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春にして君を想う

新生活に空気が揺らめく春を越え、風がみどり色に薫りはじめる今頃までの間、折に触れて思い出す人がいる。空気の膨らみ具合や、肌を撫でる風の感じなんかで。

彼女との出会いは大学に入ってすぐで、講義のいくつかが一緒だった。小柄で、ブロンドのような明るい髪は腰にかかるほど長く、くっきりとした二重が縁取る大きな瞳に、よく似合っていた。濃いアイメイクが映える、美しく、意志的な眼差し。耳にはたくさんのピアス。もうあの頃から20年も経つのに、鼻にかかった独特の声まで、はっきりと思い出せる。

印象深いのは、わたしが発熱して、知り合ったばかりの彼女が飛んできてくれたこと。買ってきた青菜のおひたしで、雑炊を作ってくれ、緑茶の利尿作用で、熱を追い出すといい、と、たくさん緑茶を淹れてくれた。わたしは言われるがまませっせと緑茶を飲んだ。嬉しい反面、緊張も気疲れもちゃんとして、この緑茶療法が効いたのかどうだったか、さっぱり覚えていない。それでも、初めての一人暮らしには、心強いお見舞いだった。

彼女は華やかでポジティブだったが、出会った時には既に心に幾つかの傷を持ち、なかなか癒せずにいるようだった。親子関係や男女関係や。賢くて、美しくて、自分を持っていて、何でも手に入れられそうなのに。なのに彼女はわたしのことをよく褒めてくれた。彼女に比べて全くパッとしないわたしを。

わたしがサークルに入ったり、2年目から選択制となる専修が別(わたしは心理学、彼女は教育学だったか)だったり、ぐっと親密にこそならなかったが、それでも、構内で顔を合わせればお喋りしたり、お互いのHP(Webサイトを作ることが周囲で流行っていた時期だった)の掲示板でやりとりを続けた。

恋人ができたので会ってほしい、と、連絡があって、久しぶりに学食で待ち合わせたのは3年生の頃。男嫌いを公言していた彼女が連れてきたのは女性で、化粧っけこそなかったが、派手な髪色やピアスで賑やかな耳がお似合いの相手だった。幸せそうな様子に、安堵し祝福する。

就職活動や大学院入試、周りがそれぞれの未来に向かい始めたあの頃、皆少なからず焦りや不安を抱えていたけれど、彼女はそれらを抱えきれなくなっていったのかもしれない。もともと服用していた安定剤を、OD(過剰服薬)した、という内容がHPの日記に散見されるようになった。恋人も、精神的に揺らぎがちのようだった。さみしいさみしいと繰り返す彼女に、さみしかったらいつでも電話して!と、思わず声をかけるのだけれど、恋人の代わりにも親御さんの代わりにもなれないことは知っていた。

そのどれくらい後のことか、彼女の訃報を受け取った。また明日も更新されそうな日記、書き込めば返信が来そうな掲示板、死の不可逆性と、信じられないくらいの呆気なさがのっぺり迫る。何か出来ることはなかったのか、などと愚かにも思う虚しさ。


告別式の日、一限に出てから午後のゼミを休ませてもらい、新幹線で彼女の故郷へ向かう。行動をすることで、少しでもどこかへ進みたかったのかもしれない。

折り合いがよくないと聞いていた彼女のお母さんは、とても美しい人だった。彼女のもとに足繁く通い寄り添っていたお父さんは、とても優しそうだった。目に映るもの全てが、なぜ、という感じ。振り返ると泣くも笑うもうまくできていなかったような気がする。みんな残されてしまったなと思った。

それからの気持ちの推移みたいなものはあんまり思い出せない。



彼女の「さみしい」が、心から離れなかったわたしは「大学生の孤独感に関連する要因について ー自我同一性とソーシャルサポートの観点からー 」という長い題の卒論に向かい、季節を跨いだ。一学部生の卒論なので、目覚ましい結果や考察にたどり着くものではなかったけれど、大学生になって一番しっかり勉強をした手ごたえのあるひと時だった。

そのまま卒業、就職、転職、結婚、出産、という身辺の変化を経て、この数年、この季節になると、ふと彼女のことが過ぎる自分に気がついた。

たくさんの時が流れて色んな経験を経たけれど、くせのある声がわたしを「まよちん」と呼ぶのがあんまりにくっきりはっきりあの時のままに蘇るので驚いたし、すっかり母になったアラフォーのわたしをハタチくらいのままの彼女が呼ぶ感じに、愉快な気持ちにさえなる。

それで、こうして故人を心に抱いて生きて行くのが、弔うということなんだろうなと、腑に落ちた。
若くして亡くなることは、本当に悲しいけれど、生ある人の心に長く長く生き続けるということなんだな。何かを責めずにはいられないような苦しさはもうなくて、あの時の自分が表出しきれなかったかなしみがようやくわかり(誰かにそれを話すとき、そんなに親しかったわけではないの、と言っていたのは何に予防線をはっていたのだろう)、自分を労る気持ち。

彼女と出会った季節に彼女が思い出されるのは、やっぱりわたしたちの中に希望が多くあった時だからだろうか。嬉しいや楽しいは儚いものであるようでいて、きちんと残ってゆくのだと、教えてもらっているようでもある。

今年も青く瑞々しい春がみどりの風にのって行く。送り火みたいに。
楽しかったね、ありがとう。
また来年。






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