ラストマイル/満島ひかり
ラストマイルを観た。
2日経って、米津玄師と満島ひかりの対談動画を観た。
満島ひかりが大好きであるという話をしたい。
彼女は
「鈴のようにコロコロと笑う声」と「骨」
で構成されていると思う。
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対談動画において、米津玄師を「父性」と表すに至った彼女の思考回路には、自身の悩みとか考え事とか、これまでの経験が詰まっていると思った。
なぜだか、満島ひかりも自分の父親を客観的に見ているんだということが不思議に思えた。一般的な父親像の話ではなく、彼女自身のものがたりから「父性」という言葉が生まれた気がした。
映画の出演者からの質問コーナーでは、石原さとみの「心理テストのような」矢継ぎ早に迫る質問を受けて、「今ここで石原さんに触りたい」と笑いながら言ってた様子が印象的だった。「触りたい」ってとても温かいと思った。
このような刹那的な言葉は、彼女の内から滲み出たものなのか、彼女という存在を外から規定しているのか、それがわからない。満島ひかりの身体と言葉には、曖昧な一体感のようなものを感じる。
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ラストマイルだけでなく、First LoveやVOGUE TAIWANの作品がとても心に残っている。とても。
冒頭にも言及した通り、
作品の役柄から脱して彼女本人をイメージした時、
「鈴のようにコロコロと笑う声」と「骨」
が頭に思い浮かぶ。
私は近頃、「身の丈にあった」とか「等身大の」とかいうことを意識して生活していた。
一方で満島ひかりは、キラキラした金平糖のような言葉が、骨格に収まりきらず次から次へと溢れてくるような感じがする。甘いお星様が絶えずスパークルしている。そのお星様を、彼女本人も食べている。そういった生命力に溢れつつも軽やかな少女のような印象がある。
対談動画の中で「これまでの女優経験で『背中』に張り付いたものが、〜〜」など、「背中」という言葉を使っているのも新鮮だった。ここでも背骨を連想したことを思い出した。
私は彼女の、身体性が好きである。きちんと身体がそこに存在する気がする。だが同時にふっといなくなってしまうような危うさも感じる。
満島ひかりが、大好きだ〜
対談メモ:
睡眠時間は最低8時間
無駄な時間を大切にしたい「小学生の無敵の放課後」
刹那を生きている by米津玄師
適当に生きたい「人生はファンタジー」
遠回りしたい人生