
たくさんありそうな「脳がラクをしたいから決めつける」を見直したい〜小岩広宣先生『ジェンダーフリーの労務管理』
社会保険労務士で、ジェンダー関連の問題にも詳しい小岩広宣先生が、『ジェンダーフリーの労務管理』という新刊を出されました。
私は、『駆け出し社会保険労務士さんのための実務の学校』という本で、小岩先生の選びぬいた言葉でわかりやすく真摯に語りかける文章が大好きだったこともあり、出版記念セミナーに参加させていただきました。
この本ならではのところは、マイノリティにのみ焦点があたっているのではなく、マジョリティである壮年男性の「生きづらさ」にもきちんと光をあてていること。
マジョリティはマジョリティならではの苦しさを抱えているからこそ、歩み寄れるのではないか。
そういう未来が思い描ける本です。
今日のセミナーでも、男じゃなかったら女だと決めつけるような、「間(あいだ)を認めない」視点について触れられました。
白か黒かではないグレーを認めることは、諸外国に比べ、日本人は得意なはずですが、ジェンダー問題ではなかなかそうはならないと先生はおっしゃいます。
この本と、先生のご本から、認められない人は、その部分に、それだけ重く苦しい抑圧を抱えているのかもしれないと思えました。
「男ならこうあるべき」「女なら」と決めてしまったり、本来はないはずの「普通」をあるように思い込んで「普通にしろ」と片付けてしまうことは、もしかしたら、人間の脳が生存本能として、限られたエネルギーを効率よく使うために生み出した幻想なのかもしれません。
栄養が足りなかったかつては、そういったことも必要だったかもしれませんが、いまのところは、幸いなことに食べるのには困らない時代です。
洗濯も、掃除も、料理も、昔毎日手間暇をかけてやっていたことは、いまは進化した道具により、それほど時間をかけずにできます。
それであるならば、私たちはこれまでの生存戦略である、脳がラクをしようとするやり方に歯向かってもよいはずです。
本当にそう決めつけていいのか、眼の前の相手は何を考えているのか。
そこを考えるために、脳のエネルギーや時間を割いてもいいはずなのです。
そのことをあらためて確認できる機会をいただいたセミナーでした。