バズったりバズらなかったりした日記2023年11月前半
11/2㈭
女子高時代の友人が、当時RIP SLYMEのとある曲がカラオケでめちゃくちゃうまくてかわいかったことを急に思い出し、Spotifyで1日中聴いている。わたしもラップがしたい。
昨日は、そのRIP SLYMEを聴きながら明日から始まる藤井大丸の古本市の設営をしていた。準備済みの在庫を組合の倉庫、自宅の一室、店の二階、と3ヶ所に置いているので京都市内を循環系統の市バスのように車で走り回る。夜の8時前に設営終了。ラップもちょっとだけうまくなる。
毎回、催事の設営が終わると棚の写真を送ってアドバイスや感想をもらう古本屋の大先輩には、「場所に合わせた棚作りがほんまにたいしたもんやね」となんとも微妙な評価をもらった。
出張買取に行ったりプリンターのインクを買い間違えたりして(二度と勘では買わないこと)、昼から店をオープン。直後になかなかの量になりそうな買取依頼をいただく。お預り分も3件、まだ手を付けられず。みなさまいつもありがとうございます。
夕方、ガロ系の作家がお好きな海外の方が、ガロのバックナンバーと漫画を爆買いしてくれる。どうしても京都で買いたかったと言っていた(たぶん)。わたしはなぜか、鈴木翁二はガロからデビューしたと英語で伝えようと必死になったのだが伝わらなかった。まあ売れたので、結果オーライ。お友だちにも教えると言ってショップカードを何枚も持って帰ってくれた。そういえば、四条の高島屋にまんだらけが出来たらしいが彼は行ったのだろうか。残念ながら、自分のこの散々な英語力では複雑すぎて伝えられない。
品薄になっていた金井美恵子のいいところが入荷。うれしい。あまり高い値段はつけられないが売れてしまうと次がなかなか入ってこない、というラインの本をいかに揃えられるか問題が街の古本屋にはあると思う。そのあたりは、さも当然かのように涼しい顔して並べておかなくてはいけない。学術書、専門書の店は別だと思うけれど、参入のハードルの低さに比べ、古書(いわゆる洋本)でイケてる棚を作るには努力とセンスが必要である。創業のオープン時に希少でいい本を揃えておいても、あとはたまたまいい買取がありいい本が入荷しても、それらはやがて売れていく。そしてすべてを主役級の本で固めても、なかなかイケてる!買う!とはならないのが古本屋の不思議だ。そもそも主役級の本は、ある程度の方ならもう持っている問題がある。
11/4(土)
41歳になったことだし……と、初CHANEL♡うれしくて、いちいちニヤニヤしてしまう。この気分の上がりようはなんだろう。シャネルも川久保玲さんも、知れば知るほどほんまに好き。がんばって働こう。ココ・シャネルの自宅での読書姿は最高にかっこいいので、機会あればぜひ写真を見て欲しい。
憧れの女性繋がりで、『悩んでもがいて、作家になった彼女たち イタリア人が語る日本の近現代文学』を読んでいる。宇野千代、与謝野晶子、瀬戸内寂聴……とわたしの好きなところ揃いで紹介されるエピソードももちろんすでにだいたい知っているが、著者の愛あふれる語り口がよくて、わかるわかる、と頷きながら読んでいる。このあたりの作家陣への憧れは、わたしの店の芯のひとつだと思う。
それにしても、短絡的な感想を許して欲しいのだが、イタリアは日本文学人気が高いのだろうか。もう1年以上もネット上で執拗に粘着してくるイタリア在住の男性がいるのだが(一晩で数十件にものぼる嫌がらせメールやグーグルマップへの罵詈雑言口コミ、勝手に海外の動物保護団体サイトのメルマガに登録されるなど)、彼にも一度、林芙美子とあなたは落ち着きがなく働きすぎの病気だと言われた。作品のみならず、作家のキャラクターまで把握しているのは敵ながら(?)なかなかではないか。しかしながら、ほんまに余計なお世話であり、上等です。
11/5(日)
