1/13日常の風景
子どもは成人式。
トランプみたいな赤いネクタイをして行った。
中学は途中でやめちゃって、小中の記憶もあまりないようで仲良かった子達のことも覚えていないと言う。
成人式には行かないのかなと思っていたけど行くらしい。
式のあとに150人くらい集まるパーティーがあるけどそこには誘われておらず、幼なじみと二人で飲みに行くそう。
うちの子は友達という友達はその幼なじみしかいない。
その子が近くにいてくれて私は世界中の神様仏様にありがとうと言いたい気持ち。
子育てで大変なのは子どもの成長に親がついていくことだなと思う。
子どもの今を常に上書きして親としての関わりを更新していかないといけない。
けれどまだ小さいかわいい頃の、自分が全力で頼られていた時の状態をいつまでも忘れられず、何かと手や口を出したくなる。
「子どものためを思って」という聞えのいい言葉を盾に、親の価値観や正義を振りかざしエゴを発動させがち。
うちは中学で不登校になりその後引きこもりになったことを機に、子どもに対する接し方をガラッと変えられたので(何があっても口出ししない、ただ見守ること、子どもを本気で信じること)それはそれでよかったのかもと思う。
親が一切何も言わなくなったから、子どものアイデンティティーの確立が急速に行われ、「自分で考えて決めて動く」ということができるようになったのだと思う。(これはその子の性格にもよるとは思う。)
通信高校でダラダラしてたと思ったら突然大学に行くと言い出し、中学からの勉強をやり直すため予備校に朝から晩まで行って、希望の大学に入ったと思ったら途中で休学して、今はインターンで毎日働いている。
この独自の彼の人生は傍目で見ていても面白いし、自分の人生は自分のものなんだということを改めて教えられる。
子育ては期間限定の人生で最大級の暇潰しだと思う。
子どもが小さい頃、一人の時間もなく大変すぎて早く子どもが20歳になればいいのに~と思っていた。
人を育てるという責任を課せられる事態から一刻も早く解放されたい~と思っていた。
喉から手が出るほど欲しかった一人の時間、今はたっぷりある。
しかしあの頃の物理的にも精神的にもここまで人に影響され、役割を果たし、何事にも一喜一憂する貴重な時間はなくなってしまった。
今は「やっぱり人は一人だなぁ…」という実感と、「全てが流れて変わっていって過ぎていくなぁ」という無常だけが残されている。
我が子をはじめて抱いたときにしゃっくりしていて、そのしゃっくりがお腹にいたときのそのリズムのままだったこと。
保育園で朝別れるときにだいぶ大きくなっても泣いて追いかけてきたこと。
電車が大好きで色んな電車に乗りに行って、帰りは東京から大宮までの新幹線で帰ってきたこと。
カツアゲ事件に巻き込まれて同級生の親が家に殴り込んできたこと。
小さい頃の子どもからもらった手紙を大事に取っておいたのに、思春期に入り破られたこと。
子どもが学校に行かなくなってからは部活帰りの中学生を見ると胸が苦しくつらかったこと。
部屋から出てこなくなって、生きてるのか死んでるのか分からない状況を耐えるしかなかったあの日々。
半年後に出てきた痩せ細った子どもをタクシーにのせて伸びた髪を切りに行ったこと。
高校の説明会で入り口まで行ったけど入れなかったこと。
大学に行くと決めてからは予備校に持っていく特大おにぎり(具は昆布のみ)を毎日作っていたこと。
予備校の先生もみんなもっとレベル下げたほうがいいと言ってるのに誰の言うことも聞かなかったこと。そして自分の希望する大学に入ったこと。
せっかく大学生になったのに突然休学してITの勉強をはじめてインターンで働きだしたこと。
一人の人間がこんなに変わっていくとはびっくりする。
あの頃のあの子はもういないし、今のこの子は未来にはもういないんだなぁと。
だけど同じ人なんだなー。
とにかくもう心配することはひとつもなくて、そのまま自分の思うまま生きていって欲しい。
私と子どもはもうほとんど関係ない世界にいて、子育てを通して色んなことを教えてもらったからそれを糧に私は私の人生を生きていくんだな。
ついにその時が来たんだな。
心のなかにはすきま風みたいなものが吹いているけどそのうち止むだろう。
孤独の蜜は甘くて苦い。