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大切な誰かを見送るということ。

今日という日にこのような記事を書くことが適当なのかどうか分からないけれど、古本屋という仕事柄、これまで、いくつかの印象的な、誰かが大切な人を見送る場面に立ち会うことがあった。

部屋中の蔵書とコレクションをリストアップして丁寧に蒐集されていた方の遺品整理は、遺された奥様と、思い出話を聞きながら幾日もかけて一冊一冊の本を一冊ずつ入れて保管していたビニール袋を開けていく作業から始まった。部屋の片隅をビニールで山積みにしながら、ご夫婦で一緒に行かれた骨董市の思い出や、好きだったもののこと、とても愛おしそうに話してくださるのがうれしくて、すべてのコレクションを運び出すまでの数か月にわたる幾日を、わたしはとても大事に思っていた。コレクションも質、量、保存状態とすべて本当にすばらしくて、手元に渡った方も、みなさんすごく喜んでいてくれていたと思う。

ある方は、だんなさんが認知症を患われて、すべてのコレクションを引き取ってほしいと連絡をくださった。「もうね、ぜーんぶわかんなくなっちゃったの!」と意外なほど明るい様子で整理される姿に、覚悟と強さとこれまでのお二人の信頼の歴史を見るようであった。

急なご自宅の退去で、大変困った様子で高齢の女性が本を引き取って欲しいと連絡をくれたことがあった。その数年前に、男性とふたりで店に来てくれたことがあって、そのときの自然な様子がとても素敵で覚えていた。
退去日(便利屋さんがすべての荷物を引き取りに来る日)が近づいていること、すべての作業と手配をその高齢の女性ひとりでこなしていて相談相手がいないこと、だけどご本人(以前、店に一緒に来てくれた男性)が、本をとても大切にしていたことなどがあり、おそらくすがるような気持ちでわたしに連絡をくれたのだった。
一見するとそれなりの査定額を出せそうなラインナップだったので、二回に分けて運び出しを行った。その場で査定まで終えてしまうことも多いけれど、このときはとにかく時間が差し迫っていたのでとりあえずすべて運び出すことを優先した。わたしは女性だが、かなり力があるほうだと思うので、だいたいの作業はひとりでできる(かなり大量のときは、運送屋さんやスタッフを連れて行きます)。コレクション以外にも仕事用具などたくさんのものがあるアパートの一室で途方に暮れていたお客さんは、本がきれいに片付いたことでかなり心が楽になったようでわたしもとてもうれしかったことを覚えている。
このような場合でも、いちおう現場で函、カバー、書き込みなどはパラパラと大まかにチェックをする。このときもそれはしていたつもりだったのだけれど、持ち帰った本を再度チェックするとなんと8割以上の本に線引きがあった。印刷のように歪みのない几帳面な線引きだったので、パラパラとページをめくっただけでは気づかなかったのだ。
想定していたよりもだいぶ低い査定額になってしまい、申し訳ない気持ちでほとんどの本に線引きがあった旨をお電話すると、「そう、そうなの!あのひと、一冊一冊線を引きながらいつも本を読んでた!」とすごくうれしそうな、だけどなんだか泣いているような、そんな声で答えてくれた。
お金を渡しに行くと、ちょうど翌日が便利屋さんに来てもらう日だそうで、やっと肩の荷がおりる、とすがすがしい顔をされていた。
「いろいろ助けてもらって、本当にありがとう。次はわたしが死ぬときに……」なんて、冗談を言ってもらって別れた。

買取の現場では、どちらかというと機械的に作業することを心掛けている。それでもときどき、不意に、どうしても、誰かの生きた証に触れてしまうことがある。そもそも蔵書とは、そういうものなのかもしれない。そして遺されたひとは、ただものを整理するだけでなく、思い出やそのひとと過ごした温かさを、心の奥のある部分にしまいなおしているのかもしれない。

それはもちろん、普段の買取でも一緒で、機械的なわたしは、実はひそかに、持ち主の方から聞く本にまつわるお話を楽しんでいる。本を処分することに抵抗のある方もいるかもしれないけれど、大切に、長い年月をかけて誰かの一本筋のもとに集められた本は、その処分の時間もまたその本の記憶であると思う。わたしは死ぬのがこわいけれど、日々そんな本の輪廻を見ていると、決して消えてなくなることだけではないよなあとも思う。

古本屋になってから、買取に市場に、日々ものすごい数の本を見るようになった。もうそろそろ、初めて見る本は珍しい本、みたいになりつつある気さえしている。ひたすら見る、そしてときどき読む、という、なんとも遠回りな勉強方法だけど、そんな遠回りで学んだ知識で本の査定をする、しかもそれを役立ててくれるひとがいる不思議、というのをたまに感じる。

飽き症で集団行動が苦手で二年以上趣味も仕事も続いたことのないわたしが、唯一十年以上続けている古本屋。世の中の一般的な時間の流れとはまた違った速度で本と関われるのが性に合っているような気もする。飽き症が無事に発揮されて一年以上放置してしまったnoteだけれど、またときどき更新します。

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