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大豆田とわ子/生活者
第四回
『大豆田とわ子と三人の元夫』(21)
について語る
前回の続き。
以下、あらゆる受け手がいることを踏まえた上での佐野さんの言及
「この仕事をしながら、ドラマを作るときにはできるだけいろんなことに配慮した表現を、と思ってやってきたんですね。でもあるとき、プロデュースしたドラマ『エルピス-希望、あるいは災い-』(2022年)を一緒にやった(脚本家の)渡辺あやさんから、『そもそも誰も傷つかない表現なんてありませんよ』って言われたんです。だからといって開き直ってはいけないんだけれども、傷つけてしまうことは仕方のないことなんだ、とは思っています。だから、表現が誰かを傷つけたときに、この作品の何がどんな人をどう傷つけたのかっていうことは、ちゃんと把握しておかなきゃければならないなとは思う。
私がみのりさんにコンタクトを取ったのも、『大豆田』をやったときに、私が見ていた色々な感想のなかで、 みのりさんの発言にすごく気になるものがいくつかあったからでした。ちょっとお話を聞きたいなと思って連絡を取って、お会いして助言をいただいたんですよね。
そういう作業を通して、作り手にとってはすごく大事だが、 生活者としての自分にとって、自分の周りの友人関係でどこまで正しさを求めるべきなのか? そこが難しいなと思ってます。特に私たちの仕事って、職業人としての自分と生活者としての自分の境目がないじゃないですか? 自分が生活しながら考えてることが、そのまま仕事に直結することもあるので」
まず、仕事に誠実ってすごくかっこいいなと思いました。ありきたりな感想ですが、心からこう思いました。
そしてプロデューサーは生活者と表裏一体な職業だなと思いました。
佐野さんにしても玉置さんにしても、おもろい人(TaiTanボイス)であるためには先ず以て生活者であることが前提だということをひしひし感じます。そしておもろい人はおもろい仕事をしている。
日々実験したり訓練したりして、より良い生活を求めることを諦めない姿勢。そうするには独りで過ごす時間を避けることはできないが、何ら寂しさはない。
私は自分が思う以上にSNSに脳を支配されている。
そう強く感じます。
こういうことがしたい!という私らしい欲求が、普遍化されていって不安になるというループにいる。
だからせめてnoteではそんな独りの時間の記録をしている。実験中🔬
この対談記事を差し置いて自分語り乙( ◠‿◠ )という感じですが、私の脳内連想ゲームはこのような展開を遂げました。
ただ、大豆田はおもろい個人が集団になって作り上げられたドラマなんだと知れて、さらにこの作品が大好きになったということだけ言わせてください。
想いを乗せきれていない感が存分にあるので、今後のnoteでも大豆田語りをするかとしれません。
ひとまず大豆田シリーズは終了。
p.s.
この記事で安野モヨコさんという方を初めて知りました。対談しているお二人の共通の話題で、しかもなんだか前時代的で面白そうな作品。今読んでいる本を終えたら次は『働きマン』なるものを読んでみよう。
こうして大豆田の余波は広がっていくのだなあと思いました。