終日、藤井大丸の古本市当番。昨日の何点かのCHANELのうちのひとつ、チークがとてもよい。鏡を見るたびに血色!と思う。アガる。
初参加の余波舎さん、一緒に当番に入るしと思って事前に調べるもネット上に一切情報がなく、どんな方が来るんだろうとどきどきしながら売場に行くと新しい屋号を知らなかっただけでめちゃくちゃ知っている方であった。一日みんなでいろんな話をして楽しかった。余波舎さんは、現在わたしが住んでいる西陣で新しく本屋を始めるので、美味しいお店の情報交換をする。知らなかった中華を教えてもらい、引越しをしてしまう前に早速行こうと心に決める。京都は中華のレベルが高く、わたしも中華にはうるさい。ただ、昨夜行った珉珉もふつうに最高であった。
夜ごはんに作ったポークソテーや蒸し野菜が美味しすぎて白ワイン(コストコの重すぎる箱ワイン)を飲みすぎる。飲みすぎてウトウトしていると、配信者?の配信イベント?に行っていたらしい娘がなぜか紫色のロングヘアで帰ってきた。理解が追いつかない。最近は、自分たちでゲームをする様子を実況しながら配信する動画が流行っているらしい。実況って、古舘さん的な感じか?たぶん違う。意味がわからないが、私たちが子どもの頃は友だちの家に友だちがゲームをするところを見に行く、という遊びがあったことを思い出す。ゲームをもっていない子もたしかそれでゲームの知識を得て満足していたし、なんの卑下もなく一緒にゲームの話をしていた。みんなで集まって、やいやい言うのが楽しかったのであろう。いまの子たちはおそらく、塾やらスポーツやらで友だちと放課後の予定は合わない。それがビジネスになるようになっただけで、楽しんでいることは昔と一緒なのかもしれない。
そういえば当番をしながら余波舎さんと、わたしの子どもの頃の本との付き合いについて話をした。話し出すと数珠つなぎにいろいろ思い出し、いちおう楽しんでもらえたようで「それ何かに書いたりしていますか?」「本になりそう」と言ってくれる。おっと。ここにも聞き上手が……(前回のnote参照)?たまたま会場に来ていた知人にも、レジでしゃべりすぎと笑われる。ただ確かに、田舎育ちの自分の子ども時代の読書を少し思い出すだけでも、いかに当時の出版業界が豊かだったかよく分かる。それは高尚であることとはまったく関係がなく、たぶん意味のない豊かさ。だけどその意味がないということがいかに贅沢であったか。
それにしても、何かの拍子にどこかですごく笑ったことを思い出し、あれなんやったかなと思考を巡らせてもだいたい誰とどこで何を話したのか思い出せない。老いって、嫌なことだけじゃなくて楽しかったことも忘れてしまうんやな。なんていうか、フラットだ。いろんなことを忘れ、酔っぱらって寝ている間に来年になりそうである。
11/7(火)
昨日は朝からとても素敵なお客さんが来てくれて、持ち帰れないほどのアート本をかなりの金額買ってくださった。京都でアート系に強い古書店なども紹介し、では本は送りますねと笑顔で別れ、なんて素敵な一日のスタート、と思った30秒後、わたしはこの10年、毎日のように買取作業をしているが本当にびっくり、しかないお客さんに出会ってしまった。そしてそのことを、衝撃のあまりついついツイッターに書いてしまい、うっかりバズってしまった……。お目汚しのみなさま本当にすいませんでした。ツイートを見て心配して来てくれた方々もありがとうございました。
