティーとオリジナルの“大黒仏母”の要素がバッチリ反映されたとてつもなく良いデザインに驚愕。
2サイズ展開でどちらも手が届く価格帯ではあるのだが……映画の恐怖を味わった後だと普通に怖くて、悩ましい。
……持てる魔除と風水の知識を駆使し、自宅をあの地下道ばりに改造する?