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【旅】群馬県桐生~すべてに意味がある、風水の四神相応と「四辻の齋嘉」

始めて、群馬県の桐生に行ってきました。
目的は、桐生天満宮でご祈祷していただくことです。

桐生天満宮は、JR・わたらせ鉄道駅「桐生」から山のほうに歩いて30分ほどのところにあり、山のふもとに、山を背に、渡良瀬川のほうを向いて立っている神社です。

1.四神相応には意味がある

風水の考え方で、四神相応というものがあります。

前方に「水」があり、後方を「山」、左右を「丘」「川」に囲まれた土地のことで、「よい気が集まる」と言われています。

桐生天満宮、および桐生の街は、まさにその「四神相応」の地。

街のなかにはたくさんの蔵があり、織物が盛んだったときは豊かだったことをしのばせます。

ですが、それは「四神相応」の地だから栄えた、というスピリチュアル的なことではなく、「四神相応」ということそのものが、栄える条件を満たしていることとイコールだからだと思います。

山があるということは、山の実りがあてにできるということ。
川があるということは、川を運搬に使えるということ。

桐生はまさに絹織物で有名で、渡良瀬川を染色のためにも、運搬のためにも利用していました。

四神相応の地で「よい気が集まる」ことには意味があるのです。

この桐生天満宮には、本殿の天井に龍の絵が、向拝に龍の彫刻があり、「貴龍」と呼ばれています。

この貴龍が令和5年、県の重要文化財から、国指定になったとのこと。

本殿に上がらせていただかないと拝めませんが、立派な、趣のある龍神様たちでした。

今年令和6年は辰年ですし、見ごろです。

2.家のつくりには意味がある

この桐生天満宮のすぐそばに、「四辻の齋嘉」と呼ばれる建物があります。

四辻とは、本町、天神町など4つの町の境目の辻のこと、「齋嘉」とは、かつてのここの主、齋藤嘉吉さんの名字とお名前を1字ずつとったものだとか。

齋藤嘉吉さんは「齋嘉織物」という織物会社を運営されていたかたです。

明治11年に建てられた蔵と、大正12年に建てられた母屋。
以前は長年空き家で、開発で取り壊される予定だったこの建物を、現在所有している法人が買い取り、現在はまち歩きの拠点としてレンタルスペースなどで活用されています。
今日は、絵の展覧会が行なわれていました。

ここの管理を任されている小林さんが、蔵や家のつくりを詳しく説明してくださいました。

蔵は、二階と一階の間の天井板の真ん中に大きな穴が開けられ、格子で塞がれています。
これは、二階の天井に仕掛けがあり、天井にある釘をつかえば、一階から重いものも釣り上げられるようになっている作りだそうです。

また、蔵の二階にあがる階段は取り外しが可能で、取ってしまったあとは、引き戸で塞ぐこともできます。
これは、治安の悪くなった明治時代に、強盗などから家族の身を守るための仕掛け。
天井板に穴があるのも、取り外しができるのも、すべての意味があるのです。

また、主屋の箱階段についている引き出しは金属のもので、階段をのぼりおりするとカチャカチャ音をたてます。
これも、泥棒用心のためだとか。

二階にのぼれば、東側の廊下にはごくわずかに傾斜があり、庭に向けて落ち込んでいます。

これは、雨が吹き込んだときに、雨が抜けるように作られているとのこと。

一方、西側の廊下にはそんな仕掛けはありません。
それは、西側の外が往来だから、万一にでも水がかかるようなことがあってはならないからだということです。

お客様がいらしたときに使うお座敷の東側の欄間は扇形に穴があり、それを障子戸でふさぐ形ですが、夜、月がのぼると、うっすら扇が透けて見える雅さ。

西側の廊下の特注のガラスは、夕陽があたるとえもいわれぬ美しいきらめきを見せます。

その隣の座敷は、大事なお客様との会食の場。

東、西、北と三方の障子戸をあけると、それぞれ別の山の稜線を愛でることができるようになっています。

東の風景
北の風景
西の風景、戸のガラスは特注

明治11年に蔵が建てられ、その蔵にそう形で主屋が建てられたとのことですが、この二階の座敷から三方の山の稜線がぴったり見えるよう、計算されて建てられたということです。

すべては意味があり、計算されて建てられているのです。

そのお金のかけかた、扇形の月明かりや三方の山を愛でるような自然の楽しみかたに、昔の人の豊かさを味わいました。

そんな桐生の町は、古き良きものだけではなく、おしゃれなカフェや雑貨屋さんがあったり、駅前においしくておしゃれな珈琲屋さんがあるなど、今の風も感じられる素敵な街でした。

行くと決めれば、日帰りでも十分楽しめる素敵な街。
出会えたことに感謝です。また行こう!

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