ツイッターに書いてしまったのは、自分ひとりでは抱えきれないほどひどいエピソードだったから。だけど泣かずに、毅然と言い返せてほんまによかった(ムカつくと泣けてしまうタイプ)。もっと百戦錬磨の古本屋さんだったらやんわりスマートに対処できたのかもしれないけれど、わたしなりによくやった。それにそもそも、百戦錬磨の古本屋にはあんな態度は取らないであろう。バズってものすごい数の引用リツイートをされて、中には女で得してることもあるんやから勉強勉強、あるあるや、みたいなコメントもあったけど、わたしがめちゃくちゃ失礼な客を気持ちよくさせてわずかばかりの利益を得ることになんの意味があるんだろう。たしかに客商売はキレたら負け。誠意を持って抗議したと思う。だけどたとえばわたしが少し我慢をして、相手の要求を上手に汲みながら話が分かる女を演じたとして、それって、これからこの業界に入ってきたり、業界に限らずいま接客業をしているすべての女性たちをバカにしていることにならないかな。そういう段階を経て相手に認められることもあるって言うけど、わりと長く生きているので、そういう場合なのかまたはそんなん願い下げな場合なのかはもうわかる。わたしの手のひらはわたしのもの。ふつうに、転がしたいひとしか転がしたくない。
店やスタッフなど守るものも多いのでバズると炎上が心配だが、ネットに関してわたし以上に知ってる娘は、「万バズしても引リツ100くらいまでなら普通ちゃう?大丈夫やろ」と言っていた。たしかに今のところは、二つのツイート合わせて100くらいの引用リツイート(引リツ……)を通して、仕事をする中でわたしと同じようなをしんどさを感じたことのある女の人の声をたくさん聞けて共感しかないことがほとんど。お一人おひとりには返信できないけれど、心のなかではグッと、肘を90度に曲げて上げるタイプの力強い握手をしている(伝わりますか)。女なら全員自分よりも下に扱えると思う人、なんとか私たちの世代で絶滅させたい。というか、あんなおじいはもう最後であろう。よくいえば、ラストサムライ。
なんていう日記を白ワイン飲みながら書いていたら、非通知からの無言電話がたて続けに数回。レトロな男尊女卑の余波は、嫌がらせまでレトロである。そしてバズったツイート、上記のストーカーイタリア男性まで「この人は買取だけでなく売ることも拒否する」とかツイートしてきて余計カオスになりだしたので、数ヶ月ミュートでやり過ごしたけどこちらもついにブロックした。暇やなあ。しかしわたしは別に彼らになんの恩もないので、ちゃんと自分の人生生きなよ、なんて有益なアドバイスは一生しないであろう。永遠に無益な時間を過ごしますように。
昼間の市場では、事前の目録を見て今日はこれを買いに行く、と心に決めていた本を無事落札。市場では新人もベテランも平等。いちばん評価した古本屋が買えるだけ。楽しい会であった。
11/10(金)
組合仕事続きで数日間ばたばたと働き美味しいものをたらふく食べていた。ツイートも落ち着いたので今日から平常運転に。昨夜作って美味しかった松茸たっぷりごはんと、せせりとネギと松茸を焼いたものの写真をアップなどする。平和である。
朝から一件出張買取へ行き、お昼を食べて店。大雨のためか暇だ。近くの蚤の市も開催中止。組合関係で一日電話をかけまくる。そのせいか、夜ごはんのあとにソファで寝落ちしていたら、理事会のLINEグループになぜか下ネタを送ってしまいドン引きされるという夢を見てどきどきしながらとび起きた。大丈夫、送ってなかった。
まあまあ衝撃の出店お誘いがあり、5月くらいまでの予定がすべて埋まりそう。帰りに、近所のアバンティでいつも楽しみにしている石井ゆかりさんの『3年の星占い』を購入。なんてことなく、読んでいたら5年後くらいまでは馬車馬のように働きそうだ。
明け方寝ぼけて、指定の日に千円くらいずつ入れていくと1年で17万貯まるというカレンダーをいつの間にか買っていて、正式に目が覚めてから楽天の注文確認メールで驚いた。人の深層心理ってほんま不思議やね。わたし、貯金がしたかったんや。
11/13(月)
朝から娘に「ママは会社で働けへんひとやろ?」と言われたので、「会社で働かんでも生きていけるひとや」とこたえたら納得していた。またの名を屁理屈。
