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23-12-5 朝から号泣してしまった詩
昨日の朝、朝食を食べながら朝刊を読んでいたら、とある記事で紹介されていた詩を読んで号泣してしまいました。
近くにいる夫に泣いているのがバレるのはなんだか恥ずかしかったので、嗚咽をこらえて顔を逸らしながらティッシュで涙を拭きました。
それは、介護に関する記事だったのですが、樋口了一さんというシンガーソングライター(『水曜どうでしょう』のテーマソングを歌っている人)が2008年に発表した歌の歌詞が掲載されていました。
といっても樋口さんが作詞したわけではなく、ポルトガル語で書かれた現作詩者は不明の詩のようです。
私は今回初めて知りました。
少し引用してみます。
『手紙~親愛なる子供たちへ~』
年老いた私が、ある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
(中略)
楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがる時には思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日々のことを
悲しいことではないんだ 旅立ちの前の
準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい
(是非、全文ご覧ください)
高齢の親が衰えて今までできていたことができなくなっていく様子が、子どもが幼かったころにリンクして語られています。
そこには悲壮感や申し訳なさは感じられません。
人生は閉じていくけれど、それに際して子どもとの温かな日々を思い出している。
それは「わたしはとっても幸せだったよ」というメッセージだと思うのです。
今まではとても大きな存在だった、何よりの頼りにしていた親が、衰えていくのを見るのはショックだし辛いことです。
しかし、親が子どもであった自分を根気強く見守って支えてくれたように、柔らかな気持ちで子は親のことを見守り、困っている時には手を貸せばいいだけなのだとこの詩は気付かせてくれます。
また、いま私は子育てをしているので、まさに食べ物をこぼしたり、下着を濡らしたり、お風呂をいやがったりする子どもたちとの日々が身近にあります。
それが、将来訪れるであろう私が年老いたときの気持ちにも重なり、余計グッと来てしまいました。
まだ私は介護当事者ではなく、おそらく自分には計り知れない辛さや苦しさがあり綺麗ごとではすまされないことは想像できます。
だけど、いつか来るその時を、ネガティブな気持ちで迎えるのではなく、ありのままに受け止められる心の準備が出来るような気がしました。
だけど、この樋口了一さんの歌の音源を聴く心の準備はまだできていません。
おそらく滂沱の涙を流すことになると思いますので……。
心の準備が出来たら聴きたいと思いマス……。
おしまい