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40年前に予想した40年後、それが今

朝日新聞デジタルの記事で50年後の社会をAIが予想したというのがありました。今、50年後なんて考える気にもなれませんが、ふと思ったのは50年前の自分は50年後をどのように想像していたかということです。今の社会や自分をどのように予想したでしょうか。

50年前といえば1972年、私は12歳小学校6年生でした。1969年にはアポロ11号が月面着陸した実況放送を学校で見ていました。
そのときの、テレビニュースで赤ちゃんが生まれたばかりのお父さんにインタビューしている場面がありました。

「お子さんに何をしてあげたいですか?」
「月への切符を買ってあげたいです」

子どもが20歳になるころには民間人でも月旅行ができるんじゃないか、そんなことを簡単に想像するくらい、前へ前へと進んでいる時代だったような気がします。アポロ計画のころ生まれた子どもは今では50代になっていますが、月へは行っていないでしょう。

未来がどうなっているかと、予想したり憂えたりするのは過去の変化を経験していないと無理ですね。12歳の子どもは未来がどうなっているかなんて思わないので、10年後の22歳のころを考えてみます。

今から40年前、22歳の私は大学卒業後の社会人1年生でした。

テレビはブラウン管の大きな箱のタイプ。テレビの上に物が置けました。技術が発達するとテレビはどうなるだろうと考えたとき、壁に架けられる額縁みたいになるかもしれないと思ったのを憶えています。

思いつくのはせいぜい見た目の進化だけ。
ケネディ大統領暗殺やアポロの実況で衛星中継は実施されていたとはいえ、衛星放送やデジタル化などを想像できるはずもありません。

電話も、あのころワイヤレスホンが出始めたような気がします。いや、家庭用子機といっていたかな。受話器だけを家の中どこへでも持ち歩いて通話できるというものです。

それなら、外に持ち出しても使える電話ができてもよさそうだと思いました。たいした発想でもないですが、便利なことはつい空想したくなります。「車2~3台ででかけても、途中ではぐれたりしないね」なんて友達といってました。トランシーバーみたいですね。

あと、電子レンジを初めて使ったときの感動。そこからの発想で、未来には材料を入れたら調理済みになって出てくる機械ができているかもというのがありました。これは今でも思う「あったらいいな」です。

あったらいいなも含めて、どれも便利さを求める発想ばかりでした。しかも、40,50年先ではなくすぐ先の未来で実現できると思っていたようです。5年後、10年後、自分が本当の大人になったときにどんな生活をしているだろうか、という想像です。

さて、1972年から50年、1982年から40年たった今、世の中は私の想像を遥かに超えたものになりました。

液晶テレビ、携帯電話は実現しているし、何といっても驚くのは「リモートワーク」です。離れていても仕事ができる。自宅にいて仕事ができる。これって、ちょっと前の私が想像する最高に便利な生活でしたよ。

それと、40,50年前の私はすっかり諦めて未来の社会でも変わらないだろうと思っていたことが、今、実現されつつあるようです。それは、ジェンダーの問題、人生の選択肢の問題です。これは別の記事で書こうと思います。

今、コロナ禍で不自由なことばかりになってきましたが、これを乗り越えればコロナ後の生活は、合理的な便利さを持つものになるのではないかと思っています。

人間同士の距離感(ソーシャルディスタンス)の効果、移動しなくて済むことは移動せずに済ませる、コロナに対する流動的な対処の経験で危機対処ができるようになる、などが考えられます。

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