昨日は藤井大丸の古本市最終日。当番しながらずっと心霊の話をしていた。オカルト世代である。文書関連のいい図録を二冊見つけたので、最終日ということで遠慮せずに買う。この数日でまあまあの人数の古本屋さんに会ったが、みなさんわたしのバズってしまったツイートを見ていて、いろんなご自身なりの対処法を教えてくれて面白かった。付き合いのある古本屋さん、やさしい方が多くて本当にありがたい。
今日は大阪で同人になっている市場。今回もこれは……と思う本があり、なかなかに気張って入札した。というか、普段はわりとさくさく悩まずに入札するほうなのだが、今日はぎりぎりまで悩んでしまいなかなか入れられなかった。気合い入れようと缶ビール一本飲んで勢いつけて入札してみたが、落札価格は思っていた額より2倍高く落札ならず。笑
それ以外はだいたい落札。もうひとつ、これは見たことない……と思った洋書は中身だけでなく紙の質感から何からすべてが素晴らしかったのでしばらく愛でてから売りたい。この辺りのものに目がなく、その辺の知識と感覚をちゃんと突き詰められたら何かもう少し道が見えるような気がする。先々月の即売会で、わたしの紙ものを111枚、そこにあったものすべてまとめ買いしてくださった方がいたのだが、あの品を見つけたときも同じような感覚だった。たぶん同じくらいの時代のものじゃないかな。勉強あるのみ。
いつもはみなさんと飲んで帰るが眠すぎてすぐ帰宅。
夜ごはんにはアサリのみぞれ鍋を作る。急に気温が下がりコートの裏地をつけて行かなかったことを後悔するくらい寒かったのでめちゃくちゃ美味しかった。鍋に投入した大根おろしってなんであんなに美味しいの……。わたしはいつも、美味しい美味しい言いながら自分のごはんを食べている。
今年追加で買ったコートの裏地は、帰宅後早速付けてみたら今すぐサッカーの監督とかできそうなくらいあったかかった。
11/15(水)
出張買取のため今日は3軒のご自宅、画廊などまわる。今日も勉強になることだらけ、あっという間に過ぎていった。
夜、インスタを見て肌が白く見えるらしいと選んだネイルを娘に塗ってもらいながら「どう?」と聞いたら「オバみある」などと言われる。オバみ、という形容詞?の破壊力すごい。
昨日落札した洋書や、今日買取でめちゃくちゃうれしかったアート本など眺める。並べると、全体で見たときの色合いやバランス、本同士の調和まですばらしい。自分の好きな本を売っているわけではないのだが、わたしは自分の店の本のすみずみまで愛情が行き届いているところがとても好き。買取のあとに行ったごはん屋さんのお姉さんがずっと大好きと言っていたヴァンパイア・ウィークエンドを聴く。ここはいつも、めちゃくちゃ普通そうな割りチョコのおつまみがめっちゃうまい。音楽については聞けるけど、このチョコどこで買えるんですか、はなんか聞けない。
11月後半、少し前に買ってまだ読めずにいる『フランキスシュタイン』を読むところからはじめたい。メアリー・シュリーの『フランケンシュタイン』が大好きなので。未読の方はぜひ。
今日はツイッターで、朝日新聞のウェブに掲載された金原ひとみさんの「母の仮面が苦しいあなたへ」というエッセイが流れてきて、凄まじくすばらしかった。年もほぼ同じ、子どもの年齢も一緒、意識しないようにしていたけれど、ほんの15年くらい前までの育児のしにくさってたしかにあった。いまだに家事育児の価値を母親がかけてる時間数でしか見れないひとってたまにいるし。わたしも金原さんと一緒で、たぶんもうそういう時期は過ぎてしまったけれど、読んで救われるお母さん多いんじゃないかな。自分でも気づかない、心の奥の奥の記憶に響くようなほんまにいい文章やった。
本日締切の原稿はまだ終わらず。まずはそこからやな……。
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